そんなこんなで野崎から武蔵野台地を通る人見街道をブラブラとお写ン歩してきた偽『東京いい道、しぶい道』。
今回は前回に引き続き人見街道(後編)なんですが、ちょっと脇道に逸れて長閑な農村風景が広がる野川沿いの大沢の里を散策ですっ!
前回から引き続いての人見街道散歩、野川の岸辺にやってきた。水際にずーっと緑の草地が続くこの川、のどかな田舎の小川の趣が漂っているけれど、昭和40年代に一応治水工事を施した上で、自然ムードの川筋に仕立て直したものだと聞く。
人見街道に架かる橋からちょっと下った所に「新車」の屋号で呼ばれる水車農家・峯岸家がある。
というワケで、今回のランドマークで幻の火の見やぐらに続いて期待していたのが『しんぐるま』こと、こちらの『大沢の里水車経営農家』。
入館料として200円かかります。支払いの後、昨今のご時世なので検温、消毒、何かの際の連絡先を記入してから見学を始めます。
こちらが茅葺きの母家。江戸の文化10年(1813年)頃の建築だそう。100年以上も前の建築物なんですね。今でも普通に使えそうなのがスゴい!
母家の脇の水車小屋では今でも水車が回っています。
40トンの水を循環して動かしている現在の水車。
今の時期は見学用に廻しているだけで、米や小麦の収穫後には精米や小麦粉造りで動かしているそうでございます。
いやぁ〜ホンと時空が止まったかのような空間です。
あ゛っ!?という間に見終わってしまいますが、こういう普段は感じられない時間の流れを愉しみつつ、説明書きをゆっくり読んでみます(笑)
水車小屋を後にして野川沿いを歩いていると、飛橋の手前にもグルグル回る水車がありました。
ゆっくりと廻る風情もいいですが、ガタゴトとした木造の水車が廻る音も気持ちが安らぎますよねぇ。
飛橋を渡って、対岸へ。
というのも水車小屋でもらったパンフレットの地図を見るとこの大沢の里にはまだまだ見学ポイントが目白押しなのですっ!!
パンフレットで見ていないと通り過ぎてしまいそうですが、ここは水田なのだそうで。
春の田植え、秋の収穫時の稲穂の時期はまた違った景色が見られそうです。
山の脇を流れる清流はほたるの里。
東京でほたるが見られる?これも是非一度は輝きながら舞う蛍の灯りを眺めてみたいモノでございます。
この清流の流れは山葵田にも繋がっています。
大沢山葵とかいうそうで。
さらには山の上にもアトラクションがっ!?
結構急な階段路をハァ〜ハァ〜いいながら上っていくと......
けっこうリアルに再現されたレプリカの出山横穴墓群8号墓。
ちょっとした小屋見たいな建物に覆われており、中では説明のアナウンスが流れていました。
8号墓を後にして山道を流れに沿って歩いて行きます。
がっ、この先がどこに繋がるのか全然パンフレットの地図ではわからないので、このままでいいのかちと不安...(^^;)ハハハ。
すると先ほどの『ほたるの里』の看板あたりに下山してきたので、このまままた人見街道を歩いていきます。
人見街道に戻って、ちょっと西進したところに近藤勇の墓を置いた龍源寺がある。
の通り、龍源寺。
かの新撰組組長近藤勇の墓地があるそうです。最後はまた地元に戻ってこられたんですね...(-人-)合掌。
そんな龍源寺の門前には近藤勇の胸像が鎮座坐して在らせられます。
いわゆる写真でよく見る四角い顔で大きなへの字口な、みながイメージする近藤勇の造形ですね。
その少し先、野川公園の入口脇に生家跡が、斜向かいあたりに道場「撥雲館」がある。
まずは近藤神社となっている生家跡。
あくまで跡地なので、当時の生家的な物件はなにも残っておりません。
こんなところにも外国人観光客な方が足を運んでいらっしゃいました。
海外でも歴女とか新撰組ファンていらっしゃるんですね?(笑)
近藤勇生誕の地の斜向かいにあるのが、天然理心流道場撥雲館。
有名な試衛館は牛込柳町の道場で、こちらは勇の養子・勇五郎が明治年間に開いた道場なのだそう。
この撥雲館の敷地でビックリしたのがこちら...(^^;)ハハハ。
なにゆえか?羊が土中より顔だけ出しております(゚Д゚)
そんな撥雲館の裏には農地が広がっており、ここだけ切り取るととても都内の光景とは思えません(笑)
すぐ向こうは調布飛行場なのである。畑の奥の滑走路にさっきの小型機が見えた。
残念ながらこの日は全然飛行機が飛び立つシーンに出会えませんでしたが、この先の広場は調布飛行場になります。
人見街道をさらに西進していくとビニールハウスを見かけたり。
やがて多磨駅前の商店街に差しかかる。
そうこうしているうちに農村風景から駅前商店街な街並みに変わり、多磨駅商店会の看板が見えてきました。
その先は西武多摩川線の踏切。
そういえば、入社後4年間は白糸台の会社の寮で暮らしてましたが、そこから西武多摩川線に乗って、三鷹の職場の方に通勤している動機とかもいたなぁ〜と大昔の記憶を呼び覚ましながら、踏切を渡りました(笑)
僕はさほど親族の墓参りに熱心な方ではないけれど、古びた佇まいの石屋を見るとグッと心が躍る。
と書かれている通り、踏切を渡ると石材屋さんが立ち並びます。
これって近くに多磨霊園があるからですかね。
そういえば、朝ン歩コースの雑司ヶ谷でも雑司ヶ谷霊園周辺には石材屋さんが点在してますもんね。
人見街道から多磨霊園に向かう道に折り返すと、石材屋よりもボクの琴線に触れたのがこちらのツバメ自転車。
パッと見バラックのような小屋なんですが、ちゃんと営業していらっしゃいます(笑)
多磨霊園の正門前の通りと出くわしたあたりには、戦前調のいい感じの石屋が何軒か並んでいて、興奮気味にカメラのシャッターを切った。
この通り沿いの石材屋さんは大店な感じですね。威風堂々な戦前の昭和建築でございます。
こちらはもっと古い木造建築な大店の玉川さん。
今はカフェとかもやっている様ですね。
そして終点はここ多磨霊園としておきましょう。
そういえば、学生の頃に夜中に友だちとドライブをしていて、テキトーに走ってたもんだからどこ走ってんのかもわからず、この多磨霊園入口の行き止まりでようやく車を止めて、ココどこだよ?と右往左往していたら、前に駐車していたパトカーにパッシング喰らった記憶が蘇りました(笑)
そんなこんなで帰りは単線の都内のローカル線、西武多摩川線で三鷹に出て、中央線・埼京線と乗り継いで池袋に帰ったのでした。
いやぁ〜三鷹も駅前はすっかり再開発されちゃってましたが、人見街道沿いは進めば進むほど長閑な景色が広がってるんですね。
特に野川沿いは秀逸ですね。こういうところで暮らすのも長閑でいぃ〜ですなぁ〜。
【36 野川べりの水車小屋・・・人見街道(後編)】
中央公論新社
売り上げランキング: 83,358