そんなこんなで、Go Toなコトが出来るわけでもない都民なボクは谷端川の水源から暗渠な川の川下りをすることにしたのです。
な、谷端川川下りの第六弾!今回からは川下りも後半戦!
簸川神社を通り過ぎて目の前にはとても都内とは思えないほどの緑生い茂った小石川植物園!?
前回の境目、網干坂の向こう側は小石川植物園。
文京区って恐れ多くて、このあたりまで出張ったのは初めてで、都内にこんなところがあるのかっ!?と。
そんな小石川植物園沿いの道が谷端川改め、小石川の暗渠となっているのです。
木陰から見えるこちらの洋館は東京大学総合研究博物館小石川分館。
なんか周囲に広がる広大な森とレンガ造りの洋館がマッチしています。
新緑から真夏の日差しを浴びて咽せるほどに酸素をまき散らしております(笑)
この鬱蒼とした感じ、とても都内とは思えません。
右側に『御殿町尋常小学校跡』という碑があったンでフムフムと一読。
今は小石川消防署となっております。
小石川植物園の敷地の白山側が入口なんですね。
白山二丁目あたりはまたナンの変哲も無い景色に...(^^;)ハハハ。
でも、高台になっている左側の脇路地は所々いぃ〜感じの段々がありまして。
すると大きめの千川通りに出てきます。
千川通りに沿って南東方面へ歩を進めます。
『柳町小学校入口』って交差点があったンでキョロキョロしてみるとありました!
でももう廃校になっているみたいで解体工事が始まってます。都心部の小学校ってどこも少子化で統廃合が進んでいるんでしょうねぇ。
そんな千川通りを歩いているとなかなかいぃ〜痛み具合の床屋さん、ニューアポロさん。
絶対60年代後半から70年代前半あたりに開業したんだろうなぁ〜と思わせるネーミングです(笑)
道の左右が賑々しくなってくるとえんま通り商店街が見えてきました。
多分、この辺も徘徊したことあるはずなんですよねぇ。
こんにゃくえんま前交差点のところは昭和建築の宝庫で、こちらの遠州屋さんとか、
こちらの大亜堂書店さんとか。大亜堂書店さんとか右読みだしっ!?
千川通りの先にはもう東京ドームが見えてます。
そろそろゴールも近しっ!?
の前にっ!せっかくこんにゃくえんま近くに来たんで、こんにゃくえんま様を参拝せねばっ!?
と参道を探したんですが、わからず......ってかこれ以前もやらかしてる記憶あるんですよねぇ?
来たとするなら翁主催のチョートクブラぱち塾くらいしか思い当たらないんだけど、本ブログにこの辺のこと書いてあるエントリーもないんだなぁ〜。
この家も写真撮った記憶あるんだよなぁ〜〜.........。
なぜ裏側に回ったのかわからないんですが、結果そのまま千川通りをちょっと進めば普通に参道の入口がありました...(^^;)ハハハ。
通称『こんにゃくえんま』ですが、お寺さんの正式名称は『源覚寺』さんでございます。
本堂中央に鎮座坐して在らせられるのが区指定有形文化財にもなっている閻魔王坐像...(-人-)合掌。
賽銭箱の脇には一杯こんにゃくが積み上げられておりました。
なんで閻魔様がこんにゃくなんだろ?と思ってGoogle先生に聞いてみたら、
宝暦年代のころ(1751年〜1764年)、眼病を患った老婆が閻魔大王に21日間の祈願を行ったところ、夢の中に大王が現れ「願掛けの満願成就の暁には、私の両目の内、ひとつを貴方に差し上げよう」と言われたそうです。
満願の日に、老婆の目は治りました。
以来、大王の右目は盲目となりました。
老婆は感謝のしるしとして好物の「こんにゃく」を断ち、それを供えつづけたということです。
このことから、源覚寺の閻魔さまは「こんにゃく閻魔」と呼ばれるようになり、眼病治癒の閻魔さまとして人々の信仰を集めています。
ということなんだそうです。
本堂脇には七福神巡りの一つ、毘沙門天のお堂も。
やっぱり絵馬も閻魔様なんですね(笑)
また千川通りに戻ると店先に物騒なモノを掲げたらーめん屋?
本枯中華そば魚雷さんだそうです。
店名が魚雷だからね、ってなんでらーめん屋で魚雷?のほうが気になります...(^^;)ハハハ。
そんな千川通りも春日通りまでさしかかりました。
この春日通りを写真の方向に真っ直ぐ進めば池袋ですが、まだもうちょっと先にゴールが待ち構えているのですっ!
というワケで小石川植物園から始まった後半戦!
この先はもぉ〜東京ドームシティ!
長い谷端川もこの辺りでは小石川と名前を変えて、ゴールはもう目の前でございます。
次回小石川〜後楽編でついに最終回ッ!?