泉麻人氏の『東京いい道、しぶい道』をまるまる辿るパクり企画の偽『東京いい道、しぶい道』 !
今回は城北エリアの最北端、ってことは本書での23区内の最北端の銀ぶら。
北区は荒川沿いの志茂銀座を目指します!!
お盆ウィークで夏真っ盛り。日中のブラりは危険を伴うんで、早朝6時半に家を出て9時までには帰宅するという、まさにお爺さんのお散歩なみの時間帯(笑)
暑くて重い機材を持ち歩く気もしないんで、今回は手持ちの中でもコンパクトな組み合わせで。
フィルムカメラはOLYMPUS PEN FTにG Zuiko AUTO W 20mm f3.5で。35mm判換算で28mm相当のpenレンズの中では一番広角のレンズにFUJIFILMのSUPERIA 400を詰めて。
デジカメはその存在があることをすっかり忘れていたGR2用のワイドコンバージョンレンズ21mm相当をGR2に装着して準備完了でございます!!
志茂銀座がある志茂駅までは池袋から駒込で南北線に乗り換えて志茂駅下車。
今回志茂駅って初めて知りました...(^^;)ハハハ。
地上に出ると北本通り。この時ボクはまだこの路を赤羽方面に進むと一か月ほど前に7月のチョートクブラぱち塾!で通った道に出るとは気付いておりませんでした...(^^;)ハハハ。
北本通りを数分右へ移動すると、今回のスタート地点!
志茂銀座というよりはまだ商店街に出ていないんで志茂旧道の入口になります。
その手前右側には本書のスタートに書かれていた二光商事さん。
志茂旧道に足を踏み入れるやいなや、なんか既視感。
なんかこの路の感じってうちの近所から北池袋の池袋本町あたりの道筋にそっくりなんですよね。微妙な住宅地具合が...(^^;)ハハハ。
そして謂れ書きに『中世から続く往還』とある、橋戸の子育て地蔵尊がこちら。
このあたりからよぉ〜やくオレンジ色の短冊形の看板が。
都内にも『銀座』と謳った商店街は数多あれど、おそらく23区最北端の銀座商店街ではあるまいかっ!?という志茂銀座が始まります。
本書では触れられていませんが、橋戸の子育て地蔵尊の先には庚申塚も。
やはり古道だけにこの手のものが充実しているんでしょうか?
途中、ちょっと志茂銀座を左折して七溜商店会方面へ様子見にいきます(笑)
しばらくすると志茂七溜商店会と書かれた青い旗が。
本書では七溜商店街と書いてましたが、よく見ると志茂七溜商店会なんですね。
なんでこの七溜商店会に入り込んだかというと、本章の最後に触れられていた定食屋さんを探しに(笑)
本では名前は明記してませんでしたが、おそらくこちらのやまがたやさんがそうでは無かろうかと。
生憎早朝なんで店内の様子を窺うことは出来ませんが、ネットで調べる限りカウンターのみのお店でハムエッグ定食があるということで、こちらに目星を付けました(笑)
でも、絶対旨いと思います。ここ。
そして、
『素朴なシマシマ看板の出た床屋の所で道幅はさらに狭まって、商店は途切れた。』
というあたりがこの辺。
すると、もう右手には志茂熊野神社。
写真を撮っていると、尻尾ピンこ立ちにした三毛さんが近づいてきて...
ボクの足下を八の字を書くようにさんざんスリスリした後...
ポテッと横たわり、さぁさぁ今度はアンタがスリスリする番よ!とでもいわんとしているかのよう...(^^;)ハハハ。
お言葉に甘えてお尻ポンポンのサービスをさせていただきました(笑)
舌出し三毛(笑)
この梛の神木は本拠の紀州熊野神社に自生する梛の木を祀っていらっしゃるようで。
いちおう本殿まで進んでお参りです。
なんか、さっき三毛と戯れてテンション上がったんでそのまま立ち去る勢いでした...(^^;)ハハハ。
泉氏が熊野神社の境内から見えた荒川の水門とはこのことでしょう。
後でも少しだけ近づきます。
志茂旧道に戻り熊野神社の先の小径を斜めに入って出たのが、荒川の手前の新河岸川。
新河岸川?あれ??
ひょっとして7月のチョートクブラぱち塾!でいったところ?とここまできてよぉ〜やく位置関係が解りつつありました。
なにせボクは地図が読めない男。東西南北方向が解らないだけではなく、土地土地の位置関係というモノもさっぱり頭に入ってこないのです(笑)
そんな新河岸川の岸では昨夜からそのままなのか、暢気に気持ちよさげにお休み中な若人二人(笑)
新河岸川と荒川の間の中洲には荒川知水資料館。
手前になにやら遺跡かっ!?
と思いきや、、、
遺跡というか遺構というか、船堀閘門の頭頂部とのこと。
ちなみに今回はじめて『閘門』という言葉を知りました。
閘門とはWikipediaによると、
閘門(こうもん)は、水位の異なる河川や運河、水路の間で船を上下させるための装置である。閘門の特徴は、固定された閘室(前後を仕切った空間)内の水位を変えられることで、これに対して同じく船を上下させるための装置であるケーソン水門(Caisson lock)、船舶昇降機、運河用のインクライン(Canal inclined plane)などでは閘室自体を上下させる。
とのこと。
荒川知水資料館をさらに奥へ進むと朱色の旧岩淵水門が見えてきます。
フィルムだと色合いが時代めいて良い感じ(笑)
この旧岩淵水門は大正13年に完成したらしいですが、現在は機能しておらず、いまは先ほど志茂熊野神社のところで一瞬触れた水門の方が稼働しているようです。
ちなみにこの朱色の水門は赤水門と呼ばれているそうです。
で、今もお仕事しているのはこちらの青水門。
寄るとスカイブルーの色合いがよくわかります。
なんkな遺構めいた感じがいぃ〜感じ(笑)
荒川の中洲から眺めた旧岩淵水門の全景。
そんな荒川の向こう岸には、彼の地埼玉...(^^;)ハハハ。
志茂旧道を離れてわざわざ中洲まで足を伸ばしたのはこれを観たかったから。
この小高いところに建っているのが草刈の碑。
どっかで、この草刈の碑のこと読んだンですよねぇ〜。
なんだったっけかなぁ〜なんか草刈の写真があったような気がするんですよねぇ。
そんな今回のランドマークのイチオシな旧岩淵水門と草刈の碑のツーショット(笑)
昭和13年から19年の間という、戦中にも開催されたという全日本草刈選手権。
今のイメージではなんかユルさを感じてしまいますが、当時はむしろ逆で近所の農学校の若人を集めて草刈の早さを競わせるとともに、どうも戦意高揚的な意味合いもあったようです。
デジタルでは碑の部分が黒くなっちゃってるんでフィルムで。
『農民魂は先ず草刈から』
と書かれています。
また志茂旧道まで戻って来て、ここらで一番期待していた黒田機器株式会社の事務棟があるはずなんですが......。
どうも見当たりません。残念。
昭和10年くらいからこの地にあったというんで、もう取り壊しちゃったンでしょうか?...(T^T)涙。
仕方ないンで、その前にあったお地蔵様で勘弁(笑)
しばらく進むと岩淵橋。
岩淵橋先あたりで小径を左に入り込みます。
裏路地を進んでいくと、なんかサザエさんちみたいな家が残っていたり...(^^;)ハハハ。
その先で目にしたのは広大な敷地のみ...(T0T)涙。
ここに23区唯一の造り酒屋、小山酒造さんが合ったはずなんです。
肩を落としながら表通りの北本通りに出ると、あ゛れっ!?ここはっ??
そう、7月のチョートクブラぱち塾!の帰り道で通ったところ。
ってことは、この先にあるのは?
小山酒店さん。すでに、販売も止めていた小山酒店に向かったチョートク翁は閉店を残念がっていらっしゃったんですが、偶然お店の前に顔を出した親父さんとチョートク翁の心の交流が交わされたのでございます。
せっかくなんで、反転して新荒川大橋まで。
荒川を目にした後はさらに反転して南北線、赤羽岩淵駅でGOALになります。
なんだかんだと4kmほどの志茂旧道を巡るお写ン歩でございました。
いつもの商店街中心というより、そもそも商店が少なく名所旧跡巡り的な意味合いが強かった感じ(笑)
しかし、草刈の碑の文章って、なにで読んだンだっけかなぁ〜。
【7 23区最北の銀ぶら・・・志茂銀座】
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