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これぞ黒船の最終兵器?Kindle unlimitedついに上陸!?
2016年8月3日。ついにAmazonさんのKindle unlimitedが国内サービスを開始した。
ボクのRSSリーダーに溜まってくるエントリーもおかげで、8月3日からなにやら賑々しいのである。
2010年、AppleのiPad投入で何度目かの電子書籍元年が騒がれて以来6年強。
これで、電子書籍がらみの黒船騒ぎも終了かと。
本来だったら、iPad以前のGoogle Books論争こそが、出版流通の電子コンテンツという次へのステップをどうするか真剣に考えるチャンスだったといまだに思っているが、どうもその後の流れとしては、そもそも論は見なかったことにして、iPadで騒ぎ、Kindleで騒ぎ、結局黒船を敵役にしてその間に張りぼての国内ビジネスモデルを突貫工事で作ってきたのが国内出版流通業者のこの6年だったのではないだろうか。
Google Books論争を結局著作権絡みの話だけに矮小化して、なかったことにしてしまったおかげで、過去のコンテンツは捨て置き、これからの電子コンテンツをどうビジネスとして立ち上げていくか?という方向に終止してしまった。
そんなとりあえずの目前のビジネスチャンスだけを黒船に持っていかれないように、慌てふためいていた6年の間に、黒船さんは同じ期間、自らのビジネスモデルをブラッシュアップしてプラットフォーマーとしての位置づけを確固たるものにしてきたのである。
その上での、Amazonさん満を持しての今回のKindle unlimitedだ。
活字中毒患者はKindle unlimitedに魅力を感じるのか?
他者に自慢できるものといえば『活字中毒患者』であることくらいには活字依存症であるボクとしては、『読書』という娯楽は他に類を見ない娯楽であり、紙の本に限らず2010年以降は人並み以上に各電子書籍サイトで電子書籍を購入し続けているワケである。
中でも、Amazonさんが本格的に国内でKindleサービスを開始して以降は、わざわざKinoppyやhonto、BookLive !で購入した電子書籍をわざわざKindleで買いなおすほど、Kindleにわが財布の中身と時間を費やしてきた。
Kindleのボクのライブラリは途中でコレクションの整理をやめてしまったが故に、棚の整理が崩壊した本棚のごとく、何の本があるのかさっぱりわからない状態になるくらいには大量のKindle本であふれている…(^ ^;)ハハハ。
購入した本にたどり着くためには、おぼろげながらの記憶力を頼りとしたKindleでの書名・著者名検索だけである(笑)
それほど、Kindleサービス開始後のわが人生はKindleサービスに依存しきっているのである。
そんなボクであるがゆえに、Kindleサービスの最終兵器、定額読み放題のKindle unlimitedが国内サービスを開始した日にゃぁ~脊髄反射でポチッるのだっ!ムフゥゥゥ~と鼻息荒く待ち構えていたのである。
がっ!?朝起きてRSSリーダー上に溜まっていくKindle unlimitedサービス開始のエントリーの数々を斜め読みしていても、ついにボクの指が脊髄反射を起こすことなく数日が経つ……。
いったいどぉ~したことか?と。
『読み放題』ほどボクの性癖にマッチしたサービスは見当たらないはず。
なのに?なぜ??歯を食いしばることもなくボクは泰然自若としてスルーしているのだろうか?
『放題』系サービスは可処分時間の奪い合い。『ながら』でどれだけ利用機会が増やせるかなのでは?
Kindle unlimitedに関するエントリーも開始当初のウェルカム的なエントリーから、徐々に否定的とまでは言わないものの、どこまで浸透するか懐疑的だったり、サービスのここがイヤっ!的なエントリーが増えてきた。
この手の『放題』系なサービスの場合、よくよく自分のライフスタイルを振り返ってみないと、けっしてサービスは悪くないのに、後悔するだけのことになる。
それは、その『放題』が対象とするコンテンツの消費に『時間』がかかるかどうか?ということ。
たとえば、コンテンツ『放題』系のサービスとしては先行する定額音楽配信サービスがある。
これは以前何度か本ブログでも触れたが、他のコンテンツに比べて音楽は明らかに『放題』系サービスとして圧倒的なアドバンテージが存在する。
それは、音楽とは『ながら』で消費できるコンテンツだからである。
その時々、場所、気分、相手によって使い分け、主に消費するコンテンツとしても音楽は有用だし、別の作業をしていても音楽は流しっぱなしと副次的に『ながら』で消費できるコンテンツとしても有用であるからだ。
それに比べてテキストはどうか?
本、書籍、電子ファイルと呼び変えてもいいが、各パッケージに書かれた一文字一文字の連なり、文章、テキストというものは、文字を認識し、文章を理解して、エモーションが発動するといった、一連の流れが必要なコンテンツであり、『ながら』では消費できないのである。
であるが故に、Kindle unlimitedがいくら『読み放題』であろうとも自分が読書にかけられる時間には限界があり、その可処分時間の中でどれほどの時間をKindle unlimitedに消費できるか?という算段が必要になってくるのだ。
一ヶ月におけるコンテンツ消費への投資が980円より高くなるか?安くなるか??がまず第一の金銭的な判断となり、その980円の中で読みたくなる本のラインナップがどれほど充実しているか?ということが第二の判断基準となりえる。
ちなみに、まだKindle unlimitedのラインナップを十分検証していないンで、なんともいえないが、それ以前に購入したKindle本が積読状態で積み上がっており、それの目処が立たないことには新しい本にも手を出す余裕がないのが現在のボクの事情である…(^ ^;)ハハハ。
サブスクリプションサービスを『所有』と勘違いしてはいけないのである。
『ながら』でコンテンツを消費できない以上、限られた時間でKindle unlimitedを最大限活用するには、それなりの動機が必要にある。たとえばラインナップ。
新刊はもちろんのこと、参加する出版社の網羅性など。しかし、これはスタート当初は望むべくもないだろう。
Kindleが国内スタートしたときと同様で、出版各社のAmazonに対する温度感の相違で、ラインナップも偏ることが想定される。
しかし、Kindleもサービス開始から4年経った現在はそれなりに新刊も紙の本とタイムラグなく購入できるようになってきた。(ボクが好む専門書と一般向けの間くらいな中途半端な本は、いまだにKindle本では1年、2年遅れですが…(^ ^;)ハハハ。)
それと同様に、Kindle unlimitedも知らない間に充実していくと思われる。
また、早くも一度にダウンロード可能な冊数が10冊であることに不満の声も上がっているが、ボクはそれは少ないとは思わない。
まず勘違いしてはいけないのは、Kindle unlimitedはダウンロードできるからといって、コンテンツを所有できるサービスではないということである。
あくまでサブスクリプションであり、Kindle unlimitedライブラリ内の本を読める権利があるというだけのこと。
だとすれば、一度に10冊もの本を一気に読了するほどの時間があるだろうか?
ようは、『図書館』みたいなものかと。公立図書館ではなく、森ビルがやってたような有料の私設図書館を毎月利用料を支払って使用するようなものと考えればよい。
であれば一度に10冊借りられるというのはむしろ多いほうではないだろうか?
これはKindle unlimitedに限った話ではないが、サブスクリプションサービスを利用する際には、利用者側も意識を変えていかなければならない。
月額『利用料』であり『購入代金』ではないのである。
そういう意味ではサブスクリプションサービスとはコンテンツを購入してストックしていく楽しみではなく、コンテンツをフローとして消費していく仕組みをどれだけ提供できるか?というサービスであるべきではないだろうか。
Kindle unlimitedでは本というコンテンツをフローコンテンツとして利用者に提供することが、本来あるべき姿ではないか?などと、ちょっと話が飛んでしまいますがお付き合いください…(^ ^;)ハハハ。
活字中毒患者はデータベースの夢をみるか?
そもそも図書館とはなんぞや?
昔からの本・書籍を保存して知の財産として提供していくための施設である。
それが施設である必要は、図書館の従来のコンテンツは物理的に『本』というパッケージを保存する必要があるからである。
たしかに『保存』という観点からすると図書館の本はストックされたコンテンツではあるが、『利用』という観点からすると、図書館の本というものは繰り返し貸し出されていくフロー化されたコンテンツともいえる。と、この際勢いで言い切っておく(笑)
コンテンツが電子データであり、それが一塊になったものといえば、以前から日経テレコム等々のデータベースサービスがある。
新聞・雑誌の個々の記事がテキスト化されデータベースに格納されており、必要な場合にはPDFで新聞のページも配信される。
これは、いわばサブスクリプションサービスの走りでもあり、完全に利用者はストックされたコンテンツをフロー的なコンテンツとして利用するといった使い方がされてきたものだ。
電子書籍の世界でも、このようなデータベース的使い方が本来は生かされるべきなのではないだろうか?
それこそ文頭で触れた2000年代中盤に喧々諤々世界中が注目した『Google Books』の思想である。
すべての書物が電子化されてひとつのデータベースに集約されたとした場合。
中身のコンテンツと同様に重要な位置づけとなってくるのがその書物・コンテンツにたどり着くためのコンテキストとなる。
しかし、コンテンツのためのコンテンツとも言うべきこれらコンテキストをすべての書物に付与することは非現実的でもある。
何より手っ取り早いのは、Googleであればビジネスの基盤技術である『検索』となる。
膨大なテキスト化されたコンテンツの大海原を全文検索によって航海できる手段が整えられれば、この電子書籍データベースなるものの使い勝手は、一冊一冊のコンテンツとしての利用以外に、さまざまな使われ方がされていくのではないかと電子書籍元年前後からボクは妄想しているのである。
Google Booksほどの学術的な思想ではないにしろ、なにせAmazonのデータセンターに格納されているKindle本はすべてテキスト化されているのだ。
ただ単に、10冊までダウンロードして読み放題!だけのサービスではなく、Kindle unlimitedユーザには、Kindle unlimited内のコンテンツ限定でもいいから、本の中身を全文検索できるようなデータベースサービス的な機能も提供してもらえないだろうか?
こんな機能があれば、ボクはすぐさま脊髄反射でポチッとKindle unlimitedのユーザになってしまうのに……。
Google Books論争と電子書籍を巡る右往左往はこちらをご参考までに。
Google Books論争のオチはこちら【日本ペンクラブ・Google 共同声明】