池袋モンパルナス
池袋モンパルナス(いけぶくろモンパルナス)とは、大正の終わり頃から第二次世界大戦の終戦頃にかけて、東京都豊島区西池袋、椎名町、千早町、長崎、南長崎、要町周辺にいくつものアトリエ村(貸し住居付きアトリエ群)が存在し、多くの芸術家が暮らし芸術活動の拠点としていた地域の呼称。また、この地域に暮らした画家、音楽家、詩人などさまざまな種類の芸術家が行った芸術活動および熱く語った文化全体もさす[1]。
大正の昔から第二次世界大戦の終戦くらいまで池袋周辺に存在したという、芸術家たちのアトリエ村の総称『池袋モンパルナス』。
その後のトキワ荘、乙女ロードに東アジア文化都市豊島の池袋大改造とどうやら『文化』の香りが連綿と続いているらしい池袋のキッカケとなった池袋モンパルナスの名残、痕跡を訪ね歩く新シリーズ『池袋モンパルナスを夢想して』!
第二回はうちの相方さんとお付き合いするようになってから6年弱ほど暮らした高松二丁目からおとなりの要町一丁目といった懐かしい住宅地の路地を辿ります。
このシリーズでは豊島区公式HPにある『アトリエ散策マップ』を参考にしています。
【喫茶ショパン 斉藤与里旧居跡】
前回のみどりヶ丘アトリエ村跡を訪ねた時の坂下通り商店街の終点、山手通りの向こう側が今回の舞台。
信号を渡ると営業を終了したハタボウルがまだ解体されずに残っていた。
ハタボウルの喫茶店のケチャップビシャビシャのナポリタンが、うちの相方さんの好物だったことを思い出す...(遠い目)。
この近辺はうちの相方さんと出会い、同棲し、結婚という初期の6年弱を過ごした生活圏だったのだ。
ハタボウルの敷地の左側の山手通りとえびす通りの三差路にあるお好み焼さんは未だに健在っ!
ここの広島風お好み焼きは安くてボリュームたっぷりで貧乏生活時には大変お世話になりましたm(._.)m
当時の高松の我が家からハタボウルのところのマルエツに買い出しに行く際にいつも前を通っていたガレージ画廊。
なんでこんなところで営業してるんだろう?と首を傾げながら通り過ぎてたんだけど、今になって池袋モンパルナスなんてモンに興味を惹かれてみると、そんな流れがここにはまだあるのかもしれないなと。
馴染みのえびす通りから途中右に曲がると初めて目にした銀婚通り。
そこに先ず今回目指した『喫茶ショパン 斉藤与里旧居跡』があります。
時間があったらちょっと一服したかったんですが...(^^;)ハハハ。
この辺りは一面もれなく住宅地。
特に通り側は一戸建ての住宅が並びます。
戸建てを観て廻ってもオモシロくないので、裏路地に入り込んでみます。
裏路地にはなぜかアパートが点在。
この辺りは以前のアトリエ群の名残ということなんでしょうか。
蔓這うブロック塀。
この辺りが住所としては豊島区高松二丁目5付近。
区画をグルッと一周して、また銀婚通りに戻って来ました。
豊島区高松2丁目5付近。斉藤与里の旧居があったエリアです。
【すずめが丘アトリエ村】
斉藤与里旧居跡を後にして、次に目指すすずめが丘アトリエ村は要町一丁目ということで、高松二丁目の南西側に路地を抜けていきます。
するとポストの上に載っかって、ドアを開けてくれるのをニャァ〜ニャァ〜言うて待っている黒ブチさんを発見(笑)
この一角がすずめが丘アトリエ村。
ご多分に漏れず残滓の欠片もないですが...(^^;)ハハハ。
でも、なんかこのアパートの名前『培風寮』とかって、なんか当時の趣を感じませんか?
この辺りも通り沿いは戸建ての住宅が並び建っています。
一見、アトリエ付っぽい様式にも見えなくもないんですが、戸建てだから普通の住宅なんでしょうねぇ...(^^;)ハハハ。
そして裏側にはアパート群。
住所としては豊島区要町一丁目31。
豊島区要町1丁目31付近。かつてすずめが丘アトリエ村が存在したエリアです。
やはり池袋モンパルナスを匂わせる旧跡的なモノはありませんでした...(T^T)涙。
とりあえず、要町通りの方に出ようかと歩いていると、道のど真ん中に塞がれた井戸の跡!?
これ真っ暗だったら車とかぶつかりそうだけどダイジョブなんだろか?
えびす通りに入ると駐車場に黒マスクさん!?
近づいてみるとニャァ〜ニャァ〜となにやらせがんでおります(笑)
そして、要町駅周辺。
山手通りと要町通りが交差するこの写真の左側、椎名町より手前あたりのエリアが池袋モンパルナスの旧跡の密集地。
そろそろ痕跡を今に伝えるモノが欲しいですね。
池袋モンパルナスに夜が来た
学生、無頼漢、芸術家が街に
出る
彼女のために、神経をつかへ
あまり太くもなく、細くもない
ありあわせの神経を———。
・・・・・・・・・・・・小熊秀雄「池袋モンパルナス」より
(「サンデー毎日」昭和十三年七月三十一日号)