以前本ブログでも触れたことがあるが、かつて泉麻人は山手の三大副都心である池袋、渋谷、新宿をして、見事に点と線と面とで街のあり様を定義した。
池袋は『点』の街である。池袋駅及びサンシャインの中で事足りる。
渋谷は『線』の街である。渋谷駅から広がる道玄坂、公園通り、センター街、ファイアー通りと通りに沿って街が伸びている。
新宿は『面』の街である。駅及び新宿通り周辺、歌舞伎町、西口高層ビル街とブロックが隣り合って形成されている。
そしてボクはかつてこの愛して止まない『池袋』を『思想のない街』であるが故に『都内最大の地方都市』と言い放った。
この思いは今でも変わらず、うちの小春さんを連れて池袋ネコ歩きminiを続けている中で繁華街とは違う池袋の路地から路地へと抜ける3年間を過ごすことで、さらにこの池袋の時空を止める懐の深さに驚かされたのである。
点である駅周辺、サンシャイン周辺から同心円が広がる毎に、さらには明治通り、川越街道、劇場通り、要町通りといった主要街道から2ブロックも奥まったところには、時代は令和になったにもかかわらず、平成の31年間の荒波にも飲まれることなく昭和がそのまま残っているのである。
あるところは区画そのものが昭和のまま時の流れを無駄に過ごし、あるところでは路地の向こう側は平成、こちら側は昭和と道の右左で時代がクッキリと分かれる時代の狭間が存在していたり。
今年のGW。ボクは平成という時代の終わりに多少おセンチになっていたのか、時代の終わりにすでに時代が終わっている昭和を撮っておくべきではないか。
と、Leica M2を片手に、この3年間池袋ネコ歩きminiでブラブラしてきたルート上の昭和の名残をデジタルではなくちゃんとフィルムに収めようと池袋という町名がつく街をただただひたすら歩き回ったのである。
これはそんな平成の終わりから令和の初めに、時代の流れなどなんの関係も無いといわんばかりに池袋の路地裏に存在する昭和の記録である。
そのなも『池袋昭和探訪』。
捻りもクソもない命名ですいませんm(._.)m
このシリーズは全てLeica M2にLeitz Summaron 35mm f3.5、フィルムはKodak 400TXで撮影。
そんなこんなの『池袋昭和探訪』第一弾は我が家周辺の池袋二丁目〜一丁目近辺。
みなさん勘違いされているようですが、『池袋』というと池袋駅の東口をイメージするでしょうが、あの辺は町としては東池袋という町なのです。
町としての『池袋』は大雑把に言うと池袋西口の山手線と要町通りと山手通りと川越街道で四角く括られるエリアが池袋一丁目〜四丁目という本来の池袋なのです!!
ここを中心に北は池袋本町、東は東池袋に上池袋、南は南池袋、西は西池袋という衛星町が囲っていて『池袋』という街が形成されているといっても過言ではないっ!!
ということで、何かと負のイメージが強いですが、実は池袋の本筋な池袋一丁目〜二丁目辺りからスタートです(笑)
平成の集合住宅というと平成後半に再開発とともに各地で聳え立ったタワーマンションですが、昭和な集合住宅というと団地かコーポ・アパートの類。
当然、エレベータなんて文明の利器はコストパフォーマンス上備えておりません。
手すりが錆で寂れた感が昭和の名残を感じます。
かなり大きな建築物が路地裏に、もう確実に4〜5年は取り壊されることなく廃墟な管理物件に。
世代の代わりに相続の話がつかず、このまま廃墟として放置されている物件が実はそこかしこにあったりします。
これも再開発という大工事に晒されることなくこれまで続いてきた狭小エリアの宿命なんでしょうか?
その昔、昭和な建物の塀には猫避け、防犯向けにこのような鉄条網が設置されておりました。
今回、色んな路地を巡っていて好きな画はこのパターンだと気付きました。
昭和なアパートの先には平静なオフィスビル。
この手の昭和と平成の建物が共存している画がボクは好きなのです。
昭和なアパートでは決まって名前は『○○荘』。
池袋一丁目の狭小住宅エリアにはいまだにこの手のアパート物件が複数存在しています。
そしてそのほとんどは廃墟化しておらず、住民が暮らしている感じ。
若い頃は一切興味は持てなかったけど、初老を前にするようになるとこういうところの方が、妙な落ち着きを感じさせるモノもあり...(^^;)ハハハ。
こういうところでの暮らしってどんな感じになるんだろう?と妄想も膨らんできます(笑)
この後、同じような写真がいくつか出てきますが、今回の池袋昭和探訪で気付いたことに、蔦の絡まる家は昭和な雰囲気か廃墟であるということ(笑)
廃墟に見えても近づくとしっかりと生活感を感じるところに、人間のしぶとさを感じるのです。
池袋一丁目の路地も山手線の線路に阻まれて東には進めないところまで進むと、そこは元気な皆さんの憩いの場、ホテル街(笑)
そんなホテル街ど真ん中でもしっかりと市民生活をおくっていらっしゃるところに、新宿渋谷にはない池袋の奥深さを感じます。
家も充分昭和だったんですが、それよりも気になったのが2回の窓に繋がるハシゴ?
これなにに使うんだ??
そんな朝のホテル街を南に進むと、ホテル街を抜けて山手線路沿いに。
ここらで引き返して我が家の方に向かうと、このブロック塀に行政の『けいじばん』。
昭和の街角には必ずあった光景ですね。
ここで青っ洟たらしたランニング姿のガキが2、3人写っていれば昭和30年〜40年代です。
近所のへいわ通りまで戻って来ました。
こちらの整備工場の看板もかなり年季が入ってますねぇ。
......なんか、がんばってください(笑)
というワケで、『池袋昭和探訪』第一弾は池袋一丁目〜二丁目編でした。
しばらく続くんで、すいません。
厭きずにお付き合い下さい(笑)