復活以降好調に歩が進んでいる偽『東京いい道、しぶい道』!
最終エリアの多摩エリアを徘徊しておりますが、早くも中盤から後半戦でございます。
今回は小田急線を西へ!
鶴川駅まで足を伸ばしたわけですが、小田急で多摩川を渡ったのはかなり久々のことでして、なかなか感慨深い日の出をともなう多摩川を車窓からしみじみと眺めておりました。
そんな今回も日の出前に家を出て、池袋から埼京線で新宿へ。
新宿からは小田急線で鶴川駅まで西進でございます。
相棒はここのところこれ一択といった感じの街撮りには最適なLeica CLにElmarit TL f2.8/18mm ASPHの組み合わせ。
都心の方から行く場合、小田急線の鶴川駅からバスでアプローチするのがいい。
と本書に書かれているので、鶴川駅の東に広がるバスロータリーに向かったのです。
しかしっ!?どこのバス停にも多摩センター行の表示がないっ!?
直近の出発時間まで残り5分を切ったあたりで相当焦りだし、Google先生に聞いてみたところ、多摩センター行きはこの駅東のバスロータリーではなく、駅西の鶴川街道沿いらしくっ!?
途中走り込んで、出発しようかというタイミングでギリ乗車...(^^;)ハハハ。
このスタートのバタバタからして、今となってはこの日の出来事を予感していたような気がしてなりませんが、当の本人はこの時点ではギリで間に合って良かったぁ〜と胸をなで下ろしていたのでございます.........。
広々とした鎌倉街道の新道が右方へ分岐していく、五反田の停留所でバスを降りた。
のとおり、15分ほどの乗車で五反田バス停に到着です。
ちなみに都心のネオン賑やかな五反田駅周辺と異なり、いかにも郊外といった感じの広い空が広がっておりました(笑)
そうそう!そういえば、鶴川駅のバス停では走り込み乗車だったんで、しばらく気がつかなかったんですが、この神奈川中央交通の路線バスって、後方ドアから乗車で、前方ドア下車なんですよね。
ここ数十年は都内のバスしか乗ってなかったんで、前方乗車料金前払いが常識になってたんで、この整理券方式に懐かしさを感じました...(遠い目)。
いまどき多摩地区でも、田んぼを見掛けると珍しい印象をもつようになった。そちらの左手に「野津田公園←」の指示板がでているが、野津田町は自然公園を中心に豊かな緑地が残されている地域で、僕のような虫好きの間ではオオムラサキの生息地として知られていた。
本書の中ではここで左折はせず、まっすぐ鎌倉街道を小野路へ向かって進むことになっているんですが、気になるところがあったンで左折することに。
まぁ、今回のルートは1.1kmの行程となってたんで、ちょっとくらい寄り道しても時間的には余裕かなと軽く考えてたんですよね。この時点では......。
細い路を歩き進めると、なだらかに登る傾斜が延々と続いている感じ。
全然予期していない負荷で足腰に乳酸がたまっていきます...(^^;)ハハハ。
直接の関連性はないけれど、野津田公園の奥には「農村伝道神学校」という戦後農村部のキリスト教布教に端を発する、コアな神学校が存在する。
そうなんです。この『農村伝道神学校』の文字に惹かれてのこのこと野津田公園の裏側まで足を伸ばしてみようと思ってしまったのです。
途中の野津田公園には、公園と名の付くモノのほとんど手が入っていない環境保護区のような更地が拡がり、これはこれで多摩地区まで足を伸ばした甲斐もあったかと。
でも、こんなんこの後の行程ではそこかしこに出現し、そのうちなんの特別感もなくなります...(^^;)ハハハ。
そんなこんなでひたすらゆったりとした上り坂を歩いているとよぉ〜やくそれらしき物件が登場!?
こちらは旧施設なんでしょうかね?かなり古めで、でも現在は使用されていない感じ。
そのさらに奧に今様な施設がちゃんとありました。
こちらが現在使用されている農村伝道神学校の施設ですね。
途中からボクと同じく野津田公園内を歩いていた方がこの施設に入って行ったンで、職員の方だったんですかね?
毎日ここまで徒歩出勤だと相当大変だなぁ〜〜。
とりあえず農村伝道神学校を拝見出来たんで、また野津田公園を縦断して鎌倉街道に戻るかっ!
と来た道を戻るのではなく、そのまま進んで戻っている道中。
突然ヘッドホンから音楽が聞こえなくなり、iPhoneを取り出すと画面が真っ黒になり電源ボタンを押してもウンともスンとも言わず......。
こんな土地勘の無いとこで、しかもほぼ舗装もされていない山道をGoogleMapだけを頼りに歩いているのに、iPhoneが死んだら右も左もわからず、遭難してしまうではないかっ!?!?
という恐怖に一瞬駆られたんですが、半分意識が遠のいて心ここにあらずの状態で数分が通り過ぎたらiPhone復活っ!?\(^O^)/
無事にGoogleMapも起動して、なんとかバス通りの鎌倉街道に戻ることが出来ました...(^^;)ハハハ。
バス通りの沿道は、小さな工場、銘木店、定食屋・・・・・・のどかな田園とはいいがたい、ちょっと中途半端な郊外風景だが、家並みの切れ間に竹林の崖を剥き出しにした谷川が垣間見えて、町田も随分奥まで来たことを実感する。
と書かれている通り、まんま銘木店をお見かけしました。
その隣には定食屋!とばかり思って写真を撮ったんですが、後でGoogleMapで調べていると、こちらは萩和材木店ということで、こちらも材木屋さんのようです。
でも、この店構えってどう見ても飲食店の感じですよねぇ?
まんま竹林の崖を剥き出した谷川も垣間見えちゃったりして、あぁ〜たしかに泉麻人氏もここを眺めながら通り過ぎていったんだなぁ〜ということがよくわかる道中でございました。
そして、小野神社のT字交差点に差しかかった。
ということで、よぉ〜やくこの街道のメインともいうべき小野路宿が見えてきました。
路の両側に木造の古い家が並び、年季の入ったなが米に沿って、道端に水路が通っている。
水路がある街並みは金沢時代に身近に感じていたんで、この雰囲気はとても好きな部類に入ります。
ここまでの道中、とても観光的な雰囲気がなかったんで、小野神社のT字路を越えたところから、一気に外向きに整備された感を味わうことに。
この辺が泉氏も久々に来てみて違和感を感じたところなんでしょね。
昔ながらの小野路宿の雰囲気を保存している宿もあれば、
今でいう民泊?のような今様な宿も並んでます。ホンとはこの先もも少し見て回る箇所があるようなんですが、本書でもふれてなかったんで、後編も控えているんで、この辺で道向かいのエリアへ。
交流館の向かい側に建つのが「小島資料館」。応永年間(1395年)から代々ここに居住する小島家が、昭和43年(1968年)に一般公開した資料館で、幕末期に交流のあった近藤勇と新撰組関係の展示物で知られる。
一般公開ではあるものの現在開館は第1第3日曜だけらしく。ホンとは午後に来たかったんですが、この週末は2月というのに15度を超えるポカポカ陽気でして、となるとスギ花粉も温度上昇とともに飛散しまくるので、朝のうちに徘徊ということで、残念ながらまだ開館しておりませんでした...(^^;)ハハハ。
この小島資料館の並びは昔ながらのお屋敷が建ち並んでおります。
ちなみにここは小島家の裏門とのこと。
裏門でこの物々しさですよ?...(^^;)ハハハ。
そして先ほどのT字路の交差点まで戻って来たところで、交差点の角に立つ『小野路宿里山交流館』。
ちなみにこの交流館の建物、多少改修はされているものの江戸の宿場町の時代から「角屋」という旅籠だった家。
やっぱり、昔から街道の角に立っているから『角屋』なんですね(笑)
そんなこんなでこの道中、本書だと1.1kmの行程ということですが、途中野津田公園を徘徊したり、遭難しかかったりのこれまでにない経験をいたしましたが、街道散歩なのに道路を歩いたのは2〜300mほど。
このあ゛れっ!?このコースなんかおかしい?というのは、この後の後編でさらに本格的になっていくことを、この時のボクはまだ知るよしもございません.........。
【37 多摩の隠れ里・小野路へ・・・鎌倉街道・小野路宿通り(前編)】
中央公論新社
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