すでにとっくの昔に下半期は始まっており...。
中長期戦略の見直しだの、来年度事業計画策定に向けての下準備だの、数字!数字!!数字!!!と何かと喧しぃ〜時期なのです...。
今年度事業計画も振り返ると数字を気にすることなく生き生きしていたのは第一四半期まで...。
夏も過ぎると今年度の着地が恐ろしくて気軽に泊出張もできず、まだ夜明け前に金沢の家を出て、この日は朝6時金沢発の北陸新幹線で豊洲詣でなのでございました...(^^;)ハハハ。
朝早いからといって、新幹線内でしっかり熟睡できるほど若くはないボクは、頑張って目を閉じ続けてもせいぜい1時間半が限界。
眠ぃ〜腹減ったぁ〜と這々の体で東京駅に着いても、まだ8時半過ぎ。
打ち合わせは10時からだったんで、それまで豊洲のビルの下のプロントでなんか食えるかと思って山手線に乗ったら、
『車両故障のため有楽町線は現在運転見合わせ』との非情なる情報が...。
とりあえず、せっかく朝一で上京してきたんだから、打ち合わせに間に合わないなんぞありえないワケで、だったらまだ時間あるから新橋からかもめに揺られよぉ〜か?と遠路遥々迂回して豊洲行きと相成りましてございます。
めっさ久々に乗ったゆりかもめで驚いたのは、あの使い勝手の悪いボックスシートじゃなくなってたのね?
普通に横並びの座席に変わっておりました。
新橋から汐留、竹芝、芝浦と抜けて、虹橋に繋がる例のグルグル。
嗚呼、虹橋でございます。
虹橋の道中はついに天井まで柵に覆われるよぉ〜になったのね?
最初なぁ〜んも柵がなく、トラックの荷物がゆりかもめの線路上に転がり込んできたり(笑)
そのあと左右に柵はできたんだけど、天井まで覆いかぶさるとは...(^^;)ハハハ。
なんか息苦しぃ〜虹橋道中に変わってました。
虹橋を渡ると、懐かしき『箱庭の街』お台場。
何を隠そう、隠してませんが、うちの相方さんと結婚するにあたり、池袋文化圏に引っ越すまで、ボクは11年間この箱庭の街で暮らしていたのです。
今でこそ東京観光の一大エリアとしてお台場を含む臨海副都心がメジャーになってはおりますが、ボクが移住したのは臨海副都心オープンと同時のまさに移民第1期。お台場移民一世だったのです。
さらにいうと、春の一斉オープン前の1年前から、テレコムセンターだの台場・青海・有明の3つのフロンティアビルの建築現場に通っていたンで、ある意味移民の誰よりも早く、この箱庭の街の申し子なのでございます。
嗚呼、虹橋が神々しくございます。
臨海副都心オープン当初、オープンにしてすでに廃墟と化していたことを知っている人が一体どれほどいることでしょう?
都民住宅、公社、公団のマンションに移り住んだ移民一世たちが、お台場に降り立った頃、そもそも予定されていた『都市博』の開催とともに華々しくオープンするはずだったこの箱庭の街は、いじわる婆さんな都知事の公約とともに都市博が中止と相成ったため、広大な土地にはなんも建築物が建つこともなく、ただの空き地が広がるだけの捨てられた街でございました。
当時、お台場近辺にあった商業施設といえば、お台場海浜公園駅前のマルエツとそもそも13号地と呼ばれていた頃から海岸にあった食堂、ボクの住んでいた公団の1階、当時レインボーストリートとかふざけた名前の通りに有った今は亡き三笠会館のレストラン、それにDECKSくらいなもんだったのです。
まさに移民一世の生命線はマルエツに握られていると言っても過言ではない過酷な状況だったのだ。
それが、1年経った頃のゴールデンウィーク。世間は不況のあおりでレジャーは安・近・短が合言葉になり、そぉ〜いえば近場のあの空き地はどぉ〜よっ!
とあれよあれよと言う間に何もない空き地の箱庭の街に人が押し寄せるよぉ〜になったのです。
その年、例のまん丸球体のフジテレビも引っ越してきて、青海地区にはヴィーナスフォートが出来上がり、以降は2年遅れた再開発とばかりにボコボコ空き地に建物が立ち並び、今の臨海副都心の形となっていったのでございます。
嗚呼、懐かしきは空き地だらけの箱庭の街......。
学生時代は品川のほぉ〜から東京港トンネルをくぐり、ここから抜け出して13号地まで夜中のドライブが定番でございました。
当時はお台場砲台のところで、夜明けにどら焼きをフリスビー代わりに飛ばして遊んでおりました。
嗚呼、あの頃が懐かしい...(^^;)ハハハ。
ちなみにこの船の科学間は臨海副都心オープン以前から開業している老舗中の老舗です。
ヴィーナスフォートに隣接する東京レジャーランド。
ヴィーナスフォートができた頃は、本格的な建築物じゃないから10数年の期限付きの開業だとかなんとか言ってたのに、もぉ15年以上経ってるけど大丈夫なのか???
青海地区をぐるっと回って有明へ。
この辺は一番最後までほぉ〜っておかれたところで、オープン当初はこの写真の左側に写っている有明フロントビルとその隣のTFTビル。
それに今ではコミケの聖地、国際展示場くらいがポツンと建っているだけでした。
それが、病院やらホテルやら一丁前の街らしぃ〜施設がボコボコ出来ておりますなぁ〜。
そんな有明地区を経由して豊洲埠頭へ。
臨海副都心自体は、お台場、青海、有明と順番に開発が進み、結局当初の計画から10年経ってヨォ〜やく本来構想とは違うにしろ、それなりの開発が終了し、今や開発のメインは豊洲埠頭に移っております。
こちらはまさに築地市場の移転をメインにそこかしこで絶賛工事中!(笑)
まるで、ボクがお台場に移民したオープン当初の臨海副都心のヨォ〜なあき地と、建築現場のプレハブ。
そして空き地には建築関係者用の広大な駐車場と。
なんか懐かしゅ〜ございます。
この光景...(遠い目)。
そぉ〜こぉ〜しているうちに終点、豊洲駅でございます。
なんか、久々のかもめとかもめの車窓から眺める臨海副都心の全てが懐かしく、この街を後にしてもたくましく育っている街の姿に時代の流れを感じたちとした小旅行でございました。
当然のことながら打ち合わせには間に合ったわけですが、打ち合わせのフロアに着くや否や、ボクが山手線の中で『有楽町線運転見合わせ』のお知らせを目にした頃には、すでに有楽町線は運転再開していたとの部下の発言...(; ;)ハラリ。