泉麻人氏の『東京いい道、しぶい道』をまるまる辿るパクり企画の偽『東京いい道、しぶい道』!
城西エリアの初回をアップしたのが2020年11月。この2年というものコロナ禍でなかなか気軽に足を伸ばすコトも出来なかったんで、かれこれ1年3ヶ月ほどかけて、よぉ〜やく城西エリアもラストでございますっ!!
案の定、年末年始休暇中にジワジワと都内の新規感染者数も増え始め、仕事始めの週になると一気に千人台まで増加し始めたんで、これは緊急事態宣言Mark5突入も現実味を帯びてきたところなので、ここで止まったらまた数ヶ月先になると、城西エリアラストの道へ向かうのですっ!!
場所は杉並区の荻窪駅へ。
池袋から新宿経由で荻窪駅へ向かいます。
まだ夜明け前、うっすら空が白け始めた頃合いに到着です(笑)
今回のお供は、Leica CLにビックリするほどコンパクトなAPS-C標準ズームレンズなSIGMA 18-50mm f2.8 DC DNを付けて。この組み合わせ、軽くてコンパクト、さらにはフルサイズ換算28mm〜75mmまでカバーするんでお散歩カメラとしては完璧ですね。
近所の荻窪に好みの道がある。青梅街道の天沼陸橋の手前で枝分かれする旧道の最初の信号(天沼陸橋南)のところから始まる通り。
と、荻窪駅南口の道を東へ進むと、本書の通り店沼陸橋南の交差点が見えてきました。
杉並区は幹線道路以外、道の命名にあまり熱心じゃないようで、これといった名前も付いていない。
ということで、天沼陸橋南交差点を南へ向かうこちらの道が今回の舞台。
その名も『荻外荘通り』でございます。
城西エリアの道にありがちな、なんの変哲も無い住宅地のただの道のように見受けられますが......。
なんといっても入ってすぐ先に見える「西郊ロッヂング」の佇まいが素晴らしい。角っこの所に青銅色のドーム屋根を見せたこの建物、昭和6年に高級アパートメントとして開業した。
荻外荘通りに足を踏み入れるやいなや、今回一番期待していた西郊ロッヂング。
長い年月をかけて纏った重厚感のある雰囲気が素晴らしぅ〜ございます。
こちらは現在も賃貸アパートとして現役なのだとか。
是非内観してみたいモノでございます。
隣接する和風の塔が宿泊や宴会に使える旅館として営まれている。
隣の和風な建物は旅館の部分だそうで、受験滞在とかの利用とか。本郷にもありましたね受験生向けの旅館。
ちなみに「西郊」というフレーズは、震災後の中央線沿線をはじめ東京西部の新開地を表す一種のハヤリ言葉でもあった。
1923年の関東大震災がキッカケで、それまでの東京東部の下町や旧江戸城下周辺から多くの人が移り住んだ東京西部。
この辺りも『西郊』の流れで発展していったんでしょうね。
そんな大正時代に思いを馳せながら荻外荘通りに戻ったところで、なんと!?
本書では名も無き道だったはずのこの道に『荻外荘通り』の名前が付いてましたっ!?
これって、本書が出た後に泉氏の影響で後付けされたんでしょうかね...(^^;)ハハハ。
この少し先の大田黒公園は、ドビュッシーの評伝やNHKのラジオ番組「話の泉」のコメンテーターで知られた音楽家・大田黒元雄の旧居跡。
次のポイントは大田黒公園。
しかしっ!?長いイチョウ並木のアプローチは、残念ながら開演前のため外からしかうかがい知れることが出来ませんでした...(T^T)涙。
「古いスタインウェイのピアノが置かれた三角屋根のアトリエ」も見てみたかったんですが、残念...(^^;)ハハハ。
そのお隣には、古くからやっているという露店売りの花屋さん『緑化園』さん。
しかし、この道を歩いていると立派なアカマツやクロマツを植え込んだお屋敷が本当に多い。
緑化園さんを通り過ぎると、その先はお屋敷らしい広い敷地を持つ家並みが続きます。
昔から将官や医者がよく住んでいた一帯ということですが、それにしてもいまの日本でなにやってそんなに稼いでんの?というくらい広大な敷地をお持ちの方がおおいエリアなのです。
ただただひたすら羨ましぅ〜ございます。
なんか、松に朝陽があたって綺麗でした...ふぅ......。
目の前に広がる広大なお屋敷の数々と我が暮らしのコンパクトさの大きすぎる差に少しばかり心が折れそうになっていた所で、脇路地の東から御来光...(-人-)合掌。
やはり、早起きは三文の徳でございます。
改めて、自分には自分に合ったサイズというモノがあると思うのです。
屋敷の並びの一角に<東京フリーメゾヂスト 杉並中部教会>という古めかしい教会がひっそり建っているけれど、西郊の御主人はこの教会の幼稚園に通われていたらしい。
さらに歩を進めると、こちらも期待していた杉並中部教会なんですが......。
教会自体はすでに閉鎖されていて、現在は『荻窪つどい公園』という区立の公園になっていました...(; ;)ハラリ。
教会の斜向かい、少し奥まった所に近衛文麿が晩年を過ごした通称・荻外荘がある。
というほど教会の斜向かいでもなく、ちょっと先には荻外荘通りの名前にもなっている近衛文麿邸の荻外荘。
といっても公開されているわけでもないので、このように厳重な門構えになっております...(^^;)ハハハ。
裏の善福寺川の側に開放された公園はもとの庭で、こちらに廻りこむとフェンス越しに家屋が望める。
というので、少しでも覗き見られるかも?と裏側の荻外荘公園に行ってみました。
すると、公園の奥に純和風な日本家屋が垣間見られました。
近衛文麿が敗戦後間もなく服毒自殺を図ったのはこちらの家屋なのでしょうか?
ところで、この並びに近衛邸より目立つ、石垣に囲まれた大屋敷があるけれど、このお宅もお医者さんらしい。
の通り、ちょっと奥まった荻外荘よりも道沿いで目立つこちらの方が最初は荻外荘なのかと塀の周りをグルグルと散策してしまいました...(^^;)ハハハ。
こちらもお医者さんとのことなので、大正時代の西郊の頃から移り住んでいる旧家なんですかね?
お屋敷前の坂を下ると善福寺川に架かる春日橋。
荻外荘を過ぎてゆっくりとした坂を下ると善福寺川に架かる春日橋が見えてきました。
春日橋から善福寺川を見下ろすと、
見下ろすと藻の繁った川面にカモが群れている。
の通り、この冬の寒い夜明けの時間帯からカモが餌を啄んでおりました(笑)
善福寺川を渡り、荻窪地域区民センターを通り過ぎると、
環状八号線。
これをさらに渡ると...
<荻窪川南共栄会>の名とともに<与謝野晶子 鉄幹 ゆかりの地>と記した宣伝旗が掲げられている。
全く同じ旗がまだ掲げられております(笑)
商店街の旗なんですが、でもお店らしいお店ってほとんど無かったような気がするんです...(^^;)ハハハ。
少し行った右手の横道に、与謝野夫妻の旧居跡を整備した与謝野公園がある。
荻外荘通りを右に折れてちょっと進んだところに与謝野公園があります。
こちらは与謝野鉄幹・晶子の旧居跡ということで、現在はその名残は一切ありませんが、区立の公園として整備されています。
旧居の面影はないけれど、通路の所々に晶子の句碑が置かれている。
写真ではわかりづらいですが、外周をグルッと回る回遊路に沿って鉄幹・晶子の句碑が点在しています。
『みだれ髪』から、与謝野晶子の有名な句ですね。
こちらは『紫』から、与謝野鉄幹の代表作です。
関東バスが往来するこの道、円筒のホールケーキみたいな格好の大宮前体育館の所で神明通りに突きあたって終わる。
とあるので、バスがけっこう行き来するのかと注意して歩いてたんですが、往路復路ともに1台づつくらいしか出会わなかったんで、本数少ないのかと思ってたんですが、この路線バスは環8のところで西へ向かってしまうんで、荻窪駅から環8間の荻外荘通りは路線外なんですね。
そしてこちらが突きあたった神明通り。
こちらが今回のゴールとなります。
帰りはこの先に駅が見当たらないんで、大宮前体育館前のバス停から関東バスで荻窪駅に戻ります。
荻窪からは来たとき同様に新宿経由で池袋へ。
そんなこんなな荻外荘通り。
正味3km弱の行程でしたが、始まりから終わりまで文化の香りに満ちたお屋敷町歩きでございました。
これにて、随分長いこと時間がかかちゃった城西エリアも完結ですっ!!
【34 西部のお屋敷町歩き・・・荻窪 荻外荘通り】
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