歴史というモノには表の歴史もあれば裏の歴史もある。
征服された側の被征服者の歴史は決して文字となり後世に伝わることは無い。
これは古今東西どこの地域でも同じことである。
万世一系の同一王朝が続くとされている我が国の歴史も同様である。
本書は被征服民として山海に散りつつ脈々と昭和の時代までその血脈を繋げてきたとされる『サンカ』の千年に及ぶ歴史を綴ったモノである。
もともと歴史好きなボクは、歴史の中の時代時代の節目になると、チョロッと顔を出したり引っ込めたりするどうも体制に組み込まれていなさそうな集団に興味を持ち始めたのはずいぶん昔の話である。
これはなんだ?と明確に意識したのは、現実の世界にまさに『歴史』を目に見えるモノとして現れた昭和天皇の大喪の儀のときだった。
当時マスコミを賑わせた『八瀬童子』の存在である。
現代においてもなお、脈々とその歴史上の役割を担わされている人々がいる。
以来、歴史モノの書籍を読むにしてもその裏その裏を気にしながら読み進めるようになった。
思えば、この日の本の国の出来上がりからおかしいのである。
日本には天津神と国津神の2つの神さまがいることになっている。
日本神話では国津神から天津神に『国譲り』が行われ、天照大神を天孫とする集団が日の本の国を治め、万世一系の同一王朝として現在に至ると。
神話の時代から歴史の時代となり、大和王朝を立ち上げた後には熊襲、蝦夷といったまつろわぬものを征服してその版図を広げていく。
神話時代の国津神にしろ、大和におけるまつろわぬものにしろ被征服者である。
そんなまつろわぬものを征服し、管理下に置いていくことがこの日の本の国の歴史として残されているのである。
しかし、その歴史の中で一瞬の輝きと共に消えていく奇妙な集団が垣間見られる。
平将門・藤原純友の乱での両雄、源平合戦時の瀬戸内海の水軍、南北朝前後における楠木正成等の悪党、室町という中世では後の日本文化となっていく能、猿楽、茶といった芸事を生業とする流浪の民が歴史の中にその姿を見せ始める。
これら土地に縛り付けられない芸事を中心とした流浪の民と共に、管理対象を逃れた民もその血脈を細々と繋ぎながら影で表の歴史を支えていく。応仁の乱以後、戦が通常化する中で力だけでは生き延びられず、『情報』というものが戦の勝敗を分けて行くにつれ、その『情報』をもたらす集団を抱えることが生き延びるために必要となってくる。草の者たちの生業である。中日本を中心に山深い山々を抱える武田、上杉、北条といった戦国大名はそれぞれお抱えの草の者を放ち、周辺のライバルたちの情報を元に生き残りをかけていく。後の伊賀者、甲賀者、柳生といった一族である。
当然のことながら戦国初期の北条早雲・斉藤道三といった出所不明な下克上戦国大名というモノはその辺りの血脈に通じたところがあるのであろう。戦国末期の羽柴秀吉の出世街道の始まりを支援した川並衆と羽柴秀吉も同じ匂いを感じる...etc。
こういった、体制に組み込まれておらず、反体制側として積極的にもしくは反体制側に利用されて担ぎ出されてきた集団は、どれも山の民、海の民として虐げられてきた被征服民の流れである。
そんな時代の境目に登場し、ダイナミックに時代を変えていく原動力と結果的になっている『まつろわぬもの』の歴史を通史で読んでみたいと思っていたところに、『サンカ』と呼ばれ、つい最近の昭和の時代まで国内の山々を漂流してくらす民が居るということを知り、本書『サンカの歴史』を手に取ったのである。
最初に、本書自身の感想を言ってしまっておく。
本書だけなのか、この作者である八切止夫自身の文体なのかは、これ一冊しか読んでいないのでわからないが、とてもではないが、作者の文章は日本語として読めたものではない。
日本語を母国語としないへたくそな海外の翻訳者が無理矢理日本語に翻訳したような文章なのだ。
なので、ほぼ全編にわたってまず日本語の文章として成立していない。
公に出版する書物として、このレベルの文章のまま出版させるとは出版社としてもどうだろう?
とてもではないが、内容は置いておいてもお金を取れる文章では無い。
文頭、作者は病気に伏せっていたばかりで息も絶え絶え辛うじて鉛筆1本を握りしめて本書を書いたと、その寿命と使命感との切羽詰まった状況を告白しているが、そのような半分朦朧とした状態で筆記したためにこのような非常に崩壊した文章になってしまったのだろうか?
であれば、校正の段階で出版社が手を入れてもよかったのではないか?
もしくは、鉛筆を握りしめる力もなくなり、口述筆記で起こしたものなのだろうか?
にしても、やはり校正段階でどうにかするべきである。
『サンカ』に関して作者である八切止夫はかなりエキセントリックな方であるらしい。
である以上、半分以上はムー的な感性、思い込みも入っているだろうが、それを差し引いても、いちおう日の本の国における原日本人でありながら被征服民ととして、山の中、歴史の奥底に追われていくサンカの千年に及ぶ歴史が垣間見られる内容である。
が、やはり本書は出版物としてはその文章の崩壊故に成立していない。
作者はあとがきで本書を理解するには3回以上読み直すことを推奨しているが、内容以前に文章が成立していない故に、何回も読み直すような気持ちには慣れないだろう。
内容豊富でオモシロいだけで、この文章力の無さが非常に残念である。