そんなこんなで、話の流れで偽『東京いい道、しぶい道』のタイトルを付けてますが、本エントリーは『東京いい道、しぶい道』は収録されておりません!
あくまで、私的な番外編でございますm(._.)m
世田谷線に乗り松陰神社前駅から下高井戸駅にやってまいりました。
下高井戸というと大学の四年間家庭教師として通っていたお宅の最寄り駅でして、こちらもなにかと懐かしい...(遠い目)。
戦後闇市の流れで出来上がった色んな駅前の駅前市場もここ数年は解体&再開発が加速している中、下高井戸駅前市場はいまだ健在っ!?
しかも30年前当時と外観はなんら変わらない逞しさ(笑)
線路脇の人一人通れるくらいの路地もいぃ〜味わいが残ってます。
っていうか当時の雰囲気と何ら変わっていないのがもはや不思議?
昭和レトロも一定の侘び寂びまでいくと、時間の流れは関係なくなるんですかね?(笑)
線路脇の路地を西へ進んで、下高井戸駅前市場の建物をグルリと裏側に折り返します。
すると、建物端の部分はこんなコンクリートブロックで覆われた一角になってました。
この入口のパネルを見る限り、市場内のお店はまだそれなりに残っているようですねぇ。
改めて市場内に潜入します!!
がっ!?なにせこの日は正月三日、個人営業のお店で成り立つ駅前市場はどこもかしこもシャッターが閉まっております...(^^;)ハハハ。
そんな閑散とした市場内をボクと同じく探検しているファミリーが居たり(笑)
なんか、あまりに人気を感じないんで不思議な気分になってきました...(^^;)ハハハ。
再び裏側へ。
裏も裏でどこもかしこも閉まってます(笑)
これはまた営業中に来ないと、せっかくの駅前市場の活気が感じられないなっ!と再訪を心に誓って下高井戸駅前市場を離れます。
市場裏側から北方へまっすぐ延びる横丁が気になったんで、こちらを散策することにしました。
がっ!?こちらもこちらで開いているお店は皆無...(^^;)ハハハ。
そんな中、とても古そうな木造のお店を見かけました。
米屋のようですね。
しかし、Google先生に聞いてみたところ残念ながらすでに廃業されているようです。
横丁も成果無いなぁ〜と歩を進めると甲州街道に突き当たりました。
また戻って、下高井戸から戻るかとも思ったんですが、これ東に向かえば我が学び舎明治大学和泉キャンパスじゃね?と思い、三年進級以来訪れたことの無い和泉キャンパスに向かうことにしました。
真っ直ぐ東へ甲州街道を歩いていると明治大学和泉キャンパスの校舎が見えてきました。
紫紺の『明治大学』のロゴが垣間見られます。
こちらの校舎はたしかボクが入学した頃には出来上がってたモノなんで、そろそろ改修・補強工事の頃合いなんですかね?
正月休みでキャンパスには入れないんで、校門の隙間からパ写リ!
右側に写り込んでいる図書館までは当時新しいモノに建て替えられてきたような気がするんで、奧の校舎とかはボクが和泉キャンパスを離れてからのモノでしょうか?
なにせこの明治大学、入学当初は和泉キャンパスにも白地に赤と青の立て看板が目白押しで、いわゆる70年代学生運動の名残があるダサいキャンパスだったんですが、ボクが卒業してから駿河台のキャンパスも全て建て替えて綺麗になったり、同時に学生会問題も解決したやらで、やたらと綺麗なキャンパスに変わったンですよね。
おかげで、都市型大学として人気も上がったよぉ〜で。
当時のバンカラ大学のイメージはもう無いんでしょうか?
そんな和泉キャンパスを後にして、そぉ〜いえば近くによく通った『珍珍珍』とかいう中華屋さんなかったっけ?と甲州街道を東へ歩いたンですが、ここかなぁ〜?
横浜家系ラーメンの『武蔵家』さんになってました。
さらにその先には『ぐずぐず』さん。
和泉の『ぐずぐず』に駿河台の『さぼうる』と、明大生サボりの定番でございます(笑)
甲州街道を引き返して、明大校門前の歩道橋を渡って明大前駅に向かいます。
一番ビックリしたのが、歩道橋を渡って駅に向かうこの道!?
明大通りをいうそうですが、当時はこんな二車線歩道ありの立派な道があった記憶が無いんですがっ!?
この半分くらいの路地のような道で、両脇は学生街らしい雀荘とかプールバーとかゴチャゴチャした道だったはずなんですが、ここも再開発されたんですねぇ...(遠い目)。
駅前近辺で辛うじて記憶にあるのは、こちらの駅前のレインボービルだけ。
ここ以外はすっかり変わってしまいました...(^^;)ハハハ。
そんなこんないいながらもこの明大前駅の駅舎は当時のままで、若干の安心感を得つつ京王線で新宿へ。
そして埼京線で池袋への帰路についたのでございました。