泉麻人氏の『東京いい道、しぶい道』をまるまる辿るパクり企画の偽『東京いい道、しぶい道』!
年明け一発目は城南エリアの第二弾!!
作者である泉麻人氏の母校慶應義塾のお膝元、三田〜高輪台を高野聖の辿った緩やかな坂を上がったり、崖を降りたりと高低差のなかなか激しい偽『東京いい道、しぶい道』でございます。
この日のお写ン歩カメラは、EPSON R-D1S にVoigtlander Color Skopar21mm f4.0のデジタルに、Ricoh GRsにKodak Ultramax400のフィルムカメラのお気軽コンビで。
池袋からは山手線で巣鴨乗り換えの都営三田線で三田駅下車。
今回のスタート地点、三田3丁目交差点からは東京タワーのお姿が。
というワケで、本書でも触れていた以前はスポーツ用具店だったところには太陽のトマト麵が。
そぉ〜いえば、弊社のご本尊様が御座します豊洲にもこのお店あるンですが、一度も入ったことないンだよな...(^^;)ハハハ。
3月からは今の日比谷から豊洲に引っ越すことになっているんで、そしたら一度くらいは味見してみましょかネ(笑)
緩やかな坂を上りはじめるとすぐに『聖坂』の道標が。
さてさて!と気合いを入れたところで早速、思いがけずに早くも最初のランドマークを偶然発見ですっ!?
本書では全然触れられてなかったんですが、執筆時にはまだ建設が始まっていなかったんだろか??
なんとっ!?あの個人でビルを建設しているあの物件なのですっ!?!?
あのアリマストンビルの建設現場が聖坂を登り始めてすぐのところに御座しましたのでございますってっ!?
朝早すぎてというよりも、お正月休みでご主人はいらっしゃいませんでしたけど...(^^;)ハハハ。
あの番組はなんだったっけ?もう何年も前のバラエティ番組だったんだけど、この手のネタをロケするのってタモリ倶楽部あたりだったっけか??
なんかガウディよりも時間かかりそうな按配ですが、アリマストンビルに思いがけず出会えて、今年のお写ン歩は幸先よさげでございます(笑)
EPSON R-D1Sだと暗めなんで、フィルムで撮ったRicoh GR1sだとこんな仕上がり中具合のアリマストンビルでございます。
そんなアリマストンビルの隣が、
緩やかな坂を上がりはじめると、道の左手には年季の入ったマンションが並んでいる。
とある一画。
白壁に青い瓦屋根でおなじみの秀和三田聖坂レジデンスが見えてくる。
この手の昭和感たっぷりなマンションは池袋にもけっこう残ってたりもしますね。
そんな秀和三田聖坂レジデンスの前にはお稲荷様が。
亀塚稲荷神社というそうで。
亀塚稲荷神社の隣の三田中学校の向かいは広々とした工事現場。
尤も、今現在まだ廃屋が残されてはいるけれど、エンブレムなどは外されてしまった。
と書かれている三田東急アパート跡地。
もはや、廃屋の欠片もなく整地されて、新たなビルがニョキニョキ建ち上がるんでしょうね。
この辺りは昭和、平成が交互になっていたり、家屋の建て替え時なのか、土地を手放して新たな住民が手を入れているのか。
佐藤宏尚建築事務所隣は蔦の絡まる昭和家屋が残っていたりします。
そんな昭和家屋に後ろ髪を引かれながら歩いていると亀塚公園に。
亀塚って亀塚古墳なんですね。
円墳なのかな。
亀塚古墳のある公園隅の崖から階段を下りていくと、丘の斜面に御田八幡が置かれている。
書かれていたんで、公園奥にある崖沿いの階段を下りていきます。
中学の歴史の授業でここを訪ねた頃は、崖の向こうに品川・田町間の線路や芝浦の運河が見渡せた憶えがあるけど、いまは第一京浜ぞいの高層ビル群に隠れて、芝浦方面の景色はまるで見えない。
目の前のビル群がなければ芝浦方面まで見渡せただろうなぁ〜と思える高低差でございます...(^^;)ハハハ。
ハァ〜ハァ〜息を切らしながら辿り着いたのがこちらの御田八幡神社。
お正月三日だったんで、初詣でしょうか?朝からご家族で詣でられていらっしゃいました。
再び聖坂に戻り、
この道は右手も古い寺が集まっていて趣がある。
とある、右手の一画に誘い込む幽霊坂。
心躍らせてくれるネーミングでございます(笑)
こちら側にも窪地があって、ちょっとした隙間に東京タワーが垣間見える。
という本書の記載では建物の隙間から東京タワーが見えてくれると雰囲気出るんですが、残念ながらそういうシチュエーションに出会えず、広場の先に東京タワーが...(^^;)ハハハ。
そして、まず最初の味わい深い趣ポイント!
仙翁寺と玉鳳寺が向かい合うT字路
二つの寺院の門がこんにちわをするように向かい合うT字路です。
もう一つがこちらの
清久寺へ入っていくスイッチバック式の石畳路地
高低差のある狭い敷地を車で上がるにはスイッチバック方式なのですっ!
グッとくるポイントはそれ以外にも、清久寺へ向かう途中の昭和な長屋や、
朝日を背に受けて陰が夕方のように長く伸びる幽霊坂。
と、高低差という地形と昔ながらの狭い路地が縦横無尽に絡み合うこの一角はなかなかのお写ン歩スポットでございます。
再び聖坂に戻り、常教寺の塔と本堂が一体化したような本堂を横目に見ながら先へ進みます。
三田台公園の塀を這う蔦と紅葉が良さげだったんでパ写リ。
伊皿子の交差点を過ぎるとそろそろ二本榎通りになるのかな?
伊皿子を過ぎると、右手にこんもりと見えてくる木立は、高松宮邸の屋敷林
隣接する公団高輪一丁目アパートの奥に大石内蔵助以下赤穂浪士十七名の碑が置かれている。
とあるとおり、なんか小綺麗な団地のように何棟も林立しているのは正確には都営高輪一丁目アパートということで、
そのまさに裏にございました。
大石良雄外十六人忠烈の跡。
赤穂事件後預けられた細川家下屋敷があったところなんですね。
こちらで切腹をした大石内蔵助以下赤穂浪士十七名。
この奥がその現場なのでしょうか?
そんな大石内蔵助以下赤穂浪士十七名の碑を観に行く途中で気になったのが、通りの反対側のこちらの堀江歯科医院の脇。
この先の保安寺に通じる参道のようなのですが、
こちらも高低差のある石段でして、これがなかなかの趣なのです。
堀江歯科医院の通り側は洋館で、その奥が木造の日本家屋、それと鄙びた石段のコラボレーションがいぃ〜感じなのです。
今回は本書に記載の無い物件でなかなか満足度の高いモノに出会えている気が(笑)
こちらのとらやさんもそんな物件の一つ。
増改築を繰り返してきたような、大正・昭和・平成のキマイラ物件でございます。
ところで、この承教寺、二本榎の石碑の横にある「件」(顔が人、胴体が牛の空想獣)の石像の方が見物だ。
とある承教寺さんには路地を伝って裏側から入ったんですが、境内の中には全然この件の石像が見当たらないのです。
まさか取り壊された?でも二本榎の碑まで撤去することはないよなぁ〜
と訝しみながら帰りは素直に二本榎通りから繋がる参道から出たら、ちゃんと参道の山門前にいらっしゃいました...(^^;)ハハハ。
「件の」とか言葉として使っているけど、そもそもは『件』という空想獣のことなんですね。
向かい側の黄梅院に新たな二本榎が植わっていると聞いたが、よくわからなかった
という向かいの黄梅院さんへ。
やはり境内には二本榎らしきものは見当たりませんでした。
がっ、帰り際に振り返ってとった一枚のこの左側の林のあたりにひょっとして、件の二本榎があるんでしょうか??
さて、表通りの商店街、そろそろ見えてくるかな?前方を遠望しつつ歩いていると、ようやくビルの向こうに高輪消防署(二本榎出張所)の独特の火の見やぐらが現れた。
とある高輪消防署(二本榎出張所)の火の見やぐら。
もう、火の見やぐらとしては機能してないようですが、街のランドマークとして今もご健在でございます。
こういう時代を感じさせる建物はできる限り残して貰いたいモノです。
そして、消防署の交差点の先に高野山東京別院がある。
最後のランドマーク、高野山東京別院に到着!
でも、山門周りは工事中でくぐれませんでした。
本堂の質感は新しいが、ここに高野山の江戸在番所が置かれたのは延宝元年(1673年)、つまりここが高野聖の道のゴールなのである。
今回、『聖坂』ということで、やっぱり「聖」のイメージだと「セイント」方面のイメージを持ってしまうんですが、こちらの聖は『高野聖』の「聖」なんですね。
そんな高野聖のゴールが今回の東京いい道、しぶい道のゴールでございます。
帰りは高野山東京別院のちょっと先の都営浅草線高輪台駅から五反田乗換で池袋まで。
今回は特に商店街巡りということもなく、史跡・名所中心というわけでもなく、聖坂・二本榎通りの時代時代を振り返っていくことが出来たという点では、これまでの道のたのしみ方とはちょっと違ってとても満足な道でございました。
【18 高野聖と火の見やぐら・・・三田聖坂・二本榎通り】
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