そんなこんなで、Go Toなコトが出来るわけでもない都民なボクは谷端川の水源から暗渠な川の川下りをすることにしたのです。
な、谷端川川下りの第五弾!
今回からは川下り中盤から後半戦!
前回の大塚駅から再スタートなのですっ。
前回のGOAL地点だったJR大塚駅から再始動。
今回も120mmリバーサルフィルムのFUJIFILM PROVIA100が使いたい!という理由だけで中判カメラを持ち出します。
でも、この日は善三郎サンのブローニーカメラ『Zenza BRONICA S2』にデジタルはいつものRicoh GRⅡで。
駅まで記念撮影してスタートですっ!
そんな駅前で記念撮影をして後ろを振り向くと、広場で朝もはよから近所の方々が集まって、ラジオ体操をしておりました。
都電荒川線の線路を越えて。
すると見たことある光景。
『大塚三業通り』の文字がっ!?
そうそう!2年前のGWに令和に切り替わることで、また昭和が遠くなることへの郷愁ではじめた『池袋昭和探訪な街歩き:番外編【大塚三業通り編】 』で徘徊したルートです。
当時は全然知らなかったですけど、この大塚三業通りも谷端川の暗渠だったんですねぇ。
すでに記憶が蘇ってきた大塚三業通りを進むと料亭『和可月』さん。
その前にはもう閉店してしまった『金春湯』さん。
豊島区の銭湯は次から次へと無くなっていってる気がします...(; ;)ハラリ。
こうして改めて見てみると川筋のように見えなくもないですね(笑)
大塚三業通りを真っ直ぐ進んでいると氷川下町児童遊園に行く手を遮られました。
グルッと迂回して、
またルートに戻ります。
この辺りはもう千石ですね。
すると不忍通りに出てきます。
この辺りも見覚えがあるンで、ちと右に進むと猫又坂の雰囲気ある路地。
不忍通りを渡ったところに猫又橋の残骸があります。
こちらが猫又橋の親柱の袖石が二柱置かれています。
丑三つ時にでも通りかかると妖怪猫又が折ってくるかも知れませんっ!?
そんな猫又橋を先に進みます。
なかなかこの辺は昭和が残っておりまして。
こちらは和紙の町工場のようです。
このあたりも色合いがイイですねぇ。
なんともいえないやさぐれ感でございます。
この辺りは旧町名は林町ということだそうで。
その先には『簸川神社』。
氷川神社ではなく簸川神社(笑)。
ご祭神は素戔嗚尊、大国主命、稲田姫命の三柱。
巣鴨の鎮守だったようですね。
流石にこの階段は、この後の行程を考えるとここで体力を消費するのはやめとこう!との賢明な判断でやめました...(^^;)ハハハ。
この辺りは北が高台で南に向かって低地となっているンで、脇路地がみな坂になっています。
そんなこちらは網干坂。
この辺りを境にまた次回へ!
というワケで千川粟島神社の水源から始まった谷端川川下りもこの辺りで中盤終了といったところでしょうか?
この網干坂を渡り、目の前に広がるとても都内とは思えないような光景の小石川植物園あたりから後半戦と相成りましてございます!