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池袋モンパルナス
池袋モンパルナス(いけぶくろモンパルナス)とは、大正の終わり頃から第二次世界大戦の終戦頃にかけて、東京都豊島区西池袋、椎名町、千早町、長崎、南長崎、要町周辺にいくつものアトリエ村(貸し住居付きアトリエ群)が存在し、多くの芸術家が暮らし芸術活動の拠点としていた地域の呼称。また、この地域に暮らした画家、音楽家、詩人などさまざまな種類の芸術家が行った芸術活動および熱く語った文化全体もさす[1]。
大正の昔から第二次世界大戦の終戦くらいまで池袋周辺に存在したという、芸術家たちのアトリエ村の総称『池袋モンパルナス』。
その後のトキワ荘、乙女ロードに東アジア文化都市豊島の池袋大改造とどうやら『文化』の香りが連綿と続いているらしい池袋のキッカケとなった池袋モンパルナスの名残、痕跡を訪ね歩く新シリーズ『池袋モンパルナスを夢想して』!
前回に続き第四回の今回はメイン処!
『アトリエ散策マップ』をみると、山手通りの西側、北は要町通り、南は西武池袋線に挟まれた区画の立教通りの南北に池袋モンパルナスを形成するアトリエ群が点在しているのです。
そんな今回は立教通りの南側千早一丁目から長崎一・二・三丁目の路地を辿ります。
ちなみにこのシリーズでは豊島区公式HPにある『アトリエ散策マップ』を参考にしています。
【東荘跡(小熊秀雄終焉の地)】
今回もスタートは要町駅前から。
左側の山手通りを真っ直ぐ南に向かってもいいんですが、左右に伸びる要町通りを西にちょっと向かいます。
フレッシュネスバーガーのところを左に左折して南へ!
すると右側に千早第二公園が見えてきます。
実は金沢から都内に戻ってくるときにこの公園の裏あたりのマンションに決めてたんですよ。
でも、いざ契約日の時に今住んでいるマンションに空きが出て速攻でこちらをキャンセルしたという...(^^;)ハハハ。
もしそのまま住み続けていたらもっと前に池袋モンパルナスの歴史に気がついていたのかも?
そんなことを思いながら南へ歩を進めているうちに小熊秀雄終焉の地である東荘跡地に到着です。
今はマンションとなっているこちらが小熊秀雄終焉の地。
ビギナーとしてはこういう風に『アトリエ村道しるべ』とプレートとかがかかっていると嬉しい限り。
でもこれ、全てのポイントに在るわけじゃ無いんですよね。むしろほとんど掲げられていないのでアトリエ散策マップを見ながらGoogleせんせいで検索してと、非常に効率が悪いのです...(^^;)ハハハ。
ちなみにこちらのマンション、『LITTLE VILLAGE』となにやら池袋モンパルナスの残り香を彷彿とさせます。
千早のあたりもほぼ住宅地ですが、なかにはこんな文化住宅がまだ残っていたりもします。
そんな小熊秀雄終焉の地である東荘跡地は千早一丁目12番地付近です。
【城西西アトリエ群】
東荘跡地を後にして西へ!
今回はポイントが多いのです。千早から長崎にかけてが池袋モンパルナスの主要エリアだったみたいで。
次に向かったのが同じく千早一丁目の城西西アトリエ群跡地。
広さ的に数々のアトリエ付住居が建ち並んでいたであろうこの場所は、いまや公園に変わっています。
まだ八分咲きにもなっていないソメイヨシノの下では早くも花見客が(笑)
春先のような御陽気だったこの日は、こんな感じの咲き具合。
不思議なことにこの公園内には、なぜか都営大江戸線の試作車両が展示されています...(^^;)ハハハ。
そんな城西西アトリエ群跡地は千早フラワー公園に!
【丹阿弥岩吉旧居跡】
千早フラワー公園を後にして、1ブロック南へ進むと、丹阿弥岩吉旧居跡付近です。
でも御覧の通りこちらのブロックも最早一般住宅ばかり...(^^;)ハハハ。
ちょっとぐるりと廻ってみると、通りの奥にはまだこんな昭和な木造アパートが存在したり。
そんな昭和なアパートの隣にはこんな今風なマンションが建っていたりと、時代の入り組みようが忙しい区域です(笑)
なんの関係もないでしょうけど、こんな感じの天井裏が広そうな住宅もぽつりと建ってたりもします。
そんな丹阿弥岩吉旧居跡は長崎二丁目28番地付近です。
【寺田政明旧居跡】
次はアトリエ散策マップを見ると一番西の端。
長崎三丁目の寺田政明旧居跡に向かいます。
ご多分に漏れず、このエリアも御覧の通りの住宅地が広がります。
ナンの変哲も無い一般住宅が並ぶばかり。
まぁ、そらそうだよなぁ〜痕跡といってもよほどのことじゃない限り宅地造成されちゃいますよね...(^^;)ハハハ。
通り沿いは綺麗になっても裏路地にその片鱗はあるまいかと、ずけずけと裏路地も徘徊します。
すると一見当時を忍ばせるような物件があったり。
残念ながらこのエリアは住所を示す標札が見当たらず、こちらのマンションの住所で仮置き(笑)
寺田政明旧居跡は長崎三丁目23番地付近です。
【さくらが丘パルテノン跡】
寺田政明旧居跡の次は池袋モンパルナス最大のアトリエ群が連なっていたというさくらが丘パルテノン跡へ。
モンパルナスにパルテノンて、もぉ〜なにがなにやらという感じで、なんか当時はもうノリだけだったんでしょうね(笑)
そんなさくらが丘パルテノン跡に向かう道中、エメラルドグリーンだの黄色だのなかなかな色鮮やかさが目立つ建売住宅群がありました。
天井裏が広そうな感じもなにやらアトリエっぽいつくりですが、一般住宅でございます(笑)
長崎商和会の通りに入ったところで、
『祝3月22日開館 トキワ荘マンガミュージアム』との幟が。
そぉ〜いえばそろそろ開館だったかぁ〜と思いきやっ!?
HPを見てみたら、コロナの影響で4月まで開館延期になったようです...(^^;)ハハハ。
のんびりと歩を進めていたら、長崎二丁目中央児童遊園のところに長崎アトリエ村の説明パネルが建てられていました。
やっぱり郷土資料館は一度行ってみないとイケないな。
でもコロナで休館だったりするんだろうな...(^^;)ハハハ。
そして、この一角がさくらが丘パルテノン跡地になります。
もう、これまでの経験から大体わかってきました。
車が通るような道沿いは最早今風な一般住宅となっているンで、各住居間の通り道となっている裏路地に当時を忍ばせるような物件が潜んでいる可能性が高いのです!
案の定、存在しているでは無いですか!こういう家の前の樹木とかも大切な要素です!(笑)
こちらもなかなか古そうな昭和家屋でございます。
蔦が絡まる感じもいぃ〜演出です。
そんなさくらが丘パルテノン跡地は長崎二丁目26番地付近です。
【林武・松本竣介旧居跡】
今回の最後に目指したのは林武・松本竣介旧居跡。
でも、その痕跡は見当たりません。
一軒一軒このブロックの標札を観て廻りましたが、それらしきモノは一切無く...(T^T)涙。
気がつくと目の前には神社がっ!?
こちらの社は長崎八幡神社といい、田畑くらいしかなかった当時は村の鎮守だったんでしょう。
なんか最後が締まらないまま、林武・松本竣介旧居跡は長崎一丁目19番地付近でした。
帰りはこちらの仲通り商店街を南へまっすぐ。
すると西武池袋線の椎名町駅前に出てきます。
椎名町駅からは西武池袋線の各駅停車に揺られて池袋へ。
そんなこんなな池袋モンパルナスを夢想しての千早一丁目、長崎一丁目・二丁目・三丁目編。
次回はおそらく最終回!?西武池袋線の南側、目白通り界隈をを徘徊します!!
ちなみに『池袋モンパルナス』という語感に痺れて、ナンの予備知識も無いまま条件反射的に徘徊を始めてしまったワケですが、その場その場の空気感を感じるとより深く実像を知りたくなるモノで、今さらながらにこんな本を手にして勉強しています...(^^;)ハハハ。
池袋モンパルナスに夜が来た
学生、無頼漢、芸術家が街に
出る
彼女のために、神経をつかへ
あまり太くもなく、細くもない
ありあわせの神経を———。
・・・・・・・・・・・・小熊秀雄「池袋モンパルナス」より
(「サンデー毎日」昭和十三年七月三十一日号)