カメラ片手に池袋周辺を徘徊するようになって早四年強。
歳を経る毎に二度寝三度寝が出来なくなる位には老化が進み、早起きが常態になってしまったことから、コロナ禍のこの一年では毎朝のお写ン歩が日課となり、我が家から半径徒歩40分圏内の路地という路地は踏破してしまっている始末。
そんなお写ン歩三昧の生活の中で改めていぃ〜街だなぁ〜と思うのは雑司が谷周辺。
都電荒川線沿線を中心に再開発が進み始めては居るモノの、鬼子母神周辺や雑司ヶ谷霊園周辺はまだまだ昭和の香り漂ういぃ〜街並みと時間が止まったような路地裏が残っている。
なにより池袋と違って、上を見上げるとちゃんと空が見えるのが良い。
そんな雑司が谷に続いて、最近気になり始めているのが東池袋の都電荒川線周辺のエリア。
東池袋というと豊島区庁舎移転前後から、池袋再開発の中でも始めに工事が始まったエリア。
以前のイメージの悪い東池袋から、タワマンは屹立しまくるは道は広くきれいに整備されるは、勘違い池袋移民が集う公園は整備されるはで前世紀までのイメージとはガラッと変わってしまったエリアである。
しかしっ!?そんな再開発エリアでも端から端まで再開発し尽くされるわけではなく、そんな再開発から当然取り残されるエリアというモノが確実の残るのである。
そんな再開発から取り残されているのが東池袋の都電荒川線周辺に一部まだまだ残っているのです。
そんな東池袋取り残されエリアに点在する裏路地広場を改めて巡ります。
この日の相棒はいつものLeica M9-PにLeitz Summaron 35mm f3.5を付けて。
このところちょいちょい訪れる都電荒川線東池袋四丁目電停。
このホームを通り抜けて電停先の踏切へ。
ついこの間日出優良商店会後編の時に同じ構図がありましたが...(^^;)ハハハ。
この日出優良商店会にちょっと入り込みます。
この日出優良商店会の脇路地に実はあったんですねっ!?
東京暗歩水窪川編で訪れた日光広場!
この東池袋の裏路地広場のなかでは唯一案内板のある日光広場。
なにゆえ日光なん?という謎はこの案内板をみても理解出来ないが、でもこの広場のコンセプトはマジで日光なのだそう。
陽明門だの、男体山だの華厳の滝だのが表現されているのだそうで...(^^;)ハハハ。
このタイル張りの窪みはなんなんでしょうね?華厳の滝の滝壺??
そんな滝壺の端にあるこちらのベンチは記念撮影用のベンチなのだそう......。
シュールが過ぎる...(^^;)ハハハ。
そしてこちらがメインモニュメントな陽明門!?
ってか、陽明門てこんな形でしたっけ??ボクの記憶には別の陽明門が記録されているのですが...(^^;)ハハハ。
そんな陽明門には裏側から登ることが可能です(笑)
そんな日光広場を後にして、水窪川暗渠のルートを進んでいくと、以前は気にせず通り過ぎてましたが、どうやらこの閉鎖された空地も場所柄以前は路地裏広場だったんじゃね?的な空地が広がってました。
そしてまた日出優良商店会に戻ります。
ここからは水窪川暗渠ルートから日出優良商店会ルートを進みます。
前回はあまり気にせず通り過ぎていたミフネ洋菓子店。
店舗外観は綺麗に改装されてますが、昔ながらの洋菓子店の雰囲気が漂います。
そんなミフネ洋菓子店の前にあるのがこちらの日出広場!
といってもここって正式名称が表示されてるわけでもありません。
Googleマップ上でも広場名はなく、日出優良商店会にある日の出のモニュメントがメインオブジェなんで、ボクが勝手に日出広場と呼称することにしました(笑)
この広場は他と比べて整備されたのが新しめな感じもあり、広場内のテーブルやスツールもちゃんとデザインされてます。
この広場の正しい使い方は、そこらの自販機で缶珈琲を買い、ミフネ洋菓子店でケーキをお持ち帰りして、このテラス席で頂くことでございましょう。
テーブル下にはタイル画が敷かれていたり。
日出優良商店会からまた水窪川暗渠ルートに入り込み、
やはり〆はこちらの富士山広場。
そもそもなぜ東池袋の中のこのエリア周辺の裏路地にこのような子供たちが遊ぶにはせますぎる広場が点在しているのか謎のままですが、そんな謎の裏路地広場の中でも特に意味不明なレイアウトてんこ盛りなのがこの富士山広場なのです!
こちらは浅間神社の鳥居なのか?と深読みしたくもなりますが、多分民家の玄関の枠なのでしょう...(^^;)ハハハ。
この広場に入るにはちゃんと玄関から訪問します!
広場の敷地を枠を象るように敷かれたタイル張りは旧水窪川を模しています。
このタイル張りの水窪川の上流を辿っていくと、付いた先には水窪川の碑。
先ほどの水窪川暗渠のエントリーでも触れましたが、
昔ここに小さな川が流れていた
後世にコレを伝える
1986年
と、かつて水窪川がここを流れていたことをひっそりと後世に伝え続けているのです...(T^T)涙。
ちなみにここもなぜ富士山なのかは謎!?
そんな富士山への登頂口がこちら。
広場中央には卓袱台!?
卓袱台の奧には台所...(^^;)ハハハ。
もはやまじでここ元民家でしょ?という謎が謎を呼ぶ富士山公園は奥が深すぎます!
こちらはかつて我らがチョートク翁が書斎として利用していたという、書斎スペース。
書斎には椅子と棚が用意されてます。
この小さくて狭いスペースに腰を下ろしていると、何故か落ち着くんですよね。
目の前には謎の富士山しか見えないんですが、その手前には卓袱台に台所と昭和のダイニングキッチンがレイアウトさており、時間と場所の感覚が次第に蕩け初め、なんともいえないリラクゼーション効果をもたらすのです.........多分。
なんど訪れても厭きない大人の裏路地広場、それが富士山広場です。
そんな富士山広場の前もなんともいえない廃墟と化した都民生活相談所的場茂邸。
廃墟となり開け放たれた玄関とその脇に未だ見事に咲き誇る牡丹の生と死の対比が素晴らしぅ〜ございます。
なにゆえここに集まった?というくらいに邸奧の庭に積み上げられた廃棄物と化した自転車。
とにかくテレビ等々の家電からスクーターまで、ありとあらゆるモノが邸周辺に不法投棄されてます。
『不法投棄禁止』!の先に数々の不法投棄...(^^;)ハハハ。
なかなかジャンク度合いの激しい物件です。
そんな昭和時代へタイムスリップな路地裏広場巡りを終えて、現在の池袋へ。
こちらは出来たてほやほやの再開発エリアのIKE・SUNPARK。
朝っぱらから芝生に佇んでおります...(^^;)ハハハ。
時間の流れがゆったりな昭和から世知辛い令和の時間軸になれるために、大通りを歩いて帰路につきます。
普段見飽きて写真に撮るなんてコトは無い、サンシャイン60を敢えて撮ってみたり(笑)
首都高が空を塞ぐ音羽池袋線の横断歩道を渡り、池袋ネコ歩きmini北ウィングコースの帰り道で家路につきます。