そんなこんなで新しいカメラに新しいレンズでお写ン歩すべく向かったのは、いつもと同じ方向...(^^;)ハハハ。
やはり海無し県で生まれ育ったンで、横浜とか港町に憧れがあるんですかね?
とはいえ、湊横浜っぽいところってほとんど行ってないんだけどな(笑)
ということで、この日のお供はこちらのLeica M10-PにVoigtlander Heliar 40mm f2.8。
ひたすら40mm縛りでどこまで街スナップに対応出来るか検証してまいりました!!
先ず目指したのは、横浜駅で京急本線に乗り換えて日ノ出町駅。
街歩きする前の腹ごしらえでミツワグリルに立ち寄ったお話はすでにアップしたエントリーの通り。
今回の街ブラのテーマは『港町横濱の闇の街』ということで、京急本線の日ノ出町駅から黄金町駅の間に横たわるように位置する黄金町に向かったのです。
初めて足を踏み入れるエリアだったんで、なんの予備知識も無かったんですが、そもそも黄金町とは、戦後の青線地帯やら大岡川スラムといったなかなかヘビーな土地柄で、ヒロポン・ヘロインといった麻薬の売買も活発に行われていたという、横浜きってのスラム街だった歴史があるところ。
京急本線の高架下の脇にはまだ辛うじて当時を忍ばせるような小規模店舗のテナントビルが数軒残ってはいるけど、今は全く違った健全な方向に向かっているよう。
というのも、こういう『きれいな街をありがとう!!』とかポスターを作っちゃうほど、行政の街の浄化が本格化したのが2000年以降。
『浄化』はいかにも生々しぃ〜んで、正式には『環境改善活動』というそうですが...(^^;)ハハハ。
この辺もまだ辛うじて戦後の匂いを漂わせるちょんの間とかあったお店の名残のような感じ。
でも、どこのお店も現在はアート方面に全振りしており...(^^;)ハハハ。
我が生活圏の池袋西口もそうですが、なんで行政って浄化=文教or文化・芸術の街作りの方向にしか話が向かないんですかね?...(^^;)ハハハ。
そんな黄金町の間あたりにはいつでも出動出来るぞ!とばかりに交番が鎮座坐して在らせられます...(^^;)ハハハ。
京急本線の高架下も基本的には全てアートスペースになっており、ここは黄金スタジオと命名されてましたが、喫茶・軽食もありな感じ。
歴史が歴史なんでドキドキしながら歩いてましたが、新宿歌舞伎町に比べたら全然物理的な暴力性を感じるようなところは全く無く、むしろ脇を流れる大岡川ではこんな水上タクシーが行き来したりとほのぼのとした街の空気感でございます(笑)
この伊勢佐木警察署黄金町交番のあたりは桜並木になっておりまして、さすがにソメイヨシノは半分ほど散り始めてますが、ちょうど八重桜が見所でございました。
ちなみに時期は4月第二週の週末でございます。
大岡川の全面に散ったソメイヨシノの花びらが絨毯のようになって流されていきます。
黄金町の大岡川側はこんな感じで飲み屋がまだ少々残っておりました。
もう最後のタイミングだった大岡川に架かる末吉橋とソメイヨシノ。
末吉橋でしばらく両岸のソメイヨシノを撮影していると、橋の下からSAPで大岡川を下る一団が通り過ぎていきました(笑)
なんか、キャッキャいいながら楽しそう。
次に目指したのは横浜橋商店街。
有名どころの駅としては伊勢佐木町駅が最寄りになるのか?おそらく横浜観光客はほとんど来なさそうな、横浜でも内陸に入ったところに位置しています。
実はここも全然事前リサーチしていなくて、『横浜橋市場』のキーワードしか頭になかったんで、来てみてまさかいわゆる普通のアーケード街だったとはっ!?と少々拍子抜けでございます。
といってもアーケード街はそれはそれでその街の営みが現れるので楽しいもので、例えばこんな奇妙なリュックが目に止まりました...(^^;)ハハハ。
これ背負ってたらなかなかのインパクトだよなぁ〜3999円でネタ一つ作れるならありかも?等と妄想しながら通り過ぎます(笑)
実はボクが認識していた『横浜橋市場』とは横浜橋商店街の脇路地だったようで、まさに目指していたところに出会えました(笑)
正味20m程度の短い脇路地を出て、次のスポットに向かいます。
次のスポットは東京の山谷、大阪の釜ヶ崎と並ぶ三大寄せ場の一つと言われている横浜の寿町。
寿町エリアの端の方から歩き始めると自販機が目に止まる。
以前日本堤・山谷を歩いたときにも同じような自販機が目に止まったんだけど、他ではなかなか見られないワンカップが自販機で売ってるんだよね。
今なおドヤと言われる簡易宿泊所は100軒以上あるとされているけど、実際にドヤで寝泊まりして日雇いの仕事で暮らしている方はほとんどおらず、高齢化に伴いほとんどの方は生活保護で暮らしているという。
山谷もそうだったが、今やドヤの街は福祉の街へと様変わりをしており、この寿町にも横浜市寿町健康福祉交流センターという大きくて立派な施設が町中に出来ており、ここでは診察や浴場があるようだ。
寿町ととなりの松陰町地区を合わせたエリアの真ん中辺りに位置する寿町公園では、お昼過ぎの時間帯にちょうど炊出しの準備をしていた。
公園の周りには炊出しに並んでいる方が大勢いたけど、やはりかなりの割合が高齢者な感じは否めない。
でも、街並みは日本堤・山谷と比べると大分現代的で、というのも山谷と違って昔ながらのドヤという感じの簡易宿泊所は皆無で、ほとんどが鉄筋のホテルやマンション形式の建物に建て変わっている。
行政としては黄金町と同様に2000年代に入ってからは『ドヤ街』のイメージの払拭を図ってきたようで『YOKOHAMA HOSTEL VILLAGE』としてバックパッカーなどの短期宿泊者を誘致するような政策を継続しているようだ。
まぁ、山谷とかもそうだけどこういうドヤ街の歴史のある所って得てして観光地にも近くて便利っちゃぁ〜便利なんだよね。
こういう土地がらにはやはり共通のアイコンがあるようで、一つはキリスト教の教会。
寿町にも日本バプテスト横浜教会がありました。
それとドヤでの生活者の足は自転車がメインとなるので、路地脇には自転車が一杯という光景も山谷と同じような光景。
この現在寿労働センター無料職業紹介所の立派なビルが建っているところは以前はなかなかヘビーな場所だったようで、そういう過去も一つ一つ行政の力業で上書きされて無かったことにされていくんだなぁ〜と、なんかいいことなのか、まぁでも悪いことではないんだろうな...(^^;)ハハハ。
ここから先は横浜の街中の方に歩を進めまして、以前も通りかかったことがある清正公通り。
こちらから福富町に入っていきます。
福富町というと戦後の流れからの横浜随一の繁華街で風俗街でもある反面、2010年代以降続々と流入してきた韓国人経営者によるコリアンタウンの形成と、どこの闇でも同じような両陣営の擦った揉んだがありますが、そんなところが怪しくエネルギッシュな闇の街の必要条件なんですかね。
そんな福富町で再訪したかったのがこちらのといっても、全然以前と雰囲気が変わってしまい解体間近?な男の楽園GMビル!?
のつもりで撮ったんですが、これはとなりのビルで、その右にあるべきGMビルがすっかり解体されて無くなっておりました...(T0T)号泣。
これは前回1年半ほど前の2022年12月に訪れた時のGMビルですが、生前の濱のメリーさんが住み着いていたという横浜の名所も今は記憶の中のみとなってしまいました...(遠い目)。
そんな男の楽園の顔ともう一方の顔が左右の通りがほぼコリアンタウンとかしている現在の福富町の姿でございます。
せっかくこの辺りまで来たのならやはり野毛町に行かないわけには行きますまい!
と都橋商店街へ。
この辺も今となっては新宿ゴールデン街のようにディープな横浜を楽しみたいとカジュアルな繁華街になってはいますが、元を正せば戦後米軍に接収された伊勢佐木町界隈から日本人が追い出されて流れて来て自然発生的に出来上がったヤミ市が元ですからね。
野毛町の細い路地裏を歩いていると当時の胡散臭い感じを所々で味わえたりするかもしれません(笑)
入ったことはないですが、そんな怪しいお店だった『ラーメンの店』も閉業後放って置かれましたが、ついに肝心の『ラーメン』の部分が落ちて書くなってしまいました(笑)
この日はお昼前にミツワグリルで食事をしたんで、あれから数時間歩き続けて大分カロリーを消費したんで、よぉ〜やく野毛のすみれ横浜店さんに入店です!
この模様は次回に!!
帰りはいつものようにみなとみらい線馬車道駅から帰宅です。
なんか駅構内でアートな展示をしてましたね。
ということで、せっかく横浜まで足を伸ばしてきたのに相変わらず観光地的な映えるところに行ってないなと...(^^;)ハハハ。
でも、こういう光が当たらないところを歩いて廻るのがいぃ〜んですよね(笑)