東尋坊〜永平寺をめぐり、本ツアー最後の目的地は『一乗谷朝倉氏遺跡』。
正直期待していなかった。道中バスガイドさんはこれまで全然人気がなくって、近所の小学校の遠足コースくらいでしかなかったというし、なにせこのツアーの名称は『東尋坊・永平寺をめぐる』でこの遺跡の名前すらいれられていないのである...(^^;)ハハハ。
しかし、アイキャッチの画像を見ていただきたい。電線電柱といった文明の利器も田畑もなにもないこの一画。
後々また述べることにする。
越前朝倉氏といえば織田信長に攻め滅ぼされたあげく、当主義景は浅井久政・長政とともに漆塗りに金箔を貼られた髑髏にされて、酒宴に興じられたという敗者のイメージ色濃い戦国大名である。
しかし、実力で越前守護となった朝倉孝景は戦国の梟夕北条早雲よりも先に、朝倉敏景十七ヶ条を制定して、どこの戦国大名よりも早く、地縁血縁といった世襲制度を廃し、実力主義による国づくりを始めた戦国大名の先駆けだったのだ。
それが、孝景の子孫よりもその教えをよく理解し、実力主義・合理主義の権化と化した織田信長に攻め滅ぼされたというのは因果なモノである。
実は今回この地を訪れてはじめて知ったことだが、この一乗谷には信長に攻め滅ぼされた当時、約1万人が暮らしていたのだという。
この城内全景は想像ではあろうが、この狭い谷の間に1万人ともなると、たしかにこの絵のように谷の端から端まで住居政庁がひしめき合っていただろうコトは想像に難くない。
これだけの潜在能力があり、ほぼ居住区域から成り立つ一乗谷の経済は農業による年貢だけではなく、かなりの貨幣経済が浸透していたかのように思えるが、その当主朝倉氏はその暮らしで十分栄華を極めており、守護大名以上についに『天下』という発想を持つことなく、天下布武をイデオロギーに持つ新時代の織田信長に一方的に攻め滅ぼされる。
一乗谷で暮らしていた1万人は、殺されるか散りじりに散り人っ子一人いなくなったという。
その後昭和の時代に遺跡調査とともに特別史跡・特別名勝・重要文化財という国の三重指定となった一乗谷朝倉氏遺跡ではあるが、一向に人が集まることなく、確かにバスガイドさんのいうとおりに人気のないスポットであり続けたそうである。
それがにわかにスポットライトを浴びだしたのが、ソフトバンクのCMなのだそうだ。
なんでも、ソフトバンクのあの白い犬のお父さんの出身地はこの一乗谷なんだとか(笑)
一乗谷に目をつけるとは禿恐るべしである(笑)
こちらは一乗谷朝倉氏遺跡の由来。
そんなこんなで、まずは復元町並から。
金沢の人間にはちょっと見慣れた光景です。長町の武家屋敷みたいな感じ。
ただし、復元町並は完全に復元しきっているわけでは無いンで、門を越えた内側は、こんなかんじに平面復元地区として整備中です。
いつの日かここに寺院や屋敷が復元される日が来るかもしれません。
嗚呼ぁ〜でも朝倉氏が主人公の大河ドラマでも出来ないと資本集まらないかなぁ〜。
でも、朝倉氏が主人公って視聴率取るの難しすぎるだろうなぁ...(^^;)ハハハ。
一部、復元されている民家です。
復元町並だけでなく、平面復元地区もそうですが、この当時の一乗谷の市街地整備がかなり先進的と思われるのは、このような井戸が町毎に外に共同井戸としてあるのではなく、各戸ごとに井戸が整備されているようなんですよねぇ。
これは朝倉氏の財力と民生力が行き渡っていた証拠なのではないかと。
ここは大工の家のようでした。
まだ生きている井戸もあるようで、第一村人発見ですっ!?(笑)
この復元町並では、お着替えレンタルもやっていて、男子だったら武者姿、女子だったら旅の姫姿のコスプレが可能です。
しかも、レンタル料がたったの500円!これはこの手の商売にしてはかなり破格なのではないでしょうか。
なんか平面復元地区のなかにこんな舞台のようなモンが設置されてました。
なんかのイベント用でしょうか?
復元街並には武家屋敷もあります。
門を潜ると、長町の武家屋敷よりも敷地が広い感じ。
平均的な間取りなようなんで、けっこう広々使ってたんですなぁ〜。
当時の武家の嗜み、茶室も用意されたりしてます。
トイレも、男子用女子用と別れていたり。
復元町並の先には一服できるお茶屋さんがあります。
この辺には、ここと駐車場の売店くらいしかお店が無いんで、替えが効きません...(^^;)ハハハ。
復元町並を出て、義景公の政庁があったところへ移動です。
のどかな景色。
道路と駐車場以外には見渡す限り、近代的なモノは一切見当たりません。
ちなみに谷の真ん中を流れていくのは一乗谷川。
そしてこれが朝倉氏最後の当主朝倉義景の政庁の門、唐門。
建物は一切合切どこもかしこも朽ち果てているのに、これだけ残っていたんだろうか?これも復元なのか??
そして、義景公の墓所もこの地に存在します。
ここは朝倉五代の慰霊所?
まだまだ、山の中腹だったり、山頂には一乗谷城趾だったりと見所はありそうですが、照りつける太陽の日差しがすさまじく、のぼせそうなんでこのあたりまででバスが待つ駐車場へ。
遺跡として手つかずな部分もまだまだたくさんアリ、だからこそ余計な装飾も観光的な張りぼて感も一切なく。
それよりも驚くのは、この自然の状態。
信長に滅ぼされたとはいえ、その後の安土桃山時代〜江戸時代〜近代現代と何百年も経っているわけです。
なのに、この一体は田畑という面でも開拓されて折らず、電柱電線といったモノもいっさい目にすることのないこの環境。この土地は朝倉氏滅亡後忌み嫌われた土地だったのだろうか?
どういう理由か窺い知れないが、長い年月人間の手が入ることなく、両脇には山がそそり立ち、中央を流れる小川に、その両端には野原が広がる光景。
ここには滅多に見られないニッポンの里の原風景がそのまま保存されているのです。
この光景はこのツアーのどこよりも印象的な想い出となりました。
そんなこんなの越前を巡る日帰りバスツアー!
今回お持ち帰りしたのは、
永平寺門前で購入した永平寺おやき。
それと永平寺さん御用達という團助濃厚ごまどうふ!
以外と安くて楽しい北鉄バスの日帰りツアー、オススメです!!