そんなこんなでこれこそボクが探していたあの時の一眼レフカメラだっ!!
と手にしたCanon AE-1でしたが、ファインダー内の違和感に気づき、これぢゃないと...(^^;)ハハハ。
それと共に、決定的なコトに気付いたボクなのでした。
とここまでが、前回の『Canon AE-1これぢゃないの巻』での経緯だったのでした。
シャッタスピードに応じた露出の針に絞りの追針を合わせて適正露出を決める追針式の露出機構。
それとネットで調べている中で気がついたフィルム装填寺のクイックローディング機構。
このコトから導き出されたのが、1973年に販売開始されたCanon中級機のスタンダード、Canon FTbーNと思われる。
写真で見る限り、セルフタイマーレバーの形状から、当時のあのカメラは後期型のFTb-Nと思われる。
早速中古カメラ屋さんに確認しに行くと、ファインダー内の追針式の露出機構は、記憶の中のイメージそのもの!
これこぞ絶対あれっ!!だったのだ。
前回のAE-1と同様のブラックボディ。
とりあえずボディだけお持ち帰りして、レンズはAE-1に付いてきたFD 50mm f1.4を装着。
しかし、このレンズ装着時にちょっとしたトラブルがっ!?
AE-1に付いてきたFDレンズってAE対応のレンズであることで、AE以前の機種であるFTbに装着する際には気をつけないければならないお作法がある。
ということすら知らなかったのだ。
写真にある通りレンズに緑で印されている『A』の位置に絞りが設定されていると、どうやらマウント部に当たるようで、レンズが付かないのである。
なので非AE機に付ける場合は『A』以外の絞りにしておく必要がある。
すると、なんてことなくレンズ装着が可能になると。
ちなみにこのFTb-Nのボディはオーバーホール済みで、ファインダーの腐食やクモリ、チリ等無く、電池室の腐食も無し。各種動作も問題なしというなかなかの逸品。
もう40年前後くらいは前のカメラではあるが、露出計以外は電池が必要ない機械式カメラならではの生き延びようだろう。
しかし、このFTb-N、レンズ込みだと1kg越えるということから、さぞかし重いことだろうと。
中学一年の遠足の際に、初めて親爺様所有のCanon FTb-Nを持ち出して、初めて一眼レフで撮影ということを経験したのだ。
カメラってオモシロんだということに改めて気付き、以来中学のイベントの度に親爺様からお借りして撮影するということが続くのだ。
標準レンズだけでは飽き足らず、やがて広角、望遠と3本のレンズを持ち歩いて撮影するに至った頃、ボクにとってこれまで感じてたカメラの面白さが、一眼レフのトラウマと変わるのである。
なにせ、レンズ1本付けてるだけでも1kg越えるという本体の重量に、さらに2本の交換レンズを持ち歩くこの辛さ...(^^;)ハハハ。
なんで、こうまで重い思いをしてカメラとレンズを持ち歩いているのだろうか?というコトに気付いてしまったのである。
以来、一眼レフカメラには一切興味が沸かなくなった。
一眼レフに限らずカメラというモノに積極的に興味が沸かなくなり幾星霜。
QV-10以降、ガジェットとしてのデジカメには興味を持ったが、その後カメラで撮影というところに戻るまではかなりの年月を要したことになる...(遠い目)。
再びカメラに夢中になって早2年半近く経とうとしているが、ようやくボクは原点に戻ったわけである(笑)
このファインダー右に見える針と追針が懐かしい...(; ;)ハラリ。
絞りを廻して、この円形の追針を合わせるのが当時中坊のボクは好きだったのだ。
このファインダー越しの風景がボクとカメラの原風景である。
AE機と勘違いした電池はFTb-Nではこんなところにある(笑)
フタを外して、SR43にMR-9アダプターを噛まして電池室へ。
試し撮りにはKODAK ULTRAMAX400の24枚撮りを。
ネットで画像を見るまですっかり忘れていたのが、FTbシリーズに搭載されたこのクイックローディング機構ことQL機構。
なにかというと、フィルムの先端を噛ませないで、裏蓋を落として抑えるだけで、フィルム装填出来てしまうという、ちょっと前のコンパクトフィルムカメラのような仕組みが当時搭載されていたのだ。
この裏蓋が落ちるタイミングと旨く合わずにスプロケットとフィルムのパーフォレーションが外れてしまい、それに気付かず撮影を続けて巻き戻したモノの、実は全然フィルムが回っていなかったという失敗を何度となく経験したことも思いだしたのである...(^^;)ハハハ。
なので、ケチらずにしっかりとパーフォレーションとスプロケットをかみ合わせる。
大人になるとこういうところでも余裕が出るモノだ(笑)
しっかりと裏蓋が抑えられるコトを確認してから、背面カバーをセット。
ついに、35年ぶりくらいに撮影準備完了なCanon FTbーNが目の前にっ!?
多少はボディにアタリはあるモノの、まだ樹脂などメインボディには使用していない機械式カメラならではの精悍さをもつカメラである。
最寄り駅の一つ手前の銀座駅で下車して、日比谷に向かって歩き出す。
目の前には有楽町高架下のYURAKU CONCOURSE。
昭和丸出しのYURAKU CONCOURSEには昭和なカメラのCanon FTbーNが映し出す色合いがよく似合う(笑)
露出もほぼダイジョブなんぢゃないの?といった感じ。
なんかこのまんぷく食堂って、こんど絶対行ってみよ!(笑)
日比谷シャンテのお店のクリスマスリース。
日比谷シャンテ前はいつのまにかゴジラスクエアという名前が付いており。
ゴジラが日比谷のビル群に向かって進撃開始なのですっ!?
そんなこんななCanon FTbーN。
懐かしさと共に、やはり原体験というのは色濃く記憶に刷り込まれているようで、手にした瞬間に勝手に手が、指が動くのだ。
トラウマのきっかけになった重さも、Leica M TYP240にElmar 135mmを付けて持ち歩いていた今のボクにとっては重さを感じるようなモノでも無く、むしろ快適なくらい(笑)
そしてやはり針で露出を合わせるアナログ方式が好きなのは、このCanon FTbーNの追針式の露出計が原体験となっているからなんだろうなぁ〜と。
我が家の手持ちの一眼レフフィルムカメラの中では一番稼働率が上がりそうな気配なのだ(笑)