秋月さんの『シリアルポップな日々』でこんなエントリーがあった。
まさにおっしゃる通り!そゆこと!終了!!
で、上のリンクのエントリーをお読みいただければ十分、完結にまとまっているのであります(笑)
だから、これ以上いうことはないのだろうけど、ついつい触発されちゃいまして…(^^;)ハハハ。
『電子書籍』という言葉、ガジェット、コンテンツ、ビジネス...etc。
この言葉がつけられてしまったのはホントに不幸なんだと思う。
今やすでに伝説の『電子書籍元年』。もう4年も前の出来事である。
当時ネット界隈の住人を中心に夢のような出版ビジネスの未来と既得権益バッシングが展開された。
が、この4年どぉ〜だったろう?
社会的にはなにも変わっていやしない。雑誌は次から次へと休刊を続け、出版物は年々発行部数を減少させ、コンテンツの流通は紙からBitでネット上を駆け巡るものにシフトしている流れは止まっていない。
この業界の方々が最初から勘違い、見当外れの検討をしていると思うのは、読書に前向きというか時間を費やすことを疑わない一般人がどれほどいると思っているのだろうか?
ボクみたいな活字中毒患者はマイノリティである。ボク自身コレまでの人生で本に関して語り合える友人なんてほんの数人しか居ないんで自覚している。
一般人が紙のメディアにお金を出していたのは主にマンガや雑誌である。それがどんどんネット上で情報を収集するようになれば、マンガ雑誌や一般雑誌は売れなくなるのは当然なことだ。
なのに、かの伝説の『電子書籍元年』で巷を賑わしたコンテンツはなんだったろうか?
もともと出版物売り上げの中で大して売れていない書籍の類である。
まるで、書籍を購入しない人はいないかの如く、電子書籍肯定派も電子書籍否定派も喧々諤々ムダな議論をしていたモンだと思う。
実際にそれでウハウハしていたのはごくごく一部の活字中毒患者だけであろう。
ボクも夢中になって当時はhontoやBookLive、Kinoppyで電子書籍をダウンロードしまくったものである。
本当に電子書籍なるビジネスを確立したかったのであれば、明らかに売れるコンテンツの提供を間違っていた。
そもそもビジネスとして当てにしていなかったのであれば、出版業界はあんなに過剰反応とも言える拒絶反応を示さずに淡々と隅っこの方でやっていれば良かったのだ。
だからといって、電子書籍ビジネスがシュリンクしているかというとそういうワケでも無い。
各社無い知恵絞ってこの4年間着々と続けてきたのである。
おかげで、4年前よりも選択肢が広がり、利用者にとっては当時よりも魅力的な市場になってきていると思っている。
で現在ボクが主に利用しているストアはどこかというと圧倒的にKindleである。
プラットフォームを問わないことと、通常のAmazonストアの利用と変わらない購入モデル。
ようは一番利便性が高いのである。
国内各社は黒船を恐ろしがる余り、一番大切なモノを見失っている。
自分たちの立ち位置ばかり守ることに終始しており、一番大事ないかに利用者に購入してもらうか、そのための手段の提供を怠っているうちに、Kindle上陸とともにボクはこれまで購入していた国内ストアの電子書籍も含めてKindleで再度買い求めて電子書籍をKindleに統一したくらいである。
この辺は最近国内ストアも見直されつつあると思うが、まだまだ『自分』の権利ばかりが優先してはいないだろうか?
また、秋月氏のいう『Kindeは本ではないと思う』の中で触れている大切な点は利用者側もちゃんと認識すべきだ。
ここ数年、国内電子書籍ストアが閉鎖されるたびに購入コンテンツの扱いが話題に上がるが、これは最初の認識が間違っているから発生するモノだ。
電子書籍の購入は現状はあくまで『権利の購入』でしかない。パッケージが紙から電子に変わったことで『所有』と『権利』の関係が異なるビジネスモデルになったことを理解して利用すべきだと思う。
提供側にもまだまだ利用者を混同させるようなインタフェースを用いているから余計にこんがらがる。
Amazonにしてもそうだ。
ひとつの書籍で紙で出版されている書籍とKindle版が選べるようになっている。利便性という面では良いのだが、片や所有可能なパッケージ、片や権利のみの購入のパッケージである。
こればかりはやはり利用者側の理解が進むしかないのだろうか。
ちなみにボクはというと、あまり文句なく淡々とKindleストアで電子書籍を買い続けると思う。
やはり、ハイライトの記録やフト思い出したときにあの時のあの本をすぐに手元で確認できる利便性は紙の書籍にはない。雲の上の私設図書館である。
国内で出来るもんならばサブスクリプションモデルを提供して欲しいくらいである。
でも、これはまだまだ無理な要望なのかな…(^^;)ハハハ。