今期のドラマではフジ系の『残念な夫』やら日テレ系の『○○妻』といった、結婚生活における男女の認識の違いというか、一方的に夫の意識が実際の行動と結びついていないことによる夫妻間の葛藤をテーマにしたものが同時間帯に放送されている。
どちらのドラマも夫の家庭内でのキャラクターが非常に愚かしく、ダメダメな設定をされている。
ちゃんと幸せな結婚生活を送るには『夫』の意識の向上、協力が必然!それができない夫に夫の権利はないのっ!!と言わんばかりである。
果たしてそうだろうか?夫がダメダメなのには夫個人の問題だけではなく、妻の夫に対する接し方にも問題はあるのではないか?
と、今回はその辺を振り返ってみたいのだ。
ボクは晩婚に位置するのだろう。20代~30代半ばにかけて自由すぎるほど自由に我が世の春を謳歌してきた。
食事はそれなりに自炊もできるし、洗濯は洗濯機がやってくれる。掃除はキラいだがほこりがたまるとアレルギー症状に見舞われるのでそれなりに。なので一人で暮らしていても生活上の不便はなかったのである。
しかし、30代半ばうちの相方さんと出会うことで事態が一変する。それまで特に意識していなかった『結婚』という生活様式が急激に現実的なものとなり、二人で生活を始めることになるのである。
この時点で、たしかにボクの意識はよく夫批判で言われているように『まぁ~これまでの独身生活の延長線上で二人仲良くやれればいいなぁ~』という程度に高をくくっていたのである。
これから先は、ボクの数倍数百倍しっかりもののうちの相方さんのペースに戸惑いつつも尻に敷かれていくことになるのである...。
人間、これまで自分で管理していたものや注目していたモノを他人の手に委ねることになると次第に『関心』というモノが薄れていくものである。
一人独身生活を謳歌してきた男の自由をある意味二人の共同生活というものは奪ってくことになる。当然、二人の共同生活によって新たにもたらされる歓びもあるワケで、どっちがよくてどっちが悪いという問題ではない。
ただ、男の立場でいうと『これまで自分でやってきたことを相手に委ねることで、関心が薄れていくということ』をどこまで女子は理解した上でそうしているのか?というところが問題なのである。
金銭管理の弊害
結婚において一番の衝撃だったのは金銭の管理である。
ボクの預金通帳、クレジットカードといった類は全てうちの相方さんに一括管理されることになった。
『生きていく』にはお金のほかに愛も必要だが、『生活する』だけであればお金さえあればよい。
それくらい独身男性にとってお金は全てである。お金により衣食住の全てが賄えられるのである。
それほど自分の生活を支えていたお金を全てうちの相方さんに委ねるというのは衝撃的なことなのである。
しかし、当時のボクはそんなことを真面目に思い悩んでいたわけではなく、これから始まるうちの相方さんとの人生に妄想を膨らませながら勝手にワクワクしていたので、言われるがままにあいよっ!と一式渡してしまったのだ...(^^;)ハハハ。
結果的にはこの決断は良かったのである。それまで自由気まますぎて財布の蓋がバカになっていて出て行く一方だったのを、うちの相方さんがしっかりと絞めてくれたおかげで人並みに貯金も貯まるようになったのである。
ボクが自由になる可処分所得も月々のお小遣い制となり、お小遣い内でなにを買うか、買えないものはうちの相方さんと交渉の上で購入するということを学んだのである。
金銭感覚にかんしてはうちの相方さんに感謝感謝なのである。
が、一方。家計の管理をしなくなるということは、いっさいお金に関する心配から解放されると共に、うちの家計の状況が一切わからなくなるということももたらすのである。
正直、独身時代は光熱水費の支払いやらクレジットカードの請求やらと毎月預金残高をにらめっこしていたんで状況を把握していたが、いまや通帳どころか請求書の類も見ることがないので、うちの家計がどうなっているのかさっぱりわからない。
いまのところ、貯金が貯まるくらいなんで心配は無いのだろうが、よく見聞きする『あなた、うちの家計がどうなっているのか知ってるのっ!!』と妻が夫を責めるシーンがあるが、そういう状況は家計の管理を握ったもののせいでもあるのである。
そんなこと責められてもこっちは判断材料から切り離されているし、心配のしようがないのである。
さらに先ほどのことだが、相手に委ねてしまうと人間はそれから関心が薄れるものなのである。夫をスポイルさせる要因の一つである。
家計に関する権利の剥奪により、夫は金銭管理のストレスから解放されると共に家計への関心が薄れます。
食事に関する弊害
次の指摘は食の話。
結婚をすると晩ご飯は家飯という家庭が多いのだろう。
となるとその日なにを食べるか?と考えなければならないストレスは昼飯に限られることになる。
独身時代は実家暮らしでも無い限り、自動的に食事が用意されるわけではないので、朝昼晩と常に食の心配をしなければならないのである。
それが晩飯だけでも心配の種が減るというのに、昼飯がお弁当になったらどうであろう?
ほぼ一日食事の心配をしないで済むのである。
これはうちの相方さんがお弁当を作ってくれるようになって、あらためて感じ入ったことであるが、『なにを食べようか?』と毎回毎回考えるのは実はかなりのストレスなのである。
お弁当になったことによるストレスフリーを感じて初めて、食事を考える事とはストレスをもたらしているということを実感した。
これに慣れてしまうと、いつしか夫はストレスフリーの開放感にみたされ、自らなにを食べたいかという食への関心が薄れるものなのである。
♀『今日はなに食べたい?と聞いてもなんでもいいよぉ〜しか答えてくれないのよねっ!うちの旦那っ!!』
と旦那を責めてもそれは後の祭りである。
うちの相方さんからすれば、ボクの健康と家計を慮ってのことだと思うのだが、これも夫をスポイルする要因の一つでもある。
毎食の食事の世話により、夫はなにを摂取するかという欲を満たすよりもストレスからの解放に身を委ね、食への関心が薄れます。
整理整頓に関する弊害
最後は家庭内におけるものの配置に関する話である。
昔々から、
♀『うちの旦那はなにがどこにあるか全然わかってないのよね。「あれどこいった?」「これはここでいいんだっけ?」とか言って、そんなんいつもの場所にあるでしょっ!!』
とぼやく奥さん。
ボクも独身でいるときは信じられなかった。
自分の家でなにがどこにあるかわからないとは、どんだけ奥さん任せなのか?と。
それがある日突然わかるようになったのは結婚後初めて引越をした時である。
結婚時に暮らしていた部屋は、もともとボクが独身時代最後の部屋にうちの相方さんが入り込んできた形だったため、もともとボク仕様の部屋だったのである。
なのでなにがどこにあるかはちゃんと把握できていたのだ。
そこでの生活も6年経ち、そろそろ引っ越しましょうかと新たなマンションに移ってから、ボクは何が何だか一切わからなくなった。
新たなマンションではうちの相方さんが『なにからなにまでコーディネートしたいのっ!』というので、ボクのパソコン周り以外は全部うちの相方さんのお気に召すままにお任せしたのである。
当然のことながら彼女は自分で考えて配置してモノをしまい込んだので、何がどこにあるか把握できているわけだ。
しかし、ボクは一切何がどこにあるかわからない。
特に普段一番使用する水回りはさらにわからない。
さらに彼女はちょくちょく座りが悪いと配置を変えるのである。
当然のことながらせっかくボクが把握しても場所が変わるので、またわからなくなる。
こういう事態に直面すると人間は『自ら探す』という行為のムダを省くために『有識者に聞く』のである。
つまり、なにか欲しいときには奥さんに聞いた方が手っ取り早いという判断をするワケである。
おわかりだろうか?夫がわからないのではなく、奥さんが解らなくさせているのである。
妻としての趣味嗜好で部屋を作り上げていくことになんら反論はないが、これも夫をスポイルする要因の一つである。
妻の趣向に基づいた整理整頓は、夫に自分でモノを探すということを諦めさせ、妻へ委ねることでの解決に向かわさせ、モノの配置への関心は薄れます。
おわりに
以上、夫をスポイルさせる3つの法則。
どれもこれも実は奥さんの立場からするとよかれと思ってしていることである。
そこが問題なのだ。
夫のことを思い、よかれと思ってしていることが、夫のスポイルを招いているのである。
だから、スポイルされてしまってから怒られても、だってそもそもさぁ〜ということになるのである。
夫にそのまま身を委ねられてもドンと構える肝っ玉母さんでいくか、スポイル仕切らないようにところどころで緊張感を持たせて、猿回しに徹するか、この3点を実行する際には奥さん側もよくよく考えて実行していただきたいのである。
かく言うボクは、ここ数年うちの相方さんが居なくなったら生活できる自信がない。
それだけ楽させてもらっているとともに、スポイルされてしまっているのだ。
あの独身時代の万能感はいったいどこに行ってしまったのだろうか???