カメラに興味を持つようになって、金属カメラ病という重い病に罹患したと共に、最近自覚するようになったのがチョートク病である。
田中長徳氏の著作は数知れない。ボクがカメラに興味を持っていなかった時代に数多くの作品を世に送り出し、それを10年から20年経って後追いで読了を積み重ねているワケではあるが、一向に追いつかない。
いや、むしろ追いつくことが恐ろしい。もはや、ボクはチョートク氏のあの文体に冒されているのである。
中でも現在ハマっている『佃日記』はチョートク病患者には悪魔の本であろう。
日記とタイトルに付いていることから、中の文章は長徳氏の日記であるが、その中で長徳氏は執筆、訪欧、訪中、撮影ととにかく日々カメラを片手に撮影しては、銀座へフィルムの現像を出しに行き、道中また撮影とその撮影三昧の日々が記されているのだ。
その日々の生活パターンを読んでいるうちに我が事のように脳内記憶を書き換えてしまうのがチョートク病の重篤患者の症状である。
ちょっと時間があると、そぉ〜だ!お写ン歩しよう!!と、この日もまだ足を踏み入れたことがない滝野川へ。
夏から初秋にかけて中判カメラにハマり、現像代もバカにならないよなぁ〜ということで、この日のお供はLeica M2にLeitz Summaron 35mm f3.5。フィルムはKodak Ultramax400で。
長徳氏は北池袋から、滝野川、蓮沼町界隈をブラりするのがお好きなようで。
滝野川ってどの辺なんだろ?とGoogle先生に聞いてみると、うちの小春さんの散歩でいく電車の見える公園の東武東上線線路を渡った板橋側だと知り、だったらお写ン歩でイケるじゃん!
とまずは劇場通りを北へ。そして川越街道を越えて北池袋方面を目指します。
ここもチョートク本で知ったんだろか?Goggleマップに保存していた亜細亜と医うなの中華料理屋さん。
日曜だったからか、台風の影響か、閉まってました...(^^;)ハハハ。
北池袋駅前の商店街で、ちと外観が良さげと思って撮ったら、こちらはたこ焼き屋さんのよぉ〜ですねぇ。
駅前横丁も一枚。
駅前の踏切を渡ったところで台風一過な空模様。
上池袋のあたりで、北池袋児童遊園の遊具。
この辺は暗渠じゃないのかな?なんかちょっとうねった道が川ッぽいんだけど。
そんな北池袋児童遊園に沿った脇路地もいい感じです。
この辺を掘り下げても仕方がないと、滝野川目指して北上します。
そんな中また寄り道で、目を引いたのが鶴野紙工さん。
住宅地のまっただ中なのにこんな建設工機が脇に駐車しているのが違和感ありまして...(^^;)ハハハ。
するといつの間にか滝野川7丁目にさしかかっておりました。
その先には滝野川市場通りと商店街の入口が。
そろそろ夕飯のお買い物で賑々しくなってくる頃合いでしょう。
部活帰りの若人がやきとんを買っております。
大きくなれよっ!!(笑)
非常に短い滝野川市場通りですが、こちらのスーパーのコモディイイダさんがメインなようですね。
なぜ今回滝野川を目指したのかというと、チョートク本でしばしば紹介される鰹節屋の看板猫を見つけたかったんです。
でも、その鰹節屋の名前がわからず、Goggle先生に聞いてみるとこちらの小池商店さんがヒットするんで、とりあえず覗いてみるかと。
でも、御覧の通り閉店中...(T^T)涙。
結局わからず仕舞いでございました。
すでに目的がなくなり、どぉ〜するべ?と思っていたら、小池商店さんの脇にこんな新聞の切り抜きが。
ほっほぉ〜新撰組局長終焉の地かぁ〜と、こちらに行ってみることに。
なんか通りに突然クレーンゲーム専用な感じのゲームセンターがあったり(笑)
次回は小池商店がやっている時間に再訪しようと心に誓って、滝野川市場通りを後にします。
滝野川市場通りとクロスしている通りを西へ。
途中いい感じの昭和物件を発見。
こちらは左右の増築具合がもの凄いですね(笑)
中央部の2階がいい味出してます。
この通りは隣同士の間の路地が所々に出来ており、先に続いているんですが、この迷宮具合がすごい!
こちらの脇路地は石畳が敷かれており、ここだけ見たら神楽坂あたり?みたいに見えなくもない。
そんな石畳の脇路地を奥に進んでいくと、一般家屋の敷地内に手入れされているのかどうかもわからないお社が。お稲荷さんかな?
とにかく、この近辺の脇路地はもっと隅から隅まで踏破したいアトラクションでございます。
そんなこんな寄り道しながらあるいていると馬頭観音が。
こんな小さかったのね...(^^;)ハハハ。
そして目的地の近藤勇と新撰組隊士供養塔へ。
まず正面に大きくそそり立っているのが、局長近藤勇と副長土方歳三の墓。
脇には教科書によく載っている近藤勇の写真を元にしたと思われる石碑が。
また左側には永倉新八の墓もありました。
新撰組隊士の中では永倉新八が一番好きなんですよね。
二番隊隊長として新政府軍と戦い抜きながらも、明治の時代まで生き抜いたというところが。
死んで花実が咲くものかという、新撰組の思想と結果的に相容れないところが好きなのです。
こちらは局長の像。
中央の大きな墓石の右奥には当初の墓石がおかれています。
当初は新政府軍に刃向かった犯罪人ですからね。弔うにしてもおおっぴろげにできなかったんでしょう。
入口右には近藤勇、土方歳三、永倉新八の肖像画がありました。
そんなに大きなところではないにも関わらず、やはり近藤勇終焉の地という触れ込みだからでしょうか、この間つねに数人の方が入れ替わり立ち替わり訪れてきました。
新撰組ファンには必見の地なんでしょうか。
帰りはさくら通り商栄会を通って元来た道を帰ります。
途中、境のカメラを撮り忘れたと思って、北谷端公園で一枚目の写真をパ写リ。
しかし、この夕方の時間、この公園には隅から隅まで子供たちがはしゃぎ回っております。
我が豊島区は消滅可能性都市ですが、板橋区はしばらくは安泰だなと思わせる子供たちのはしゃぎ声でございます(笑)