泉麻人氏の『東京いい道、しぶい道』をまるまる辿るパクり企画の偽『東京いい道、しぶい道』!
4月下旬にアップした偽『東京いい道、しぶい道』〜【池上道(旧池上街道)】以来四ヶ月強!?
実際このエントリーで旧池上街道を歩いたのは3月も最後の方。
翌週には緊急事態宣言発令とともに職場も完全テレワーク体制となり、引き籠もり生活が始まったのでした。
以来、相変わらず収まりが効かないコロナ禍ではありますが、先日の谷端川川下りで久々のお写ン歩をしてから、どぉ〜にもこぉ〜にも収まりがつかなくなって、お盆休み初日に活動再開なのですっ!!
なので、3月下旬以来四ヶ月半ぶりののお写ン歩再開っ!?集団行動じゃないし、3密関係ないずっと外歩きだからいぃ〜のですっ!!と自分自身を説得しつつ(笑)
お写ン歩再開ともなると偽『東京いい道、しぶい道』から始めないわけにはイキません!!
城南エリアの途中で止まっておりましたが、今回は大森方面へ。
平和島駅から美原通り・するがや通りといった旧東海道をお写ン歩なのです!!
まずは池袋から品川に出て、京浜急行で平和島駅下車。
真夏のお写ン歩は命に関わるんで朝もはよから、6時前に家を出ました...(^^;)ハハハ。
ちなみに今回のお供カメラも前回同様、デジカメはSony α7ⅡにTAMRON 20mm f2.8 Dilll OSD F050SF、フィルムカメラはRICOH GR1sにKodak ColorPlus200で。
スタート地点は、
京浜急行の平和島で降りて第一京浜へ出ると、ちょっと海側を平行するように昔の東海道が通っている。美原通りの別名も付いたこの道、第一京浜を少し北方へ遡った、大森海岸交番の所から分岐して始まる。
とあるように大森海岸交番となります。
さっそく道端には『旧東海道』と。
旧東海道沿いの商店街は大抵そうですが、こちらの美原通りもプチお江戸テーマパーク的な街並みとなっております。
本書の中でもこんな風に触れられてます。
旧道に入っていくと、一応江戸の宿場をイメージしたような、屋号が書かれた木目調の看板を掲げた店が点在している。
真っ先に泉氏が書いているのがこちら。
最近のマッサージ・整骨院なんかも江戸テーマパーク調の看板を掲げている。
大森海岸が近いこともあり、廻船問屋さんなんかもあったり。
とにかく本節の『大森海苔ノリ街道』のタイトル通り、大森らしい海苔屋多い多い。
先ず目に止まったのが川島屋さん。
こちらは川良海苔店さん。
なぜか海苔屋さんのシャッターはみな浮世絵調に飾られております(笑)
街の歴史の謂れ書きらしきモノは見当たりませんでしたが、所々にこのような江戸のころからの生活風景のレリーフが置かれていました。
これは海苔漁の様子ですかね?
街道散策に現を抜かしているだけではなく、ちゃんとブラぱち猫クラブの活動も忘れずに全うしております。
こちらはキョロキョロ不審な人間を不思議そうに見ていた自転車屋前の茶白さん(笑)
道中、不思議な木の看板!?
『かわや』と書かれています。街道なんでこういうちょっとした気遣いなんでしょうか(笑)
そんなかわやを貸してくれる優しいおみせは花屋のややさん(笑)
美原通りに面した部分は綺麗に江戸風味な装飾がされていますが、その裏側の建物はこの通りまだまだ昭和な佇まいが残ってます。
そうこうしているうちに環七が見えてきました。
そんな環七のところに美味しそうなカレー屋さん。
『SHIGERU』ってオーナーさんのお名前なんでしょか?
当然のことながらまだ早朝なんでやってません...(^^;)ハハハ。
そんなカレーに後ろ髪を引かれつつ環七を越えていきます。
環七を越えたところで、
環七を越えた先で印象的な佇まいの店に出くわした。壁を黒塗りした平屋の玄関口に、人体模型に模様を入れたオブジェが取りつけられているので、ナニか?と思ったら「彫」の字を入れた看板が。
と、この彫り物屋さんを期待してたんですが、見当たらず...もう閉業しちゃったんでしょか?
引き続き旧東海道筋は続きます。
いぃ〜ですねぇ〜〜干物屋さん。
この辺りはなかなかバラエティに富んだお店が並んでいました。
こちらも江戸風味な看板の郵便局。大森東一郵便局。
カメラ屋さんもありました!野口カメラ店さん。
『カメラ買います』とあるんで、中古カメラとか販売してるんでしょうか?
ふと横を見たらなにやら不思議な建物が。
築地本願寺みたいな石造りの本堂な『徳浄寺』。
よぉ〜やく街道の謂れ書きを認識しました。
この美原通りは以前は三原通りと呼ばれていたようですね。
『三原とは、字名の南原、中原、北原の三原のことで、美称して美原になった。』
とのこと。
ちなみに旧東海道往時の幅員を比較的よく残しているのはこの美原通りと六合地区の一部のみということで、江戸期の東海道の雰囲気を味わえる数少ない通りとなっています。
やがて、鮮やかな朱塗りの橋が見えてきた。内川橋と刻まれているが、下を流れる細流が内川。
の通り、突然赤が目に差し込んできました。こちらが内川橋です。
この橋の先で左手に枝分かれする道に「するがや通り」(旧羽田道)の名前が付けられていて、これが前々から気になっていた。
この記述がないと通り過ぎてしまいそうな所が、するがや通りの入口となっています。
美原通りと違って幅も半分くらいになり、地味目なしぶい道がするがや通り、旧羽田道となります。
『するがや』になにやら興味があった泉氏のようですが、
正解は「駿河屋」であり、鶴屋南北作の歌舞伎「浮世柄比翼稲妻」のなかで、あの幡随院長兵衛が常宿にしていたその名の旅館が道の二股あたりに存在したという。
なんてこと無い、私鉄の各駅しか止まらない駅前商店街の外れのような景色が続きます(笑)
そうこうしているうちに今回ボクが一番興味があった場所へ。
そのうち横尾忠則好みのY字路に差しかかり、「するがや医院」の看板が見える右方へ進路をとると、ほどなく左手に寺の墓地が現れる。
横尾忠則は名前と東大学園祭のポスターは存じ上げているんですが、なんでY字路?と思い、Google先生に聞いてみたら......。
Y字路の作品が多いンですね。
そんなY字路にも道標が。
しばらく住宅地の路地を歩いていると突然目の前が開けて、朝陽が降り注ぎました。
左側は厳正寺の墓地になります。
こちらが厳正寺の入口。
境内に入ると青銅の二匹の鳩が迎えてくれます。
こちらが本堂。
最初スルーしちゃってましたが、山門の上に梵鐘が釣られているんですね。
改めてちゃんと見てみると、たしかに2階部分に梵鐘が見えます。
そして、次回にも繋がる『水止舞の寺』の石柱。
本書では水止舞の開催日に合わせて再訪することになる泉麻人氏でした。
そんな厳正寺を後にちょっと進むと今回のゴール、守谷武夫商店になります。
こちらで水止舞について泉麻人氏が聞いてみると、
「長雨を止めてくださいって、お祈りする舞なんですけど、7月14日にこの前の道を突きあたりの中学校の所からお寺まで練り歩いて、最後に境内の舞台で獅子頭かぶった女の子たちが踊るんですよ」
ということで再訪することになるんですね。
そんなこんなな久々の偽『東京いい道、しぶい道』城南エリアの美原通り・するがや通り編でしたが、久々でテンション上がりすぎてルートのスタートでGPS作動してませんでした...(^^;)ハハハ。
ホントはも少し上の方からスタートしてまして、正味1.4kmくらいの行程でしょうか。
【23 大森の海苔ノリ街道・・・美原通り・するがや通り】
中央公論新社
売り上げランキング: 83,358