先日、旧赤線跡の新宿二丁目を徘徊した影響か、ここのところ髙橋昌男氏の『ネオンとこおろぎ』、渡辺英綱氏の『新宿ゴールデン街』を立て続けに読みまして。
どちらも戦後ヤミ市の匂いを感じる物語となると、あらためて現地視察の誘惑が芽生えてくるのです(笑)
ということで、まずは何度も訪れたというか本ブログでは何度もご紹介してますが、一時期は毎週末のように通っていた新宿ゴールデン街へ!
ということで、副都心線で新宿三丁目駅に向かいます。
出口はE1がよろしいかと。でもE1出口って副都心線の改札出てからやたらと地下道を歩かされるんですよね...(^^;)ハハハ。
地上に出るとすぐ隣は花園神社の大鳥居。
この花園神社の境内を抜けて、新宿ゴールデン街に向かいます。
花園神社の高台から俯瞰する新宿ゴールデン街。
そういえば、これまで地ベタから見上げるゴールデン街しかみてなかったなぁ〜と。
今回改めて一番確認したかったのは右下に並ぶ有形文化財級の木造長屋。
これまでなんども目にしてた建物なんですけどね...(^^;)ハハハ。
いつもの『新宿ゴールデン街』のゲート下のBON'Sさんの路地から散策は始まります。
夜明け直後の時間帯はまだ営業中のお店も多く、この街中にアルコールの匂いが充満しています(笑)
新宿ゴールデン街の成り立ちを読んでから、改めて訪れるとこれまでなんとなく通り過ぎていたところも、趣深いモノになるモノです。
この街はそもそも駅周辺の戦後ヤミ市からGHQの命令で移転させられて来たんですよね。
しかも、いまでこそ新宿とはいえ、当時はすすきの野原が広がる広大な空き地だったようで、こんなところでは飲食店を経営してもわざわざお客さんがやって来ることもなく、次第に集客のために青線地区として発展してきたとのこと。
この木造長屋が並ぶ路地と路地の間を貫く『抜けられます』の通路も、そんな青線のお客さんが表から出なくても済むような気遣いだったのだそう。
ちなみに訪れた翌日には『新宿ゴールデン街納涼感謝祭』が開催されたようです。
普段だとまだこの街が眠っている間から始まるというのが興味深いですね(笑)
『抜けられます』の通路の他にも、実はこのように背中合わせの木造長屋の間も抜けられる箇所が残っています。
すべてが抜けられるわけではなく、このように通行止めになっている箇所も(笑)
いちおう猫もということで(笑)
いつものゴールデン街の年季の入った招き猫。
一度この街のお店の看板だけを集めたエントリーを作るのも面白いかも。
『くればわかる』といわれたら、なるほどじゃぁ行くか!という気になりますよね(笑)
そして、今回一番確認したかったのがこちらの木造長屋の三階建ての造りについて。
手前が駐車場になったことで俯瞰して眺められるようになってますが、これまでただ古い木造長屋が存在していることに興味深さを感じていただけなんですが、渡辺氏の『新宿ゴールデン街』を読んで改めて、この雑多な造りの意味を理解したのです。
そもそもやむにやまれず青線地区として発展したこの街、青線の売春宿として建てられたモノは予め三階建ての構造だったそうですが、当初飲食店として営業を始めた建物は二階建てだったんだそうです。
しかし、それではやっていけないと売春に切り替えた時点で二階の上にさらに三階部分を付け加えて商売を始めたとか。
なので、三階部分が取って付けたような長屋はそういう歴史を辿ってきたということなのです。
おそらくこの花園一番街の右側に立ち並ぶエリアがこの街の中でも一番古い建造物なのではないだろか?
この一角に『新宿ゴールデン街』の著者である故渡辺英綱氏のお店『ナベサン』がまだ現存しています。
いまは奥さんがやられていらっしゃるのかな。
ナベサンのドアの方が狭いんで、このドアを開けるともの凄い角度の階段を登るような気がします。
昔通っていたお店もそうだったけど、この二階へ向かう階段が恐ろしいんですよね。
絶対付きに何人かはどっかの階段で転がり落ちてると思うんだけど...(^^;)ハハハ。
このあたりはなかなか自由な構造の長屋がまだ現存しています(笑)
一、三、五、八のそれぞれの花園X番街を横断して繋ぐ最奥のまねき通りには新宿三光商店街振興組合が存在します。
現在この街の住所には歌舞伎町一丁目という名称が使われていますが、この街が形成された頃はこの辺一帯は三光町と呼ばれていたとのこと。
その名残が商店街の組合名に引き継がれています。
この路地は花園三番街。
両脇にまだ古き木造長屋が揃っていて、ゴールデン街の雰囲気を味わうには一番かなと思います。
ここには来るたびに毎回レンズを向けてしまう『原子心母』があったり。
花園五番街になると若干建て替えられた鉄筋のビルも建ち並び、現在の空気感に近づいてくる感じ。
五番街のさらに隣には以前は明確に『花園八番街』という路地が残ってたんですが、火災が発生していまはすっかり綺麗な街区に様変わり。
この火災でボクが通っていたお店もいつの間にか無くなってしまってます...(遠い目)。
ということで、八番街からまねき通りを戻ります。
なかなかピンポイントの商売をなさっているお店(笑)
そんな新宿ゴールデン街のエリアの隣には以前は都電が走っていたということで、その名残がこの四季の路から垣間見られます。
いつもはこの路を北へ向かって、東新宿から帰るんですが、この日は反対側へ。
四季の路を南へ向かいます。
こちらが四季の路の入り口。
その先は髙橋昌男氏著作『ネオンとこおろぎ』の舞台である旧角筈一丁目、新宿界隈の戦後ヤミ市の一つ新宿マーケットの名残を散策です。
話が中断ですが、武蔵野通りに入って目にとまったンですが、キタムラ写真機店てここにあるんですね?
一度くらい訪れてもいいモンなんだけど、なぜか来たことないんだよなぁ〜...(^^;)ハハハ。
この辺は大学入学で上京して以来、何度もウロウロしてるんでヤミ市的な感じはすでに当時から無かったことは解ってるんですが、いちおう本の世界観を感じられるモノは無いものか?とキョロキョロしながら徘徊です(笑)
すでに駅前の聚楽も無くなってたりして、ボクの学生時代からも変わってしまってるんで、なかなか本の世界まで遡ることが困難...(^^;)ハハハ。
この辺の区割りとかは当時のままのような気はしますけどねぇ......。
ということで成果はないですが、旧角筈一丁目散策はこの辺で。
次に目指すのは本の中でも髙橋少年が足を踏み入れるのも躊躇したという甲州街道の南側、現在の新宿四丁目、ドヤ街と私娼窟であった旧旭町に向かいます。
そういえば学生時代の頃でも新宿四丁目のVICTRIAくらいまでは街の延長だったけど、その奧はなんとなく雰囲気悪い感じがまだ残ってたんですが、今となってはこの通り!?
バスタ新宿が入っているNEWoManのビルを始めつい最近まで再開発が行われていたエリア。
いまや旧旭町どころか90年代の面影すら残ってません...(^^;)ハハハ。
唯一昭和っぽい建物といえば、VICTRIAの隣のこの一角くらいですかね。
この辺り以外はまったくといっても良いほど、ドヤ街、私娼窟の残滓は欠片も残ってませんでした。
ということで、さすがに駅周辺はすっかり生まれ変わってしまってますが、新宿ゴールデン街にはまだまだ時を忘れたかのような空気が漂ってます。