日に日に都内の感染者数が500人を越えるようになり、勤労感謝の日を含む三連休は『我慢の日』とも囁かれるようになった11月の三連休。
晩秋ともいえないくらいにポカポカ御陽気な行楽日和に、ジッと我慢の日々を過ごすのも勿体ないと、GOTOが出来ずとも近場でお写ン歩するのですっ!
向かったのは丸ノ内線で本郷三丁目駅下車。
特にテーマがあったワケでは無いのですが、コロナ以降全然お邪魔できていないチョートクブラぱち塾絡みのエントリーを見ていたら、初めてお邪魔したのがこの本郷だったんですね。
散々チョートク本を読み耽り、初めてその仙人のようなご尊顔を拝謁したのが2018年12月のブラぱち塾。もう2年も前の出来事なんですねぇ...(遠い目)。
とりあえず、駅前の春日通りを西へ。
本郷というお土地柄、各所に文士の旧跡が見受けられます。
先ず目にしたのはこちらの『啄木ゆかりの喜之床旧跡』。
ちなみにプレート以外になにも残っておりません(笑)
グルメバーガーの名店FIRE HOUSE脇の坂道を北へ向かいます。
この坂は本妙寺坂。
本郷台地としてはまだまだ端っこに位置します。
とりあえずは樋口一葉の菊坂の家を目指そうと思い、菊坂を西へ!
樋口一葉との縁が書かれています。
今の菊坂は商店街のような並びでもあり、いまいちオモシロくないので、1本南側を並走する一段低い路地に向かいます。
ここは通りかかったことあるなぁ〜と思いながら段々を下っていると『宮沢賢治旧居跡』でした。
菊坂の一段下の南の路地はチョートクブラぱち塾でブラブラしたところで、このカラフルな住居もお見かけしましたね(笑)
Google先生の地図を見ていると近くに『炭団坂』という坂があるようで、そこに向かいます。
こちらが炭団坂。
台地を切り通したようなこの坂には石垣のような部分も残っています。
上から見下ろした炭団坂。
説明書きにも書かれているとおり、この辺りは上がったり下がったりと自分は一体どこに居るの?と感覚がおかしくなってきます。
炭団坂を上がりきった台地に沿って脇に道があるようで、この写真の左側の道を進んでみます。
するとこの左側の建物あたりが『坪内逍遙旧居・常盤会跡』。
台地の上にも各所の路地裏が存在していて、このあたりは手前から奧に向かって、昭和から大正までの空気が残っています。
まるで大正で時が止まっているかのような空間です。
まだここで暮らしているというのがスゴい!
そんな時空の歪みに脳味噌を揺らされていると、鎧坂に出てきます。
台地の傾斜をモノともせずに建ち続けている木造家屋。
この鎧坂には金田一京助・春彦旧居跡がありました。
鎧坂の脇路地に入り込んで樋口一葉の旧居へ。
ここも大正的な空間に紛れ込んだかのよう。
この手前の暗さから先の光に満ちた空間への小径がドラマチックなのです。
まるで映画のセットのようですよねぇ。
振り返って樋口一葉菊坂旧居跡。
この小径に残っている井戸が先ほど菊坂のプレートに書かれていた樋口一葉が利用していた井戸でしょうか。
また、菊坂に戻ります。
菊坂を道なりに北西に進んでいくと、こちらも樋口一葉縁の旧伊勢屋質店。
中も拝見できるようですね。この日は開いてませんでしたけど...(^^;)ハハハ。
旧伊勢屋質店を越えたところで胸突坂。
名前の通り胸を突くような急な坂が待ち構えておりましたっ!?
これはオジサンには辛い...(^^;)ハハハ。
胸突坂を上がりきったところに旅館『鳳明館』。
こちらも昔ながらのテイストでいぃ〜感じです。
森川町児童遊園に向かって路地をウロウロしていると、チョートクブラぱち塾でなかなか見つからずウロウロしていた、喫茶店ユーミンの前に出てきました。
でも、もう営業してないんですよね...(^^;)ハハハ。
ユーミンを後にして道なりに進むと森川町児童遊園まで出てきました。
となるともうすぐ、あの木村伊兵衛の本郷森川町の写真で有名なロータリー。
都内には所々こういう旧町名の案内板がありますが、○○何丁目とかいう味気ない町名よりも、昔ながらの旧町名の方が町の雰囲気があっていいですよね。
銀座の木挽町とか好きなんだけどなぁ〜。
道なりに進むと東大正門前の本郷通りに出てきます。
最後に構内の三四郎池とかの紅葉でも見て帰ろうかと思ったんですが......。
なんとっ!?近所の人も犬の散歩で自由に構内をウロウロできた東大も、コロナ禍により入構制限が実施されていて関係者以外は立入禁止になっておりました...(T^T)涙。
仕方が無いんで、最後は赤門を一枚撮って池袋に戻ります。