泉麻人氏の『東京いい道、しぶい道』をまるまる辿るパクり企画の偽『東京いい道、しぶい道』!
前回、コロナ禍でしばらく休止していた本シリーズ再開して、よぉーやく城南エリア完歩したところで、今回からは東西南北エリアのラストっ!城西エリアがスタートですっ!!
城西エリアは大学入学と共に上京してきてから、20代半ばまで生活して慣れ親しんだ青い春な想い出が詰まったエリアでございます。
そんな城西エリアのスタートは、なんとっ!?前回のゴール葦毛塚の途中の蛇崩交差点がスタート??
なんだ、前回そのまま続ければ良かったと思っても後の祭りで、とりあえず前回の帰りしなルートを逆走しての『野沢通り』を徘徊です。
そんな城西エリア第一弾のお供はこちらっ!
一見何の代わり映えもございませんよぉ〜ですが、デジタルはLeica M9-PにRICOH GR LENS 28mm f2.8にフィルムはRICOH GR1s。
久々のデジタルLeicaなんですが、噂に違わぬM9-Pのやんちゃぶりに泣かされました...(^^;)ハハハ。
というワケで池袋から副都心線に乗って、祐天寺駅へ。
前回の帰りの駅まで戻ります...(^^;)ハハハ。
夜明け間もない祐天寺駅から今回のスタート地点に向かう途中はこんな朝焼け模様でした。
そして、前回のゴール地点の葦毛塚。
だったら、そのまま続ければ良かったんですけどね。ちゃんと本の先を見ておけば良かった...(^^;)ハハハ。
葦毛塚を通過して、よぉ〜やく今回のスタート地点『蛇崩交差点』に到着です!!
よぉ〜やくといっても、祐天寺の駅からここまで7、8分の行程でしょうか。
前回歩いてきた伊勢脇通りの方の入口に銭湯(寿湯)が建っているが、この景色は当時から見覚えがる
と泉氏が振り返っていた景色はいまはこの通り、マンションに変わっておりました...(T^T)涙。
そんな今は無き寿湯の面影を想像しながら蛇崩交差点から野沢通りに入っていくと半兵衛坂の道標が立ってます。
この道標に、
「この道路は昭和十五年の幻の東京オリンピックの際に整備されたので、通称オリンピック道路ともよばれている」
と書かれている通り、昨年の大河ドラマ『いだてん』のクライマックスでもあった、戦争のために返上させられた東京オリンピックのために整備された道なんだそうで。
この先の地名に『宿山』と山が付いている通り、この道沿いは尾根のようで、右の東側に向かって土地が低くなっていきます。
幻の東京オリンピックの駒沢グラウンドに繋がるはずだった野沢通り。
M9-Pのステキなダイナミックレンジの狭さ故か、明るいところに引っ張られて影の部分が必要以上に黒に潰れていたのを無理繰り立ち上がらせたんですが、これが限界...(^^;)ハハハ。
そんな坂を上がりきったところにある寿福寺。
その参道脇には赤い板でできたステキな木造建築が残ってました。
寿福寺は天台宗のお寺さんのようですね。
小振りですが、なかなか趣のあるお寺さんでした。
そんな寿福寺の先の分かれ道にあるのが宿山庚申塔。
本の写真だとまだ塔に彫られた仏さんの輪郭がハッキリわかるんですが、その後の年月の風雨にさらされたせいか、仏さんのお姿がいまいちわかりづらくなってます...(^^;)ハハハ。
宿山庚申塔の斜め前あたりに宿山交番。
婦警さんが中でお仕事されてたんで、面と向かって正面からシャッター切れませんでした(笑)
次のランドマークに向かう途中、左右両側に立派な石垣が組まれているエリアがありました。
M9-Pの特徴って、明暗が入り乱れているともう露出がどっちかに引っ張られてエラいこっちゃになるんですけど、明暗の支配項がどっちかによってるといぃ〜感じのシャドーを表現してくれるんですね。
M9-Pだと黒つぶれして見るに堪えない仕上がりでしたが、フィルムのGR1sは頑張ってくれました(笑)
イチョウ並木の一直線の石垣道と陸橋、・・・・・・昔からモダンできれいな道だな・・・・・・と思っていたが、やはりこの辺にオリンピック道路の由緒が感じられる。そして、間近で橋を見上げると、欄干にカマボコ型の窓穴が刻まれた、なかなか凝ったつくりのコンクリート橋なのである。
横手の石段を上がっていくと、橋柱に<鴻之巣橋><昭和十三年三月>と刻まれている。竣工の年代を見てピンとくるかたも多いだろう。つまり、この橋も下の道路の建設に合わせて、オリンピックを念頭に、ちょっと見栄えのいいのに仕上げられたに違いない。
と書かれた鴻の巣橋。
さっそく横手の会談を上がってみる。
途中、欄干を見るとカマボコ型の窓穴。今となってはモダンというよりもレトロ感を醸し出してるよなぁ〜。
そんな鴻の巣橋を後にして、次の幻のオリンピック機の陸橋を目指します。
鴻の巣橋を過ぎると野沢通りは下り坂に転じます。
そして、環六を渡り。
その先はもうあの桜の名所でもある目黒側。
これは光の差こみ方と影のバランスが良かったんで、M9-Pの方を残しました。
実際はもっとちゃんと全面に光が行き届いてますけどね(笑)
こういうネオンの光や、硝子への写り込みはM9-Pで撮るといぃ〜仕上がりになりますねぇ。
硝子越しに店内を撮ってみたり。
やっぱりこの辺は最近こういう洒落散らかしたお店多いですねぇ〜。池袋西口にはないんで新鮮です(笑)
そして西郷山下の交差点を越えると、
一気におハイソな、一戸の敷地が広くなり始めます...(^^;)ハハハ。
こちらが西郷山公園の入口。
西郷といっても上野の西郷さんではなく、その弟西郷従道の御屋敷だったところのようですね。
この辺一帯は西郷家の山林だったんだそうです。
その先にあるのが西郷橋。
野沢通りとしての区間はこの西郷橋手前の目黒区域までのようで、橋の先の渋谷区南平台では名前が変わるとのこと。
野沢通りとしては終わってますが、でも本の中でもここがゴールになっては居ないんで、先に進みます(笑)
そんな西郷橋を越えてすぐのところのコンクリート塀にはこんな本格的なストリートペイントというより壁画のようなモノがっ!?
アーチスティックな街なのか?と思いきやあの一角だけなようで、その先には本書にある通り
川端康成の「雪国」ではないが、西郷橋のトンネルをくぐると、そこは御屋敷街だった・・・・・・という景観が広がる
の通りの光景でした。
そんなこのあたりは渋谷区南平台町。
渋谷といってもこの辺に足を踏み入れたのは初めてです。
そして、今回の行程のゴール地点、旧山手通りと玉川通りが交差するところで終了ですっ!
なんか今回はトンネルを抜けたら御屋敷街だったで放り投げられた感があって、スッキリしないんでとりあえず、本編は終了ですがこのまま渋谷駅までの道中をつづけますっ!!
246を渋谷駅方面に向かって歩いていると道玄坂上に辿り着きました。
ってか、道玄坂にこんな『道玄坂道供養費』なんてノがあったンですね。
このちょっと位ところの色合いが青っぽくなるのがデジタルライカの色味が好きなところだったりします。
道玄坂を下っていくとしぶや百軒店の入口へ。
この辺もいちど廻って路地路地を徘徊したいですねぇ。
でも、なんか怖いんですよね。池袋西口・北口、新宿歌舞伎町は全然コワさ感じないんだけど、渋谷の道玄坂と公園通りに挟まれたエリアって、なんか制御不能な素人になにされるか解らなくて怖い...(^^;)ハハハ。
そして109の交差点。
これ、この日のGR1sの最後の一枚なんですが、最初心霊写真??と思いました。
右下に謎の日付93 314。この日93年じゃないし、そもそもGR1sって日付機能なんて無かったっしょ?
ってことはこれ93年3月14日にこの渋谷駅前スクランブル交差点で何かにあった人の強い念が写り込んだんじゃねっ!?!?とブルブルしたのです。
がっ!?いやまてよ?ひょっとして??とGR1sのボディを調べてみたらボディの脇に日付セットのボタンがありました...(^^;)ハハハ。
購入してからDATE機能なんか使う気無かったんで、あることすら知らなかったんですね。それが何かの拍子でボタンを押し込んでしまったかなんかで発動したようでした(笑)
ということで、無事に渋谷駅まで辿り着き。
ここから渋谷地下迷宮を迷子になりかけながら副都心線の改札まで潜り込んでいきました...(^^;)ハハハ。
そんなこんなな野沢通り辺は2.7kmくらいでしたかね。
【26 幻のオリンピックの面影・・・野沢通り】
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