ボクは洋食屋さん好きである。
実家の町は地方とはいえ企業城下町だったため、徒歩5分圏内にある商店街や駅前は当時はそれなりに栄えており、美味しい洋食屋さんや喫茶店、当時としては珍しい2階建ての大規模書店など、後のボクの嗜好を決定づける要素に満ちていた。
そんな環境の中で育ったボクは幼ながらにもいつのまにかフォークとナイフの二刀流を覚え、洋食メニューの味を舌の記憶に刻んでいたのである。
舌の記憶は恐ろしい。幼児期に食べたものの記憶は美味しいとか不味いとかいう観点ではなく、ダイレクトな体験感覚として強く脳裏の奥深くに刻まれる。
斯くして『洋食好きなボク』という性格が現在の意思とは関係なく脊髄反射で発動されることになるのだ。
大学入学とともに上京したボクはまずは情報誌の情報を元に、都内の有名洋食屋さんを巡ることにした。
いろいろお邪魔した中でもその後リピーターとなったのは、
- 浅草のヨシカミ
- 銀座のグリルスイス
- 新宿のアカシア
この三店は都内の洋食屋さんとしては基本中の基本であり、鉄板でもある。
中でも一番のお気に入りは銀座の『グリルスイス』さん。
中央通りの一本奥にあるグリルスイス。世間的にはこの2軒先にある煉瓦亭のほうが有名なのかもしれないが、ボクにはグリルスイスの庶民的で男子好きのメニューに溢れたグリルスイスさんの方がお好みである。
状況以来のお付き合いなので、このグリルスイスさんとはかれこれ四半世紀のお付き合いとなる。
お店の入り口は当時となにも変わらない煉瓦壁に赤と白の看板の佇まいである。
が、お店のメニューや内装はちょいちょい変わってきている。
それと変わらないのは、当時も今も接客と会計をやっていらっしゃるおかみさんである。
当時すでにおばあちゃんだった気がするのに、いまだにご健在とはいったいいまおいくつなんだろう?声の張りもありお元気で何よりである(笑)
そんなグリルスイスさんに先日の東京出張の際に、引越以来1年以上ぶりくらいに寄ってみた。
入り口を開けると、それまで二人掛けのテーブルが二つ壁際に設置されていたところが、カウンターになっていた。
やはり時代の移り変わりなんだろうか?銀ブラのついでに食事にくる夫婦、カップルよりもお一人様が増えたのだろう。
ボクもこの時はお一人様だったんで、カウンターに着くことにした。
久々に来てみるとメニューもだいぶ整理されていた。
たしかにこの十年くらいは徐々にメニュー数を絞ってきた感がある。
一押しのカレーを中心にランチと揚げ物がメインのメニューとなっている。
ちょっと前までは揚げ物の単品メニューもあったのにそれがついに無くなってしまったっ!?
それといつの間にか無くなってしまったのが、今で言う煮込みハンバーグに通じる『銀座バーグ』!
これが無くなってしまったのは悲しぃ〜限り。
それと、無くなってしまったモノに『ビーフコロッケ』がある。
これはコロッケ=じゃがいもという定石を覆すモッチリとしたホワイトソースを使った裏定番メニューともいえる逸品だったのだ。
それがいつの間にかじゃがいものコロッケに変わってしまったことはさらに悲しぃ〜限り...(T^T)(涙)
懐かしさでテンション上がりましたが、気を取り直して(笑)
なによりここ『グリルスイス』さんといえば、カツカレー発祥の地!!!
ボクの世代よりも上の世代になりますが、当時のジャイアンツの背番号3、故千葉茂氏がカレーも喰いたい、カツも喰いたい。お腹が持つように一緒に出してくれ!と言われたのがどうやら最初と言うことらしい、グリルスイス伝説なのであります。
ということなんで、ここ『グリルスイス』さんに来てメニューに迷ったら、とりあえず『千葉産のカツカレー』を注文してください(笑)
注文するとまず出てくるのがこのセットのスープ。
毎回毎回かなり暑いんでよくよく冷ましてからお召し上がりください。
ポタージュでもなく、いわゆるクリームスープでもなく、ホワイトソースを薄めて塩胡椒で味を調えたよぉ〜な素朴な味わいのスープ。
これがまたいぃ〜ンです。ここでしか味わえない素朴なスープで胃の粘膜を調整しましょう!
して、『千葉産のカツカレー』がこちらっ!
いまでこそ白いお皿に盛られて清潔感がありますが、昔はアルマイトの食器でさらに洋食屋さんか増し増しの佇まいでございました。
個人的には雰囲気は昔のほぉ〜が昭和っぽくで好きだなぁ〜。
カレー部分。オムライスの型に詰めたご飯にドロッドロで甘くもなく辛くもない丁度いぃ〜感じのルーがかかっています。
当時はこのカレールーがドロドロッ!?というのが衝撃でした。
そしてカツ。
普通のカツカレーに比べて千葉さんのカツカレー、通称『千葉カツ』のお肉はボリュームアップ!
約1cmの厚みのあるロース肉をパリパリの衣に絡めてラードで揚げたカツは絶品です。
して、これまでのボクであればあぁ〜千葉カツやっぱ旨いなぁ〜で終わりなんですが、この千葉カツの各パーツをよくよく見てみると...。
今は白いお皿であるモノの、以前はアルマイトのお皿に、ドロッドロのカレールー。
そこにロースカツを載せて、お皿に一緒にキャベツを盛る。
これって.........そう!金沢カレーの要素をほぼ満たしておりまするっ!?!?
さすがに先割れスプーンではないものの、金沢カレーの各店舗でも先割れスプーンで食すのはごく一部、たいていフォークとスプーンだとすれば、ここグリルスイスさんもフォークとスプーンである。
見た目の違いと言えば、ロースカツにソースがかかっているかいないかくらい。
これはどういうことなんだろう?
グリルスイスのカツカレーの御生誕は、先ほどのジャイアンツの故千葉茂氏の要望で昭和23年(西暦1948年)に登場!
片や金沢カレーとなると、NAVERまとめによると、
その歴史が始まるのは、
1961年 3月 限チャンピオンカレー創業者 田中吉和が高岡町に洋食タナカを開店
とある。この洋食田中の誕生を契機とするならば1961年が金沢カレー史の始まりとなる。
しかし、それ以前後の金沢カレー店の創始者それぞれが昭和35年頃(西暦1960年)にレストラン・ニューカナザワのチーフコックとして同じ厨房に集っていたということは、1961年以降の独立以前になんらかの形でレストラン・ニューカナザワでは今の金沢カレーに通じる原型のカレーが提供されていたと考えるのが普通であろう。
となると、それはいつ頃からなのだろうか?
カツカレーの誕生が銀座グリルスイスにて1948年。その後干支が一周りする頃の1960年前後には同じようなレシピが金沢市内に流通していたとするのならば、そのミッシングリングはどこにあるのだろうか?
残念ながらネット上にはこれらの関連性を裏付けるような情報は存在しない。
ボクもただ単に『カレーにカツを載せたカツカレー』というだけのモノであるならば、そんな関連性を疑うまでもないのだが、どうしても両者ともに黒くてドロドロッとしたカレールーという部分が引っかかるのである。
果たして銀座で生まれたカツカレーはどのように北陸・金沢の地に渡っていったのであろうか?
幻の『カツカレーロード』とはいったいどこに存在するのだろうか???
ムーな方々に新しい宿題です(笑)