池袋モンパルナス
池袋モンパルナス(いけぶくろモンパルナス)とは、大正の終わり頃から第二次世界大戦の終戦頃にかけて、東京都豊島区西池袋、椎名町、千早町、長崎、南長崎、要町周辺にいくつものアトリエ村(貸し住居付きアトリエ群)が存在し、多くの芸術家が暮らし芸術活動の拠点としていた地域の呼称。また、この地域に暮らした画家、音楽家、詩人などさまざまな種類の芸術家が行った芸術活動および熱く語った文化全体もさす[1]。
大正の昔から第二次世界大戦の終戦くらいまで池袋周辺に存在したという、芸術家たちのアトリエ村の総称『池袋モンパルナス』。
その後のトキワ荘、乙女ロードに東アジア文化都市豊島の池袋大改造とどうやら『文化』の香りが連綿と続いているらしい池袋のキッカケとなった池袋モンパルナスの名残、痕跡を訪ね歩く新シリーズ『池袋モンパルナスを夢想して』!
第三回の今回と次回くらいはメイン処!
『アトリエ散策マップ』をみると、山手通りの西側、北は要町通り、南は西武池袋線に挟まれた区画の立教通りの南北に池袋モンパルナスを形成するアトリエ群が点在しているのです。
そんな今回は立教通りの北側千早二丁目の路地を辿ります。
ちなみにこのシリーズでは豊島区公式HPにある『アトリエ散策マップ』を参考にしています。
【つつじが丘アトリエ村 峯孝作品展示室】
前回の終点、要町駅前から今回はスタートです。
山手通りの西側、要町通りを西へ向かいます。
この辺りは高松時代の我が家の生活圏。懐かしいお店が駅前に並んでいます...(遠い目)。
西へ向かって平和な道を歩いているとなんと懐かしいフィットネスクラブエポック!
うちの小春さんとの散歩でもこの辺までは足を伸ばすことなかったんで7年ぶりくらいです...(遠い目)。
ここに3年くらい通ってたでしょうか?立派な中年になる前に突然ストイックになったボクは身体を絞りに絞り、学生時代くらいまで体重を落としたのでした。
なんだ、やれば出来る子なんじゃん!と改めて自分のポテンシャルを確認した後、2011年の震災による食べられるときに食べておく!という強迫観念に苛まれてからは、食べられることの有り難みに感謝しまくりすぎて、その後はしっかりと無くした脂肪を取り戻して現在に至ります...。
そんな話はどうでもよく、エポックを過ぎたあたりで横路地に入り、最初のポイントのつつじが丘アトリエ村跡を目指します。
この区画がつつじが丘アトリエ村の跡地なはず。
住所的には豊島区千早二丁目30付近となります。
とりあえず、区画に沿ってぐるりと徘徊しますが、特にこれといって特徴的な建物はなく...(^^;)ハハハ。
広場がある方の道を歩いていると、奥の方に高い屋根の天馬度付きのそれっぽい建物がありますが、あれは違うでしょうね。
さっきの区画の対角線上の角を曲がったあたりでなにやららしき物件を発見っ!?
やはりビンゴでした!
つつじが丘アトリエ村跡がこちら!!
このシリーズ出始めてちゃんと関連史跡の跡を知らせてくれる道しるべに出会えました。
ちなみにこちらのつつじが丘アトリエ村跡は峯孝作品展示室にもなってるんですが、残念ながら現在は休館中です。
その横路地がいぃ〜雰囲気を醸し出しております。
峯孝作品展示室の隣の物件もアトリエ跡なんでしょうね?
入口のドアも風雨にさらされてなかなか鄙びてございます。
なるほど、こんな感じのアトリエが当時はそこかしこにあったのかと、より夢想にリアリティーが増しましたところで、次のスポットに向かいます。
【熊谷守一美術館】
次の熊谷守一美術館へは道沿いに真っ直ぐ進み、赤蟻通りという奇妙な名前の道を右へ曲がりちょっと進むと、
明らかに一般住宅とは異なる趣の建築物が現れます。
こちらが『熊谷守一美術館』!
区立の美術館なんですね。
入口周辺にもけっこう作品が鎮座坐してございます。
ライオンの像のようなモノも。
ライオンは寝ている?いやこのライオンは起きてますね(笑)
こちらは熊谷守一のレリーフだそうで、死後親友の松村外次郎が熊谷を偲んで作ったモノだそうです。
がっ!?やはり時節柄、こちらもコロナ休館で中には入れず...(T^T)涙。
入口でオジサンもがっくりと肩を落としております......。
また、コロナが一段落したら訪れてみたいですね。
そんなこちらは豊島区千早二丁目27。
【西村喜久子アトリエ跡】
熊谷守一美術館から西村喜久子アトリエ跡へは先ほどの奇妙な名前の赤蟻通りを真っ直ぐ西へ2ブロックほど。
大通りから大分奥まったこの辺りは大きなお屋敷が多いですね。
早くも豊島区千早二丁目23のブロックに入りました。
アトリエ建築ではないですが、昭和な物件が気になる田島荘。
書道と華道を教えていらっしゃるようで。
なにか痕跡はないかぐるりとブロックを徘徊しますが、らしきモノは見当たらず...(T^T)涙。
お゛っ!?あの2階部分はそれっぽくないか??
と思ったのですが、
天理教の愛勝布教所第二新館と書かれてました...(^^;)ハハハ。
そんなこんなな池袋モンパルナスを夢想しての千早二丁目編。
次回は立教通りの南側の一番アトリエ群跡が密集していた地域を徘徊します!!
池袋モンパルナスに夜が来た
学生、無頼漢、芸術家が街に
出る
彼女のために、神経をつかへ
あまり太くもなく、細くもない
ありあわせの神経を———。
・・・・・・・・・・・・小熊秀雄「池袋モンパルナス」より
(「サンデー毎日」昭和十三年七月三十一日号)