目次
はじめに
ボクは活字中毒である。
活字を読むことに無上の喜びを得る性癖のため、メディアはなんであろうとかまわない。
これは、これまで何度か本ブログでふれてきた通りだ。
なので、利便性を優先するとやはり電子書籍の形態が一番便利なのである。
2010年『電子書籍元年』が盛り上がって以来、電子書籍に関してはなにかと情報収集を図ってきた。
関係者に話を聞いたり、ネット上の情報をRSSリーダーで収集したりと。
ところが、この1年くらい『電子書籍』のキーワードでひっかかる情報が極端に少なくなってきた。
巷では『もはや元年は越えた。これからは普及期だ。』という見方もある。
本当にそうであり、もはやコンテンツの拡充に向かうというのであれば、いち読者としてはありがたい限りなのである。
しかし、突然引っかかったこのニュースにボクは呆れ果ててアゴが外れたのである。
2013年の年末、この元記事である朝日新聞の記事が出たときのネットの反応としてこれまでとの違いが明らかだったのは、これまではこういった電子書籍ビジネスへの新しいアプローチが発表された際には、賛成派であれ反対派であれ嘲笑派であれ、なにがしか数日間は本記事に関する情報が飛び交ったのが、若干の批判記事はあれどあ゛っ!?という間にスルーされてしまったのである。
そして新たに正式リリースを迎えた1年後。
本記事に関してもなかなかもうみなさん食いつきはしていない状況を見ると、もはや電子書籍ビジネスそのものに諦め感があるのではないだろうか?という気が否めないのだ。
上記山本一郎氏の記事を見て、改めてアゴが外れる以上に怒り心頭ですぐにでもエントリーに書きたかったのだが、ただの国内関係者への罵倒になりそぉ〜だったンでかなり寝かして、冷静になってみた上での本エントリーである。
ちなみにボクの立場をはじめに明確にしておくと、電子書籍に関してはAmazon Kindleが続いてくれればそれでよい。
むしろ国内関係者に至っては誰も責任取らないような体勢で悪あがきをして少ない利益を食いつぶすようなことはせずに、Kindleにコンテンツをどんどん拡充させてくれるように願う一読者ですm(._.)m
今回ちと長いです。すいませんm(._.)mm(._.)m
出版・流通業界の従来モデルの限界
出版流通のインフラは『再販制度』と『委託販売』で支えられている。
出版社は再販制度により一物一価の価格が保証され、書店への委託販売により書店は在庫コストを全て負わずに次から次へと流される本を店内に陳列することが可能となる。
売れない本は書店から出版社に返品されることから、在庫コストは出版社が負うことになる。
出版社としては当然のことながら売れない本は在庫コストに直結されることから、売れる本を中心に本を出版する。
しかし、世の中の全ての本が売れ筋であるべきはずもなく、出版人のプライドである『文化の発展・継承』の心の拠り所となる社会的な意義のある本も出版せざるを得ないのだ。
これは利益を追求するべき経済原理とは違った文化原理が働くのである。
すると、出版社は年間数多出版する書籍・雑誌の中で、ごくごく一部の儲かる書籍・雑誌から上がる利益を頼りに、その他売れるかどうか解らない書籍・雑誌を作り、流通させるという、いわば博打のようなビジネスを展開する。
単に売れる本だけ作って売れば良いという経済的な割り切りが出来ないのが、すぐに『文化』を持ち出すこの業界の難しいところなのだ。
国内で電子書籍ビジネスがなかなか右往左往するのは、実はこの出版人が持つプライドの拠り所『文化原理』が邪魔をしているようにボクは思う。
いっぽう、書店は経済原理を働かせるために、限られた店内の棚を有効に機能させるためには、売れ筋の書籍・雑誌を多く仕入れ、できるだけ返品が少ないモノに限定して利益を得ることに向かうことになる。
結果どうなるかというと、どこの書店も同じような棚構成、商品構成にならざるを得ず、駅前商店街の小さな書店よりも、郊外の大規模書店の方が規模の経済が利いて有利になっていく。
すると、書店のチェーン化、統合大規模化が図られ、何処に行っても同じような書店、棚構成といった書店のコンビニ化現象が現れ、それが書店の持つべき文化的な矜持なのかっ!!!
と本好きにドヤされることになるわけだ...(^^;)ハハハ。
小売りの書店の世界でも『経済原理』と『文化原理』は相容れない。
そもそも『読者』といわれる存在が一定層存在し、『読書』に時間を費やすことを厭わないということが幻想なのである。
『なにはともあれ読書好き』という層はマジョリティにはなり得ない。
マジョリティは読書以外の娯楽に時間を費やすモノなのである。
これまでの出版社が読者と認定していたマジョリティは、ごくごく一部のベストセラー作家の書籍やマンガ・情報誌にお金を費やすことから、携帯、ネットやゲームといった読書以外の娯楽に時間を費やすことにシフトしていったため、当然のことながら出版社の利益を確保してきた利益源泉が圧縮され、出版市場の縮小が始まったワケである。これはなにもここ2、3年の話では無い。
流通を通じた出版社の思惑と書店の思惑は微妙に異なるのである。
市場縮小の代替手段を電子書籍に求めるならば、両者の関係を見直さざるを得ないことにいい加減気付くべきである。
電子書籍ビジネスへの誤解
このように、出版社も書店も体力を年々奪われ続けて来た中で、2010年誰が言い出したのか『電子書籍元年』!という生まれながらのバズワードが三度持ち出されたのである。
ボクはこの出だしからして電子書籍にとっては不幸だったと思う。
なぜなら、この電子書籍に飛びついた出版業界、出版流通業界そのものにすでに体力が無かったからである。
年々、市場が縮小し利益が圧迫されるこの業界の中で、新たに電子書籍のためのプラットフォームを作り上げる投資体力のある企業があっただろうか?
制度やコンテンツの問題は2010年以降、議論が繰り返され具体的に整備が進んできたが、業界関係者が挙って声を荒げる『黒船Amazon』に対抗すべきプラットフォームはできあがるのか?
これはそもそも無理があるのだ。
ネットのビジネスでは『小さく初めて実績を上げて、徐々に投資をして大きく育てる』というような時間の余裕はまったくない。
期を見て一気に投資、もしくは体力のある企業にアイデアを売り、一気にパイを増やしてアーリーマジョリティからレイトマジョリティの一部までを囲い込むことでNo.1を狙うモノである。
そうして、事業を確立させてそのネットのインフラをさらに利用して新たなコンテンツを巻き込み、さらなる事業展開を図る。
まさに、Amazonはネットでの書籍販売から立ち上げ、生活用品や家電と扱う商品数を拡大し、そのために拡張したハードウェアの余り部分を有効活用するために社外にもクラウドリソースを貸し出すサービス(AWS)、クラウドビジネスを新たに作り上げることで、さらなる収益モデルを展開する。
電子書籍で言えば、紙の書籍の販売にあたってよりユーザビリティを高めるために『なかみ拝見』のようなちょい見せサービスを開始するためにデジタル化を進めるといったことの結果が、Kindleサービスなのである。
彼らはKindleサービス展開のために一からインフラを整備してきたわけでは無い。
これまでの事業の積み重ねの結果と、自らのリソースの有効活用の結果を組み合わせたところにいまのKindleサービスがあるのだ。
これに対抗するとして一から全てのインフラを整備するような余裕のある企業は楽天くらいであろう。まぁ、案の定楽天はKoboを展開してますが。
また、アメリカでは大手書店であるBarnes & Nobleが業界からのKindleへカウンターとしてNookビジネスを展開したが、やはり書店というインフラ活用ありきでは限界があるのか、マイクロソフトとの提携も解消されてしまった今は先行き不透明である。
誰がためにBoocaは或る?
このような国内出版・流通業界事情を踏まえ、ネットビジネスに通じた電子書籍プラットフォーマーに真面目に立ち向かうことを考えて出した答えがこれなのかっ???
まさか、2013年年末以降の実証実験から、マジで本格サービスにするとは思いもよらなかったのだ。
ということでようやく本題である。
枕が長々ですいません。
前出の日経新聞2/27付けの記事によると、
国内の書店や出版社100社超が電子書籍の共同販売に乗り出す。出版社が相乗りして、電子書籍を販売する専用コーナーを書店各社の店頭に設けて需要を喚起する。対象となる電子書籍の種類を早期に10万まで増やす計画。アマゾンジャパン(東京・目黒)が先行する電子書籍の市場で、出版・書店業界のライバル企業が協力して事業を広げる。
書店には顧客が選びやすいように電子書籍のカードを豊富に並べる
当初の参加企業は、書店が三省堂書店や有隣堂など4社、電子書店の運営企業は楽天と凸版印刷傘下のブックライブなど。出版社は講談社や小学館、KADOKAWAなど三十数社が加わる。3月以降に順次始める。
近く各都道府県を地盤とする有力書店や他の電子書店も参加する。参加企業は100社を超える見通しだ。
これを見てアゴが外れた後に、アゴをはめ直しつつ率直に感じたことは以下の通り。
顧客は誰なのか?
まずはいったいこのビジネスモデルの『顧客』とはいったい誰を想定しているのか?ということである。
まず、電子書籍をすでに普通に購入している層、ヘビーな読者層というモノは自分の贔屓な電子書籍書店から買っている。したがって、その層は除外であろう。
書店に出向き、読みたい本を探す層。おそらくある程度読書の趣味はあるが、率先して電子書籍を購入するまでも無いという層に向けて、たまたま書店に行ったら、電子書籍でも買えるモノがある。せっかくだから買ってみるか。
この辺りの顧客を拾い上げるのがせいぜいでは無いだろうか。
だとしたら、なぜいちいち一冊の本毎のBoocaカードを購入させる必要があるのだろうか?
わざわざ書店まで出向いて本を探す層のごく一部を電子書籍へ誘うためだけに、わざわざ電子書籍カードを買わせるビジネスをどれほどの市場規模と見積もったのか、まったくもって意味がわからない
Boocaというサービスのプリペイドカードを書店で扱うということで十分なのではないだろうか?一枚一枚既成の書籍毎にカードを作る意味がわからない。
すでに紙の本の世界では図書カードというものがあるのに。
なぜ、紙の本は図書カードという汎用的なカードで電子書籍は買える本が固定なのだろうか?
このサービスの動線はどういう顧客を対象としたものなのか?
紙の本を購入するときに、読者は書店に出向いて購入したり、ネット書店で注文する。
電子書籍を購入する際には、これまではネット上の電子書籍サイトで決済し、ダウンロードしていた。
そこに新たに、電子書籍を購入するために書店に出向き、電子書籍カードを購入してダウンロードするという動線が引かれることになる。
この動線がまったく意味がわからない。すでに電子書籍ユーザであるイノベーター、アーリーアダプター層はおそらく対象外である。
アーリーマジョリティからレイトマジョリティの大半に関しても、おそらくは専用電子書籍端末を購入するまでは行かずとも、すでに持っているスマホやタブレットを通じて、通信キャリアが提供する電子書籍サービスに手を出しているだろう。
このニュースリリースに書かれているネットサービスでの決済の煩雑性という部分の大半は通信キャリアを通じての決済手段でほとんど解決されているのだ。
となると、最後に残されたレイトマジョリティの一部からラガードを掘り起こすためのサービスでしかないのではないだろうか?
さらにはそうやって見出した顧客もBoocaで手慣れた後は、ざわざわ書店までBoocaカードを買いに足を伸ばさないだろう。利便性になれた顧客はネット上の電子書籍サイトに足を向けるはずである......。
そもそもそこまで広く普及しているとも思えない電子書籍ビジネスの中で、そんな最後のリーチ先まで見通したような戦略を立てる余裕があるのだろうか?
タダでさえ年々利益が縮小してジリ貧の業界なのに......。
顧客に幅広いデジタルコンテンツを提供できるのか?
Boocaの電子書籍カードは書店に陳列するものだという。
イメージ的には家電量販店でのSDカードのカード陳列や、プリンターカートリッジのカード陳列をイメージしとけばいいだろうか?
となると当然、委託販売制度の中で限られたスペースで最大利益を追い続けなければならない書店にとって、大切な『棚』というリソースをBoocaカードのために割かねばならないということになる。
紙の本ほどの表紙面積は取らない小さなカードにせよ、書籍と違って棚に並べるという陳列はカードでは出来ない。小さいながらもカードの表面を顧客に向けた陳列をしなければならない。
また、カード面積が小さいだけに床から天井まで一面を使ったところで、床の辺りや天井辺りでは顧客は判別も出来ないことから、ある程度顧客の目に付く高さにカードを陳列せざるを得ない。
となると、書店側はある程度売上げが見込める書籍のBoocaカードを陳列するに止めるだろう。
また、紙の本は再販制度の対象であり続けているが、電子書籍は再販制度の対象外である。
例えば、最初1000円で売られていた『A殺人事件』のBoocaカードが、例えばAmazonではセールで500円で売り出したとき、書店側もしくは出版社側でシステム的に価格改定することは可能なのだろうか?
また、紙の本は委託販売なので売れなかったら返品の対象になるが、仕入れたBoocaカードが売れなかったとき、Boocaカードは返品の対象になるのだろうか?
場所を出版社に貸すことで儲けを出さなければならない書店にとって、この博打は受け入れられるものなのだろうか?
なにより、リアルな書店は書店ならではの利点があるである。それはネット書店では出来ない現物の見定めである。また思いもよらない偶然の出会いのシチュエーションでもある。
紙の本ではそれが唯一の利点であるにも関わらず、Boocaカードの陳列の制限から、電子書籍でも販売しているのに、物理的な陳列の都合で該当本のBoocaカードは置いていないなどというケースは多々発生すると思われる。
こうなると、当初の思惑はどこへやらで本ビジネスモデルの意味合いそのものが否定されることになるのだ。
出版・流通業界はよくよく顧客を再定義するべきである。
以上、ツッコミ始めると素人でもツッコミ処が満載過ぎて、業界大手が揃いも揃って一体なにをやりたいのか全く解らない。
現実のビジネスモデルがそのままネット・デジタルコンテンツにも通用していたのはせいぜい前世紀までの平和な時代の話である。
先に述べたが、いまやネットビジネスを利用するには現実のビジネスモデルを再編した上で考えるしか無い。
リアルとネットのビジネス最大の違いは『流通』が変わるということである。対象がデジタルコンテンツとなれば、さらにそれは顕著なのだ。
例えば、『電子書籍=文化的な書籍の電子化』という文脈から離れてみると、ドコモの『dマガジン』は現時点ではかなり可能性の高いモデルであると思う。
利用者は月額400円で登録雑誌100誌を読み放題。
決済はドコモユーザであれば月々の通信料の請求と同じ決済で済む。
雑誌というものはフロー情報である。週単位、月単位で次から次へと発行されていくものだ。
読者は隅から隅まで読み込みヘビーユーザも中に入るだろうが、基本すべてというよりも気になった記事を注力して読み、後は惰性で読み続けるモノである。
しかも次から次へと溜まっていくものだ。
これを手軽に電子雑誌として読めるということは、非常にデジタルコンテンツとして向いているモデルである。
これはなにもAmazonに対抗して国内大連合を結成して推進してきたものでは無い。
前述の通り、プラットフォーマーであるドコモが自らの土管の利用を拡大するためにコンテンツを拡充していく中で立ち上げたものだ。
ここにこれまでの業界慣習である、
『出版社』、『出版取次』、『書店』といった出版流通の雁字搦めの既得権益は存在しない。
一方で、これまでの既得権益構造の中で物事を考えると、Boocaの他にもこんなことを考え出す始末。
これではあくまで電子書籍はオマケの世界である。
まだまだ電子書籍はPR状態なのである!ということであれば、一つの方法かもしれないがなんか、これをまたいちいち論考するのも面倒くさくなってきた...(^^;)ハハハ。
業界関係者自らが、『文化的な文字主体の書籍の電子化=電子書籍』のビジネスを本気で立ち上げたいのであれば、この従来の頸城を断ち切った上で、『顧客』をどうやって振り向かせるのか?顧客の立場、動線をよくよく検討し直すべきである。
そもそも、情報誌やマンガの読者を除けば、今も昔も『文化的な文字主体の書籍』の読者がもたらす利益は業界の中で限られた話であり、むりやり電子書籍というビジネスを儲からない『文化的な文字主体の書籍』の電子化を主体にビジネス化することの限界を認めてはいかがだろうか?
売ってくれるプラットフォームがあるのであれば、なにも自らコントロールするために余計な投資をするまでも無く、広くコンテンツを流してくれればいいだけの話である。
改めてボクの立場をいうと、ボクはKindleで十分である。Amazonが国内でサービスしてくれている&市場の優位性を逆手にとって利便性を損なうようなことさえしない限りは(笑)
以上、長くなっちゃってすいませんm(._.)m