『摂取』と『排泄』。
人間、モノを食べれば排泄をする。
情報も、目や耳や鼻や口や肌から感じれば、何らかの反応をする。
情報というモノは『思考』や『感情』の関わる比率によって様々なアウトプットをもたらすモノだと考える。
いっときほぼ離れていたこのブログを、この一月ばかり意識的にエントリーをアップするようになってわかったことがある。
ほぼ独りよがりの拙い文章ではあるが、やはりボクにとってなんらかの活字をはき出すという排泄行為は楽しいのである。
基本ミーハーなんで、mixiが流行るといわれればmixiで日記を書き、はてなダイアリーが面白そうと思えば、はてダにつらつら書き残し、方やTwitterだよねといわれればTwitterにつぶやいてみたり、やっぱりFacebookでしょ!といわれればFacebookと、この10年弱いろんなプラットフォームに文字を残してきたが、今思うにボクの精神状態を平静に保つにはブログくらいの自由度が一番適当なのではないかと思うのだ。
たしかにTwitterでつぶやくのは簡単だ。でも140文字という制約ではほぼ脊髄反射の文字列を残す以外にない。脊髄反射になるだけあまり推敲することない分、ボクにとってはリスクに感じる。
かたやFacebookは、ちょうど良いとも言える。文字数も気にすることなく、しかもある程度クローズな相手なんで内輪ウケネタでも気楽に投稿できる。でも、文字数はなくともあのFbのニュースフィードで長文を読む気になるだろうか?
ボクは他の人の長文がニュースフィードに流れてきても読まない。Fbに反応するテンションは長文には向かないと思うのだ。だから、FbはTwitterのつぶやきのもう一盛りくらいがちょうど良い。
となると後好き放題書き放題できるプラットフォームとなるといまのところブログが残るだけである。
あまりボクのこのブログ『say silly things!』は他所様のためにはならない。と思う。
その日感じたこと、その日の出来事、なんか残しておきたいことが主軸になるため、どうしても読んでもらいたいという感覚よりも、書いておきたいというモチベーションの方が高くなってしまうから。
だから、ボクにとっては後々昔のエントリーを読み返してみても面白いのである。昔の手帳を読み返すときのような感覚か。
でも、昔の手帳は家の棚を掘り返さないと発掘出来ないが、昔のエントリーはスマホですぐに読み返すことが出来る。究極の内輪ウケどころか自分ウケメディアだ(笑)
そんな自己完結出来る環境が、この一月書き続けてみて、相当精神的に日常との平衡感をもたらせている。簡単に言ってしまうと文字を書き連ねることでストレス解消である。
そんなこのブログもわずかながらに、新エントリーをアップすると見に来てくれる方々や、検索サイトでの検索結果で訪れてくれる人もいる。そんな反応を見るのも嬉しい限り。
また、そのうちブログを書く精神的な余裕もない時期がきたら、更新が滞るかもしれないが、でもまたブログは書き続けるんだろぉ〜な。
こんな自己満足テキストの吹き溜まりですが、今後もよしなにm(._.)m