きっかけはこの記事だった。
ひげ・長髪男性写る? 「キリスト包んだ」聖骸布公開へ:朝日新聞デジタル
髭男爵!?いやいや。
『長身髭男爵現るっ!?』と勝手に脳内返還して何事かっ!?と思いきや、なんと聖なる聖遺物のお話。
アイキャッチのの画像がまさにその聖遺物『トリノ聖骸布』と呼ばれているモノの全貌だ。
この画像は上が写真で言うところのポジ画像。下の黒いのがネガ画像と思われる。
ポジ画像の拡大したモノが、朝日新聞の記事にあるぼんやり人の顔のようなモンが写った画像となる。
この現物からネガを作り出すとこれまた不思議なことに、より鮮明な人物の画像が浮かび上がるのである。
ちなみにアイキャッチ画像はこの聖骸布を横に写したモノで、布の中心を軸に左右に折りたたんだ状態で謎の人物を包んだ形となっている。
従って、画像左側が正面(画像上は右頭で横向き)、画像右側が背面(画像上は左頭で横向き)のように写っているはずだ。
時は中世の呪縛から解き放たれたルネサンス期。
突如この世に現れたこの『聖骸布』はゴルゴダの丘で人類の贖罪を背負って十字架上で刑死した後のイエス・キリストの遺体を包んだものという。
布に包まれたイエス・キリストの遺骸が奇跡として布に刻まれた聖遺物としてその後現在に至るまで喧々諤々の議論となってきたということだ…(^^;)ハハハ。
そんな朝日新聞の記事をFacebookに上げたところ、さっそくムー少年からこれを読みたまへ!
と紹介されたのが、『トリノ聖骸府の謎』。もぉ、二十年近く前に出版された本である。
白水社
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さっそく、京都のムー少年が言うのであればと即ポチして週末から貪るよぉ〜に読了!
ちなみに、上の本書の表示に描かれているのは聖骸布のネガ画像である。ポジ画像ではぼんやりと影のような人物像が、ネガ画像だとここまで鮮明に表示されるのだ。
しかも、あのイエスを包んだと言うことは2千年近く前の時代の布に!?である。
ムー少年としてはハァ〜ハァ〜せざるを得ないネタであるが、本書を読み進めて早々に現実的な結論が提示され、あれっ!?ということを思い知る。
このバチカンもお墨付きの聖遺物とされる『トリノ聖骸布』はなんと偽物である!?という科学的な決着が済んでいるのだ。
これ、しかも本書を読み進めるもなにも1ページ目に記載されていることである(笑)
1988年10月13日、炭素年代測定の結果が発表され、トリノ聖骸布は2千年前のモノでは無く1260年から1390年までに作成されたモノであることが明らかになっているのである。
以上、終了!というわけにはいかないのは、キリスト教の世界なワケでその後も聖骸布が本物であるという信仰心豊かな人々は存在し続け、純粋にではなぜ中世が明けた頃にこの聖骸布が作られることになったのか?誰が作ったのか??どうやって現代の写真技術と同様な技術で作られたのか???という検証の結果が本書の構成となっている。
途中、論理が飛躍している箇所やこの手の話によくある『陰謀』という言葉が羅列される箇所は辟易する面があるものの、全編を通して非常にスリリングで関連書籍にも手を出してしまいそうな知的好奇心を刺激してくれる本である。
まさに数年後世界的に大ヒットを飛ばしたダン・ブラウンのダ・ヴィンチ・コードの世界。
『レオナルド・ダ・ビンチ』、『シオン修道会』、『マグダラのマリア』といった聞き覚えのあるキーワードから、『洗礼者ヨハネ』、『錬金術』、『テンプル騎士団』、『薔薇十時団』、『フリーメーソン』といったその筋には必須なキーワードまでオールスターのハァ〜ハァ〜ぶりである。
レオナルドの聖骸布は、キリスト教を具現するたぐいまれな作品とされているが、実際にはキリスト教に対する異議の表明である。(そして皮肉にも、この品はレオナルドがさげすんだ当の教会の聖職者たちの手で守られている)。聖骸布像はとりもなおさずヨハネ信仰の賛美歌であり、愛の宗教の真の創始者である女神イシスの代理人として、洗礼者ヨハネを褒めたたえるものなのだ。そしてそうすることによって、聖骸布は男性の力、聖職者の優越、女性の従属性を強調してきた教会にも異議を申し立てている(これは聖骸布が修道会ぐるみで仕組んだ喜劇だという点と一致する。ヨハネは奇跡を避けたし、ヨハネ関連で奇跡が印された布は存在しないだろうからだ)。
この物語が意味するものは、その広がりにおいてトリノの聖骸布をはるかに越えている。マグダラのマリアがー地母神の代表として、黒聖母という形でー何世紀にもわたってヨーロッパのキリスト教世界の中心で崇拝されてきたこと。ヨハネ信仰は、A・N・ウィルソンが考えているように始まって一世紀足らずで消滅したわけではなく、その後も存続し、「地下水脈」を通じてメッセージを伝え継いでいること。
私たちが考えているとおり、教会がレオナルドに聖骸布の偽造を依頼したのなら、現在のヴァチカンもこの聖遺物の正体を承知しているはずである。
ローマ・カトリックが自ら『正当派』という意味の冠を掲げている以上、こうした別の解釈はすべて『異端』として斥けられてきた。
その血の歴史がキリスト教には付きまとっているが、実は異端側は異端側としてカトリックの教義の中での静かなる仕掛けを施し、現在に至るまでその秘教の教義を内なる組織の中で受け継いできたというのが、本書における真相なのであろう。
が、この非常に手の込んだトリックの数々は無神論者にとっては『喜劇』でしかない。
こんなこというとアサシンを差し向けられるのだろうか???…(^^;)ハハハ。