ボクの趣味は得てしてガジェット絡みのモノが多い。
何かに興味を持つとひたすら情報を取りまくり、知識を深めていくことに悦びを感じる性癖の持ち主なのである。
そして、ある程度知識が深まると、『いつかはコレ!』という『いつかは欲しいモデル』を定めるのである。ここまでくると、もぉ〜後戻りはできないホドにドップリとハマっていることになる。
目次
『いつかはLeica』
昨年の秋口くらいに手を出してしまったカメラの世界もそうである。もぉ〜身も心もドップリハマってしまい、生きていくのが辛い…(^^)ハハハ。
いまや、デジタルだけには飽き足らず、フィルムカメラにも早々に手を出してしまっている。ボクのハマり具合にしては今回はかなり早い速度で奈落の底に堕ちようとしている。
そして、この趣味の『いつかはコレ!』はLeicaである。
それもパナライカではなく、正真正銘のLeicaである。
でも、ことカメラに関しては趣味と定めてからの『いつかはコレ』とはちょっと違うような気がする。
なにより、カメラの世界にどっぷり浸かる以前からボクはLeicaを意識していたのだ。
他のことで本を読み漁る中、Leicaを手にして戦場を駆け巡る戦場カメラマン。
戦地でも使用に耐えうる質実剛健なカメラ、Leicaを手にしたいと思っていた感がある。
いったいいつ頃から思うようになったのだろうか??
今のご時世であれば、Leicaもデジタルライカが素直な選択肢ではあると思うが、なにせLeicaは特別なのである。デジタルの最新のM10なんぞを手に入れようと思ったら、退職金と我が嫁の慈愛に満ちた許可でも得ないことにはとてもではないが手を出せるシロモノではない。
一体あと何年先の話だっ!?ということである。しかも、そうして苦労して手に入れたデジタルライカもデジタルである以上10年もしたらひと昔、ふた昔前の世代の醜態を晒さないといけない。
デジタルカメラの賞味期限はクラシックカメラに比べて非常に短いのである。
それゆえ、必然的に『いつかはライカ!』は価格もこなれて、ボクが天に召すか、フィルムの供給が完全に途絶えるか、カメラが復旧困難なほどに壊れるかまで使えるフィルムライカをターゲットとすることになる。
しかも、電池もいらない完全機械式のLeicaと決めていたのだ。
ちなみにボクが求める完全機械式のLeicaとはバルナック型ではなく、M型である。
となると必然的にM3からM5(M5って電池いるんだっけか??)くらいまでである。
Leica M型を手に入れるには、それなりに軍資金を集めねばならん!という問題もクリアしなければならない。
今回あらためて思ったのは、カメラは『資産』であるということだ。
これまでメインのおもちゃとしてきたデジタルバリバリのガジェットのように、新型が出ると二束三文の価値しかなくなるモノではなく、カメラ、レンズというモノはかなりの中古市場が出来上がっているのだ。
これまでいろいろと買い集めた、コンパクトデジカメ、フィルムカメラやレンズの中から、Leica M型を手にして以降使わないと思われるモノを整理して、軍資金に変えるのである。
これがなかなかいぃ〜値段で買い取ってもらえるのだ。なんて成熟した中古市場であろうかっ!?
ということで軍資金確保後はしばらくの間、銀座は晴海通り周辺のライカストリートで中古カメラ屋さんを徘徊。
これまで色々と物色してきた中から、ボディはスキヤカメラの店員さんのアドバイスを受けながら、M4に決定。
1970年代初頭のモデルにしては、かなりの極上品である。
合わせてお連れしたのは、1958年の沈動式ELMAR f2.8 50mmと1968年あたりのSUMMARON f2.8 35mm。
Leica M4本体
Leica本を見るとだいたいがM型は初のM型にして、レンジファインダーカメラの完成系であるM3が最高峰と書いてある。
M3だけど、『3』とナンバリングされたM3が当時ライツ社の技術の粋を尽くして完成させた、最初のM型なのである。
そして、それ以降M3を越えるM型レンジファインダーカメラは存在しないと。
だったら、M3しか選択肢は無いではないか!?とボクの様なLeica素人は思ってしまうのだが、さにあらず。
モノとしての作りは最高峰とされるM3は標準レンズとされる50mmを常用するユーザであれば何の問題も無いが、50mm以下のブライトフレームが搭載されていないのだ。
35mmや28mmといった広角レンズをM3で使用するには、外付けファインダーを装着するか、眼鏡と呼ばれるレンズにファインダー拡張機能をつけたレンズを使用しなければならない。
M3最大の強みである視野ほぼ100%というレンジファインダー機構を簡略化して、35mmブライトフレームを搭載したより実用的なモデルとしてM3の後に販売されたのがM2。
そのM2にさらにフィルム装填とフィルムの巻き戻し機構を見直したモデルがM4ナノである。以降、Leica M型のフィルムカメラとしてはデジカメにかわる直前のM7まで、このM4の設計が受け継がれていくことになる。
いわば、M3で完成したレンジファインファーカメラではあるが、M型の完成系はM4であるといってもよい。
そして、昔『いつかはLeica』と記憶に刻んだ戦場カメラマンがベトナム戦争を通じて使用していたのが、まさにこのM4なのである。
購入に至る脳内ストーリーとしてはこれ以上のものはない(笑)
とにかく、一生モノのイメージが強いLeicaのカメラ。
今回購入までに至っては、とにかく勉強したのである。
今の時代はKindle Unlimitedなどという便利この上ないサービスもあり、Kindle Unlimitedでバックナンバーの『ライカ通信』や『Camera Magazine』を全号読破した(笑)
なので、雑誌に載る程度の知識相当にはボクも俄Leicaマニアの仲間入りである。
SUMMARON f2.8 35mm
というワケで、M型ボディに関してはM3、M2、M4にせいぜいM5を入れるか入れないかくらいの選択肢だったため、さほど悩むこと無く決められたが、困ったのがレンズである。
とにかくレンズは時代時代のレンズが目白押しな為、なにを選べば良いのか解らなすぎるのがLeica道の恐ろしいところ。
コレばかりは俄仕立ての知識では太刀打ち用がないため、条件を出してスキヤカメラのLeicaのプロにいくつかレンズを選んでもらった。
ボクが出した条件は、なにより軍資金の範囲と、後は第一優先は35mm。いいのがなかったら50mmというものだった。
そんな条件の中から出してくれたなかの一本がSUMMARON f2.8 35mm。1968年頃のものらしい。
Leicaオールドレンズの中でもそれほど高くないミドルレンジ扱いされるレンズである。
が、中にはSUMMARONに拘りを持つ写真家もいるようなので、玄人好みなのだろうか?
まず引かれたのが1968年製ということ。
ボクが産まれる直前である。おそらく、この頃にはボクはご母堂さまのお腹の中にいたことだろう(笑)
そんな半世紀弱も前のモノなのに、レンズも筐体も綺麗なのだ。
これまでのオーナーが丁寧に扱ってきてくれた証である。
このSUMMARON f2.8 35mmをM4のボディに装着するとこんな感じ。
クラシックカメラ感がたまらない。
ELMAR f2.8 50mm
当初は、ボディにレンズ一本買えれば十分かと思っていたが、スキヤカメラさんの値付けがなかなか良心的で、モノも良いものだったんで、50mm用に出してきてくれたのがELMAR f2.8 50mm。
Leicaの標準レンズは50mmといわれている。M3のブライトフレームが50mm以下は用意されていなかったから50mm標準なのか、50mmが標準だったからM3に50mm以下のブライトフレームが用意されなかったのか。
ちなみにこちらは1958年代頃のクラシックレンズである。
まだボクの御尊父様も御母堂さまも出会っていない時代である。両親ともにまだ思春期まっただ中の時代。
まだボクはこの世に生を受けられるのかすら解らない時代のレンズだ(笑)
Leicaレンズの中で、一本は持っておきたいと思っていたのがこの沈動式レンズである。
使用時にレンズを引っ張り、固定させるというギミックがガジェット好きの身としてはたまらないのである。
未使用時はこのようにコンパクトサイズに。
使用時はレンズを延ばして固定させる。
さきほどのSUMMARON以上にクラシックカメラ感がたまりませんっ!?
M4にフィルム装填
Leica本を読み漁っていると気になるのがフィルム装填。
M4はM3ほど手順がメンドくさくないものの、国産一眼レフのような手軽なフィルム装填というワケにもいかないようで。
その辺はスキヤカメラさんで購入の際にしっかりとレクチャーを受けた次第。
その時ふと記憶が蘇り、こういうフィルムの入れ方を昔経験したことがあるということ。
不思議なことにすっかり忘れていたモノの、M4のフィルム装填と同じようなフィルム装填と昔々にやったことがあるのだ。
でも、いったいナンの機種だったんだろうか?唯一記憶にある御尊父様のキヤノンの一眼レフでは無いことはたしかである。
M4の場合、まず底蓋を外すことから始まる。
この時点で、蝶番式に裏蓋が開閉する一眼レフを始めとした一般的なフィルム装填方法と比べて、面倒くさい。
底蓋を外すと裏面が開閉するようになるが、これはあくまでちゃんとフィルムが装填されているかの確認用。
フィルムパトローネからフィルムを伸ばし、右側のスリットにフィルムを差し込むだけで良いはず。
差し込んだら、フィルムの位置がフィルムガードにちゃんと収まっているかを確認しつつ、フィルムレバーの動作と胴時にフィルムが巻き上がるように歯車がフィルムに噛み合っているかを確認。
最後に底蓋を閉めて、
巻き戻しレバーを回転させてフィルムの弛みをなくす。
さらに、2、3どシャッターを切ってフィルムカウンターが『1』になるのを確認しつつ、巻き戻しクランクが廻っているかを確認する。
フィルムがちゃんと装填されていれば、ここで巻き戻りクランクも一緒に動くのだ。
フィルム装填だけでもコレだけの手順が必要なのである。
しかし、M4登場当時はこれでも迅速なフィルム装填が可能なモデルとしてこの世に出たわけだから、いまとなっては隔世の感もあるLeica M4。
しかし、この満足感は計り知れない。
おそらく、PEN-F購入後すぐにLeicaに手を出したら、このアナログさ加減に辟易していただろう。
どう考えても、現代のデジタルカメラの方が、『写真を撮る』ことに関しては長けているのだ。長けすぎているくらいにただ構図を決めることだけに集中できる機能に満ち溢れている。
ただ、そこに写真を写している『一個人』の所作はほとんど介在していない。レンズを対象に向けているだけでしかない。
そんなところから、フィルムカメラに興味を持ち、『写ルンです』で数十年ぶりにフィルム写真を撮り、その出来映えにアナログならではの魅力を感じるようになる。
さらにはRICOH GR1Vでフィルムカメラであるにかかわらず、現在のデジカメのような解像度に驚かされるとともに、AFもAEもない世界を覗いてみたいとOLYMPUS PEN EEDに手を出すことになる。
AFがないフィルムカメラであるPEN EEDでは、目測でピント(距離)を設定しなければならない。その距離を測るめんどくささとともに、ピントがあってるのか合ってないのかわからない世界は、自分がやらないとどうにもならない世界が写真の世界にはあるということを改めて思い出させてくれた。
ここまで来ると、AFもAEも何もない、完全機械式のカメラを手にして自分ですべてを決めて撮りたいと思うまでにさほどの時間はかからなかった。
この過程があったからこそ、M4を手にしても別段面倒に思うことも無く、素直にこのガジェットというよりも『機械』と接することが出来る。
Leicaじゃなくてはならない必然性があるのだ。