泉麻人氏の『東京いい道、しぶい道』をまるまる辿るパクり企画の偽『東京いい道、しぶい道』 !
前回の『鹿骨街道』の流れのまにまにそのままお次の街道へと話は続きますっ!?
引き続き小雨が降り注ぐ中、ここまで来ちゃうとどこに引き返すにも容易には引き返せない中、どぉ〜するどぉ〜なるパクり企画っ!?
ということで、鹿骨街道と交差する形で走る篠崎街道に左折して入り込みます!
いまだ小雨はやむことなく、でももぉ〜引き返せないところまで来てしまっているんで男の子は進むしか無いンですっ...(T^T)涙。
すると本書ではフトン屋と書かれてましたが、松丸寝装店さん。
ってことはこの先に例の野仏が?
ちょうど野仏の前に看板が立てかけられているんで、通り過ぎそうになりましたが、ありました。
辻に佇む朽ち果てた野仏...(-人-)合掌。
上本郷バス停のあたりには庭木に囲まれた黒瓦屋根の農家が見受けられる。
と書かれていたのはこういう光景ですね。
けっこう大きな農家のお屋敷が街道の両脇に並んでいました。
この篠崎街道は行徳の塩田の塩を江戸に運ぶために整備された街道とのことで、この辺りで江戸川の土手沿いをしばらく並走することになります。
なんか雲の切れ間のあるようで、そのうち小雨も止むかなぁ〜と期待しつつ進みます。
ちなみに、こちらは江戸川で川向こうの街並みは千葉県市川市。
県境になっております。
道路は一応街道なんでけっこうな交通量で、みなビュンビュン飛ばしてくるんで土手を下ったこんな道を歩くのです...(^^;)ハハハ。
お赦しを得られれば幸せでございますm(._.)m
しかし、泉さんもなんでここ書こうと思ったんだろ?
鹿骨街道以上に商店街なワケでもないし、街道として渋さがあるワケでも無いし......鹿骨街道と続いているから勢いで紹介しちゃおうと思っただけなんじゃね?
と小雨も止まないし、この土手沿いの道中は心の中で悪態をつきながら歩いておりました...(^^;)ハハハ。
そんなこんなのナンの変哲もない土手の道を歩いている打ちに、よぉ〜やく最初のランドマーク、篠崎浅間神社の入口?へ。
なんか表参道じゃなくて裏参道みたいな感じのところを入っていくと、境内に入り、所々に小さな小社が。
こちらは豊受姫神社。
こちらは霧島神社。
さらにはいせ稲荷大神。
鳥居の文字が潰れて読めなかったんですが、こちらは辨天社。
つくづく日の本の国って八百万の神々に守られているんだなぁ〜と。
脇から表参道のほうへ下っていて、こちらが正面の入口。
平安時代の938年に創建された区内最古の神社がこちらの篠崎浅間神社となります。
案内図を見ると、この篠崎浅間神社だけで14柱モノ神様が祀られているんですね。
いちおう参拝して、篠崎浅間神社を後にします...(-人-)合掌。
本書で語られていた、
<銀杏は必ず皮ごと、お持ち帰り下さい>
というトイレの警告文が見たかったんですが、おそらく泉氏が立ち寄ったトイレは今は無く、別の場所にトイレは移設されていたんですが、こちらも朝早い時間は開放していらっしゃらないようで、締まっておりました...(T^T)涙。
篠崎浅間神社を後にして、左手に篠崎公園を見ながらまたナンの変哲もない土手をひたすら真っ直ぐ。もぉ〜この道厭きました。
でも、ここらでよぉ〜やく小雨も止んだ感じ\(^O^)/
がっ!?萬福寺へ向かおうと篠崎街道から脇道へ入っていったこの辺りで、なんとメインで写真を撮っていたSony α7Ⅱのバッテリーが0にっ!?
うっそっ!?フル充電で持ってきたのに2時間くらいで無くなっちゃうんだっけっ!?
と、前々回の荒川区に続き、江戸川区でもデジカメのバッテリー問題に直面なのです...(T0T)号泣。
またiPhone XS Plusで急場を凌ぐかと気分を改めたところで、あ゛っ!?GRⅡがあるではないかっ!と。
こちらも前々回の反省を活かして今回はちゃんとフル充電で持ってきたのです。
斜め掛けしていたSony α7Ⅱはバッグにしまって、右手にGRⅡで準備完了!
ちなみにこの篠崎街道から萬福寺に向かう道中も、ここ23区だよね?と確認したくなるほど農地が多いのです。
この辺りは園芸植物ではなく、野菜をハウス栽培しており、こちらのビニールハウスでは小松菜が栽培されていました。
そんなビニールハウスの対面には何やら気になる上海ワンタン専門店美食坊さん。
こんな農地と住宅街の谷間のお湯なところで営業しているなんて、旨いに違いないっ!!
そして、萬福寺さん。
本書では栃錦の菩提寺としてさらっと触れられていただけですが、いちおう参拝しておこうかと。
墓所の入口のところに春日野元理事長の墓所の案内が。
そお〜いえば、チョートクブラぱち塾!でブラりしている道中で春日野部屋の前を通り過ぎたことがあったなぁ〜と思い返す。
あれは6月の両国編の時でしたね。
萬福寺さんを後にして裏道を歩いていると、竹林?を初め林に覆われた旧家を通り過ぎ。豪農のお家なんですかね?
そして今回の篠崎街道のメイン処ともいうべき善養寺さんによぉ〜やく到着。
山号は星住山。以前は星の精霊が降臨したとされる星降りの松というのが名所だったようで。
というか、学研ムーで社会の理屈を勉強したボクとしては、星・住、星の精霊、星・降るというキーワードが気になって仕方がないのです。これって絶対UFO絡みの伝説があるってことですよねっ!?
そして、こちらが樹齢600年といわれる影向の松。
前回の寿昌院の臥竜の松よりもさらに100年の歴史深い松でございます。
なんか写真でみても生きている感がひしひし伝わってきます。
この碑には
東京小岩 影向の松 横綱に推挙する 昭和五十六年九月六日 春日野清隆
と書かれているんですが、なんでわざわざこんな碑が建てられたかというと、当時香川県真覚寺の岡野松とこちらの善養寺の影向の松との間でどちらが日本一かという東西日本一の松争いなる戦いが勃発したらしいんですね。
嗚呼、日本て平和...(^^;)ハハハ。
その際に、ときの立行司、木村庄之助が間に入って、双方引き分け、ともに横綱との裁定を下したことをこの碑に残しているとのこと。
つくづくニッポンて平和...(^^;)ハハハ。
そんな東西日本一争いの謂れなんぞも書かれております。
いちおう本堂も。
距離を置いてみると藤棚みたいですよね。
でも迫力は桁違いです。
ちなみに「影向」とは、
神仏が一時姿を現すこと。
とのこと。
というか、この日の朝はボクしかいなかったんですけど、この棚の懐で静謐な空間に包まれていると、一時的ではなくなにか大きなモノに包み込まれていくような感覚に陥ると思うんですよね。
GRⅡでできるだけ枝に近寄って撮影。
松の枝に大地を感じます。
そんな善養寺さんを後にします。
またしばらくつまらない土手の道を歩き、この辺りで歩道と車道が一体化します。
なんか、久々に普通の道に戻ってきた...(^^;)ハハハ。
一里塚のバス停を越えたところで千葉街道が交差してきます。
篠崎街道とはここらでおさらばして、千葉街道に入っていきます。
しばらく進むと総武線の高架。
高架下には左から右までイラストが描かれているんですけど、なんか子供の顔がシュールで...(^^;)ハハハ。
総武線の高架をくぐって進むと、なんか商店街っぽくなってきたなぁ〜
と思っていたらやっぱり。京成江戸川商栄会の通りになっていました。
最後のランドマークは御番所跡。
といっても史跡として整備されているわけではなく、民家の敷地の境にあるんで、よくよく気をつけて歩かないと普通に通り過ぎてしまいます(笑)
京成線の高架が見えてきました。
もう、ゴールはすぐそこです。
そして京成線江戸川駅。今回はこちらがゴール!
なんかこれまでの東京いい道、しぶい道の時間感覚だと一つの通りでせいぜい30分〜40分くらいな感覚だったんですが、前回の鹿骨街道と今回の篠崎街道では二つ合わせて3時間強の行程。
いつものほぼ倍歩いているんですよね。江戸川区恐るべしッ!!
【12 影向の松と相撲寺・・・篠崎街道】
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