この夏、戦後新宿に関するノンフィクションを立て続けに2冊読了し、これは残滓を辿らねばなるまイッ!!と鼻の穴を膨らまして三光町から旧角筈一丁目、旧旭町を散策したのが、8月にアップしたエントリーですが。
実はこの時、旧旭町の一角をすっかり忘れてしまっていたことに後々気付いたのでございます。
というワケで、旧旭町の残りの一角を訪れるのですが、なぜか降り立ったのは副都心線北参道駅!?
もはや歩き慣れた道の如く明治通りを南下して、脇道に入り込んで行くのですが......。
副都心線の始発で来たんで、この時期はまだまだ夜明け前。
普段日の出後の早朝か昼間しかお写ン歩しないんで、暗い道を歩くのが新鮮で(笑)
ちょっとしたお店の灯りを目にするとついついシャッターを切ってしまいます(笑)
ちなみに遅ればせながらこの日のお供はLeica M9-Pに久々の超広角なVoigtlander Color Skopar 21mm f4.5。
お店の灯りに吸い寄せられるように歩いていたら、いつの間にかいつものルートから外れてしまい、だいぶ遠回りしてしまいましたが、前方に見えてきた黄色いお店...(^^;)ハハハ。
そうなんです。夜明け前から背脂チャッチャしたかったのです。この話はまた次のエントリーで(笑)
しっかりと背脂を体内に注入した後はカロリーを消費しないとイケません!
ホープ軒からはまた明治通りを目指して裏道をテキトーに歩いていると、なにやら色合いがいぃ〜感じのお店。
歴史の重みを感じる中央線の高架を潜り、
目の前に甲州街道を感じる辺りで、明治通りから脇路地に入っていくと今回そもそも目指した旧旭町、現新宿四丁目の路地が見えてきます。
宅地整備などされていないので路地は細くて右往左往していて、当時を若干忍ばせますが、建物はほぼ建て変わっていて、この辺りがドヤ街と私娼窟に塗れていたとは昔を知らないとわからなくなっています。
前方に『ビジネスホテル すえひろ』の文字。
なるほど、こういうところはドヤ街の名残なんだろうなぁ。
なんか先鋒ペンギン、大将小便小僧の行列が歩いてました(笑)
周囲に比べてちょっと古めの建築物が丸々一棟残ってました。
これは気になります。
こちらは旅館 中田家。
なんかとても窓が特徴的で、これは上下二段に分かれているだけなんだろうか?
それとも2階と3階に分かれてる?分かれてるにしては天井がやたら低いように見えるンですが?
玄関先は荒れてないんで、まだ営業してるんだろうなぁ。
そんな中田家の奥にはなかなか奇妙な造りの美容院がありました。
なるほどドヤ街の名残はまだ確かに残っている新宿四丁目界隈。
といっても区画のほとんどはすっかりと作り替えられ、現代の町に変貌してしまっていますね。
そんな新宿四丁目の北東には雷電稲荷神社が鎮座坐して在らせられます。
旧旭町と関係あるのかと思いきや、こちらは八幡太郎源義家と縁のある神社なのだそう。
神社を後にして西に進むとこんな甲州街道間近なところにもドヤ街の名残でしょうね。
こんな大きな街道沿いにもあるということは、当時は今の山谷のようにドヤが密集してたんだろうなぁ。
こちらは曹洞宗の天龍寺。
江戸時代の内藤新宿以来この街に縁のあるお寺さん。
聖観世音菩薩とか、
三界萬霊塔とか。
実は一番大事なところの写真を撮り忘れてたんですが、この写真の右上に架かっている庇の部分が、『時の鐘』として有名な梵鐘です。
江戸時代、内藤新宿のお茶屋で夜通し遊んだ旦那衆にそろそろやばいよぉ〜!と知らせる『追い出しの鐘』とも呼ばれていたそうです。
なんでも内藤新宿はお江戸から遠いので、通常よりも30分早めに鳴らしていたんだとか(笑)
そんなこんなな旧旭町。
江戸の昔から戦後のドヤ街・私娼窟と夜の愉しみの文化が積み重なった街ですが、現在はその部分は甲州街道の向こう側、歌舞伎町に移っていってしまったんですね。