目次
【It's a Sony!】
銀座の有名な企業ビルの一つ、Sonyビルが解体されて新しく生まれ変わるらしい。
大学入学で上京して以来、なにかと思い出の多いビルでもある。
そして『Sony』が生み出す製品は、まさにボクの成長とともに常に身近にあったモノだった。
この『だった』が今のボクとSonyとの距離感である。今のボクにとっては『Sony』と聞いて浮かぶのは『郷愁』の二文字なのである。
まさに、このヴィンテージカラーに染められているボクの中でのSony。
そんなSonyの生み出してきた製品が一堂に会して展示されているとのことで『It's a Sony展』に足を踏み入れた。
銀座5丁目、数寄屋橋交差点に立つSonyビル。今も昔も変わらない銀座のランドマーク的存在の一つだった。
これが、今年度いっぱいで営業を終え、取り壊されるのだという。
【有名人のSonyの想い出とPOPEYE】
1F入口から入ると、どこからが『It's a Sony展』なのか分らないまま、目の前はこんな感じ。
おそらく今回の『It's a Sony展』は館内すべてを使っての展示なのだろう。
少し進むと今回の展示のパネルが。
人は多すぎず、少なすぎず。郷愁の念に駆られながらの観覧するにはちょうどいいくらいの人の気配。
最初のコーナーはポパイとのコラボ企画。
ポパイと有名人と思い出のSony製品がそれぞれ組で展示されています。
気になったところでは、まずはみうらじゅん(笑)
70年代特集のポパイの表紙はブルース・リー。
みうら氏が選んだのはSonyのカセットテープ。
ボクも中~高~大とFM番組のエアチェックだの、アルバムの録音だのSonyのカセットテープには大変お世話になりました。
腐るほど持ち合わせていたにも関わらず、あのカセットテープが1本も残っていない......。
もはや、捨ててしまったことすら忘れているんですね...(^ ^;)ハハハ。
藤原ヒロシのコーナーのポパイは初代ウォークマン特集。
ボクはその時期、鼻垂らして駆けずり回っている年頃ながらも、その片手で持てる音楽が聴ける機械に計り知れない未来を感じたものでした。
藤原氏が選んだのはプロなウォークマン。
藤原氏が使用していたというウォークマンはさすがにプロ感のある上位機種ですが、同じ時期まだまだ毛が生え始めてきた時期のボクにはSonyのウォークマンは高嶺の花でした。
そして、伝説のポパイ創刊号!
レプリカ版は持ってたりしますが、実物を見たのは初めてです。これだけでもけっこうハァ~ハァ~もの(笑)
そんな平井氏が選んだのはスカイセンサー。
まだ洟垂れ小僧だったころ、誰の影響か突然無線に興味を持ち出した時期があったのです。
世界中の見知らぬ人と挨拶する程度のことでも、なにか底知れぬ可能性を見出していた洟垂れ小僧でした。
結果、クソ餓鬼にそんな高価なものを買い与えるほどお金に余裕のある家庭ではなかったので、短波ラジオをグリグリチューニングするだけで終わりました...(遠い目)。
と、ポパイコーナーはこんな感じで陳列されてました。
【Sony創業時とトランジスタの夜明けな50年代】
その後、Sonyの歴史を巡る展示へと流れていきます。
まずは『東京通信工業株式会社』という社名だった時代の社旗やら、
会社の看板。
そして、時代は戦後まもなくから始まります。
真空管電圧計とか鍵盤模写電信機とか、1945年というまだ東京が焼け野原だったころに、もう生産を開始してたんですね。
こちらのSONI-TAPEは日本発の磁気記録用テープとのこと。
大きな筐体のG型テープレコーダーはまだ1950年のシロモノ。
そして、Sonyのその後の遺伝子を決定付けるトランジスタラジオの数々。
とにかくより小さく、さらに小さくというSony製品の特徴は50年代半ばから始まります。
このあたりのレトロなデザインは今でもニーズありそうです(笑)
こちらはソニー君。全然記憶に無いんですが、60年代とかにSony製品を扱う町の電気屋さんとかに配られたんでしょうかね。
なんかソニーにもキャラクターが居たって意外でした。
【とにかく小さくポータブルにな独創性が花開いた60〜70年代】
60年代に入ると、その後のSonyの気配を感じてきます。
『カセットテープレコーダー』の途中を採って、『テレコ』(笑)
このあたりの技術の積み重ねがその後の音楽業界を一変させる発明に繋がるんですねぇ。
トランジスタによる最小・軽量化は電子計算機の世界にも。
今の感覚ではバカでかい!という印象しか持ち得ないですが、当時はこれでも軽くて小さい印象だったことが伺えるコピーです。
『軽いからといって投げないでください』
この時代、映像の世界にもSonyらしさが発揮されていきます。
肩掛け式オールトランジスタなVTRも登場。
デザイン的にレトロ感あって好きです。これ。
まだボクは生まれる前なんで、この機種よりもっと後のやつですが、『デジタル』という名称に未来を感じたデジタル時計です(笑)
これはアタッシュケース型なんですかね?こんなの家に転がっていたら、絶対秘密基地ごっこで使います(笑)
とにかくなんでもかんでもトランジスタ!後にAV機器といわれるものはみな小さく、ポータブルになっていきます。
テレビも同様。
これ、うちにはなかったですが裏の電気好きなお父さんのいる同級生の家で見かけた記憶が。
リビングにデンッ!と構えているテレビがこんな小さく、持ち運びができると知り、衝撃を受けました...(^ ^;)ハハハ。
そして、革命の時代へと展示は続きます。
このあたりからボクの中でAV機器のSonyが強烈に印象付けられていきます。
Sonyらしいよね!というデザインな二つ折りラジオ。とにかくコンパクトにしたいんですよね(笑)
そこに余計な意味は無いのです。
【WALKMAN登場!音楽文化に革命を起こした80年代】
70年代末から80年代にかけてはまさに音楽のSonyの時代!
なんか郷愁どころか、だんだんテンションが上がってきました。まさにSonyとともに育ったボクの時代に展示は移っていきます。
1979年7月、まさに音楽業界とSonyそのものに革命を起こす製品が誕生。初代ウォークマンの発売。
それまで音楽は家のステレオかラジカセで聴くものだったのが、『音楽を携帯して気軽に楽しむ』文化へと、音楽文化そのものを変えてしまった製品だ。
この過程はその20数年後、Apple社のiPodにより繰り返される。後で触れることになると思いますが、ボクとSonyの蜜月の始まりが音楽プレイヤーであり、別れのきっかけも音楽プレイヤーとなるのであす。
壁全面に歴代ウォークマンのパネルが4つ。それぞれのパネルに、懐かしい機種が展示されています。
歴代ウォークマンの中で、ボクが名機と思うのはこの二代目ウォークマン。
欲しくても買ってもらえなかったというトラウマもあるかもしれないが、初代から打って変わって洗練されたコンパクトでシンプルなデザインが毛が生え始めたばかりのボクには相当衝撃だったのだ。
このころからSonyの新製品はスルーして、二代目以降を買うべきという都市伝説が生まれたのかもしれない(笑)
親に泣きついても、買ってもらえなかったボクは、二代目ウォークマンの代わりに買ってもらった、Sonyのセカンドブランド的な扱いだった廉価なAIWAのカセットボーイで我慢することになる。
でも、機能的にはカセットボーイのほうが上だったんだよね。なぜかオートリバース機能とか付いちゃったりしてて(笑)
登場時にヲイヲイ!と思わずツッ込んでしまったウォークマンがこちら。
『カセットサイズ』を大々的にアピールして登場したこのウォークマンはたしかにこの状態ではカセットテープのケースと同じくらいの大きさなのです。
がっ!?カセットテープを入れるにはロゴの上に横に伸びるラインのところで、本体上部を上に引っ張らないと入りません...(^^;)ハハハ。
でも、世界のSonyはいつまでもそんな中途半端な『カセットサイズ』では満足しません。その後すぐにリアルカセットサイズのウォークマンを登場させるのです。
この辺りからボクもAIWAのカセットボーイを無事に卒業して、憧れだった本物のWALKMANを手にすることになります。
中でも、一番気に入って長く使っていたのがこの写真中央の白いWALKMAN。
このラジカセも同じヤツを持ってました...(遠い目)。
オートリバースにダブルカセット。
これこの当時では基本中の基本です。
ステレオコンポでLPからテープに録音したモノをダビングしたり、友だち同士お気に入りのカセットを交換してダビングしたり、この当時音楽にどっぷりハマっていたボクはSonyとともに成長していくのです。
もぉ〜懐かしいカセットテープの目白押し。
最初のうちはSonyのテープを主に使用してました。
中でもこの一番上の緑のパッケージなBHF。さほど高すぎず、安すぎずな中庸なテープだったんで、買いやすかったんですね。
でも、これはと思うアルバムにはメタルテープを使ってみたり。
♂『やっぱりメタルテープは音のクリアさが全然違うよなっ!』
などと知ったかな会話を同級生としてましたが、実はそんな違いなどは全くわかってませんでした(笑)
この頃Sonyも後のVAIOに繋がる事業に手を出し始めます。
こちらはパソコンではなくワードプロセッサ。ラップトップ型ですなぁ〜。
こちらは先ほどのワープロよりも前のMSX。
なんかSonyらしい配色です。
【夢はデジタルの世界へ。電話、カメラ、パソコン、ロボットへ展開する90〜00年代】
いま思うと、この時代が一番Sonyが勢いづいていた時代だったのでは無いだろうか?
Jobsの生前のAppleのように、Sonyがなにを発表しても魅力的な製品に思えていた時代である。
90年代、ボクも社会人になりあれやこれやとガジェット好きに磨きがかかっていった時期でもある(笑)
この時代の象徴といえば、電話がパーソナルになっていったことである。
歴代のSony製のPHS、携帯電話がずらり。
Sonyも最初はPHSからだったのだろうか?この玉子型のPHSは当時強烈な印象を残した。
ボクは選ばなかったけど(笑)
Sony製携帯電話の傑作だったと思えるのはこのドコモからSO902iとして販売していた機種である。
手のひら電話もここまでコンパクトになったかっ!?という見事なコンパクトさであり、その小ささ故に操作感を犠牲にしているかというとそんなことはみじんも無いのだ。
プチプチボタンに見えるテンキー部分は、実は絶妙な角度で階段型になっており、操作時に全くミスすることが無い。
現在のApple製品のような徹底したユーザインタフェースの試行錯誤が成されていた製品だった。
もちろんのこと、ボクはこのSO902iの赤を使用していた。
もぉ〜この時期大人になっていたんで、こちらの子供向け『My First Sony』といわれるシリーズは全く記憶に無いが、子供の頃からこんな楽しげなガジェットに囲まれて育っていたら、正真正銘のSony信者に育っていたことだろう。
ボクにとって初めてのデジカメはカシオのQV-10だったが、Sonyらしい思い切ったデジカメをこの時期に発売している。
なんと記憶媒体がFDDというシロモノ。
それ故に筐体はそれなりに大きかったが、FDDさえ入れ替えれば何枚でも写真が撮れるというのは、当時としては魅力的だったと記憶している。
そして、この時代Sonyの象徴というか、Sonyの余裕を感じられたのが、パーソナルロボットの発売である。
ペットという愛玩のためだけのガジェットであるAIBOはとても魅力的だった。
こちらは初代の犬型から仔ライオンをモチーフとしたらしい2代目AIBO。
ボーナスで荒稼ぎ出来たら飼いたい!と思っていたモノの、当時さほど荒稼ぎというほどのボーナスをもらえておりませんでした...(^^;)ハハハ。
初代、2代目と近未来的なロボット然としたデザインだったAIBOが突然府抜けてしまったのがこの3代目。
この時も思わずヲイヲイッ!!とツッ込みを入れました。
Sonyって昔から勢いづくとなんか凡ミスするよね......。
この展示で初めて知りました。AIBOってお出かけ用の専用バッグなんかもあったのね?
こちらは最終形の6代目。最終形はやはり初代の意思を受け継いで犬型になりました。このスケルトンAIBOかっこいぃ〜なぁ〜。
SonyはAIBOの他にも人型ロボットのQRIOも発売してます。
その後、色んな会社でパーソナルロボット事業が花開くんですが、早すぎたというかヲトナの事情というか、この後Sonyはパーソナルロボット事業から手を引いてしまうんですね。
嗚呼、QRIOが続いていたら今頃どんな精巧なロボットが出来ていたことだろうか??
そして、パーソナルコンピュータ事業が花開くのもこの時代です。
1990年、そんな頃にSonyはパームトップコンピュータを発売してます。
徹底したパーソナルユースへのこだわりが見て取れます。
そして、一時代を築き上げたVAIO事業。
このVAIOカラーの筐体とVAIOのロゴはそれだけでステイタスにまでなりました。
なんといってもその後のノートブック型PCの流れを決定付けたのはこのPCG-505でしょう。その薄さとVAIOカラーが美しくてたまらない製品でした。
当時、『世の中には3種類のパソコンが存在する。PC、MAC、そしてVAIOである』とまで言わしめた名機です。
でも、中身はPCと同じWindowsパソコンなんですけどね...(^^;)ハハハ。
ボクはこの後継機を愛用してました。
でも諸行無常といいますか、このVAIO旋風で風穴を開けたパソコン事業もSony本体から切り離されてしまう運命を辿ります。
カメラ事業とはというと、FDDを使用するという一風変わったデジカメを発売した後、正常な進化を辿ります(笑)
中でも、ボクも購入して長年使い倒したのがこちらのサイバーショット。
カメラ部分が180度回転して自撮りも可能なSonyらしい、カメラの枠組みを超えたデザインでした。
こちらもより小さく、よりポータブルにということにこだわったビデオカメラ。『パスポートサイズ』というキャッチフレーズでした。
ポケットにこれ入れて、街中をクリッピングしてなんてことを当時のPOPEYEとかで囃し立ててましたが、そんなクリエイティブな遊びに憧れつつも編集機材まで手が回んねぇ〜よっ!と実行を諦めた記憶がございます...(^^;)ハハハ。
【デジタルはモノからコンテンツへ!仮想世界へ羽ばたくSony】
Sonyにとっては苦難の時代を迎える00年代以降。
90年代以降、様々な魅力的なガジェットを立ち上げるも次から次へと事業が切り離されていく中、現在まで業界の一角を担っているのがゲーム事業である。
なぜかゲームに興味がないボクにとっては縁がないのがこのゾーン(笑)
後に任天堂一強を打ち破り、いまに至るまで好調に後継機を開発しているプレイステーションの初号機。
ボクはうちの相方さんが同棲時に我が家に持ち込んできたのを見たのが、初めてだったくらい興味がありませんでした(笑)
その後も順調にPlay Station2、
Play Station3と、いまは4まで進化しているらしい。
つい先日うちの相方さんがプレステ4を購入した...(^^;)ハハハ。
そんなゲーム展示の合い間に懐かしきCLIE初号機のお姿がっ!?
以前も何度も本ブログで触れているとおり、PDAというモノにハマったのがHP200LXとの出会い。
その後後継機が発売されることなく、変わりにブームとなったのがPalm機である。
Sonyはいち早く国内Palm機を開発し、得意のAV機能を追加しながら独自進化させていったのがこのCLIE。
でも、その後ケータイが高機能化されていくにしたがってこちらも事業終焉を迎えたのでありました。
すでに、先ほど後のパソコン事業について触れちゃいましたが、この時代はまだVAIOは元気でしたね...(^^;)ハハハ。
変わり種を作る程度にまだ余裕があった時代です(笑)
把手なんかつけちゃったりして。これもポータブルにこだわるDNAがなせるワザです。
PCG-505の系譜は年々より薄くがテーマになっていきます。
こちらは、敢えてパームレスト部分にキーボードを持ってきて薄くした設計に異論反論も出た機種ですね。
実は初めてのVAIOは505ではなく、ディスプレイ上部に回転型のカメラが付いたVAIO-C1でした。
その横長で特徴的なデザインが気に入って、多少画面が横長で縦が狭かろうが気にせずイキって使っていた記憶が......。
これはそんなC1に連なるデザインが復活!?といったモデル。
当時、無理くりジーンズのポケットに入れてるようなポスターが作られていたよぉ〜な......。
00年代、Sonyがものすごい勢いで失速していった時期に出したオモロイモノがこちらのパーソナルコミュニケーターMylo。
狙いとしてはオモシロいモノになり得るモンだったと思うンです。
スマホ前で早すぎたのか?コンセプトはよかったんだよなぁ〜。
でも、物作りに徹してきた会社故か、物作りで終わりすぎて、いまのデジタルガジェットはサービスがともなわないとだれも使わないという点をすっかり見落としてたんですね......残念です。
でも、これうちの相方さんの兄貴が使ってたんだよな。一体これでなにしてたんだろ???(笑)
そして、最後はボクとSonyの縁の切れ目。
音楽プレイヤーであるWALKMANに恋い焦がれ、WALKMANと音楽と共に成長して来たボクが、Sonyから離れるきっかけとなったのも、やはり音楽プレイヤーだったのです。
音楽の縁で蜜月を迎えたモノの、音楽の切れ目がSonyとの縁の切れ目になってしまいました。
残念ながら、今回の『It's a Sony展』では展示されてなかったのですが、WALKMANに変わるモノとして、当時話題になっていたメモリプレイヤーのSony初の製品がVAIOの周辺機器として発売したVAIO ミュージック クリップ MC-P10でした。
もぉ〜即買いですっ!
カセットテープでもCDでもなく、シリコンメモリに音楽ファイルを転送して音楽を聴くという新しいスタイルに飛びついたボクなのです。
しかし、OPEN MGという規格の著作権管理ゴリゴリで使い勝手の悪い歴代ソフトウェアにボクはエラい目に遭わされ続けることになるのです。
VAIO ミュージッククリップが進化して、本家本元のWALKMANチームが開発したネットワークウォークマンシリーズでも改善されず。
このメモリースティック対応のNW-MS7ももちろん買いました。
が、ソフトウェアの使い勝手は変わらず。
より小さく、ポータブルにを指向するSonyは当然この分野でもこれでもかと小さな製品を作り上げます。当然ボクはお布施をするのです。
これだけのハードを開発しておきながらソフトウェアの使い勝手は一向に改善されず......。
最初に購入したVAIOミュージッククリップの時代から歴代NW WALKMANの間にこまめにCDからリッピングしたデータベースを4回も附属のソフトウェアに壊され、その都度また最初からリッピングを繰り返したのです。
もぉ〜いい加減Sonyもソフトウェアの大切さがわかっただろうと。
でも、バージョンがいくら上がっても、PCの性能がアップしてもその使い勝手が改善されることはなかったのです。
もぉ〜Sonyはダメかもしれないな。
そんなことを思い始めた時、VAIO GEARとしてハードディスク搭載のポータブルミュージックプレーヤーVGF-AP1が発売されるのです。
しかし、ここ数年煮え湯を飲まされ続けてきたSony製品への信頼はもう全く残ってなかったのです。
同じくハードディスク搭載の音楽プレイヤーとして、この時期すでにAppleのiPod第3世代が登場してました。
まだ国内的にはiPod miniが登場する前で一般的にはまだ知れ渡ってはおらず、ガジェット好きが話題にしていた頃。
ボクは一大決心をするのです。
もうSonyはいらない!これまでありがとう。さようなら。
結局、VGF-AP1は手に取ることなくボクはiPod第3世代を選び、その後音楽プレイヤーは歴代のiPodシリーズ、そしてiPhoneへと移っていきます。
Sonyビルを取り壊し後は新たにSony Parkになるらしい。
モノとしてのビルではなく、人と人とのコミュニケーションがその意味合いを積み重ねていくのがPark=広場となるはず。
00年代にかけて、Sonyが取り残されていった大切なことにSonyは気付いたのだろうか?
今の時代、モノ作りだけにこだわるワケにはいかないというか、モノとサービスはセットで考えないと売れない時代だということは承知している。
でも今回の『It's a Sony展』は、Sonyを作ってきた人ではなく、SonyがSonyであり続けたモノにこだわる展示だったということが、ある意味Sonyらしく一番輝いていた時代を投影するという意味ではいい展示だったと思う。
戦後以来、モノ作りにこだわって来たSony創業時の精神を当時から振り返ることで、社内外に対してまた自らを改めて見つめなおすという機会でもあったのではないかと。
そんなこんなな『It's a Sony展』は2/12までなんで、青春の想い出に浸りたい人や、いまでもSony信者なのっ!という貴兄は急いで銀座へ!!(笑)