普段は池袋周辺でせいぜい電車を使っても30分以内くらいのところをお写ン歩するのがせいぜいなのです。
とはいえ男子たるモノ、いくら歳を重ねても冒険心は消えきらないようで、たまにちょっと時間をかけてお写ン歩してみたくもなるのです。
とはいっても丸一日かけて足を伸ばすほどでもない場合には、都バスを使ってプチ遠足気分を味わいます(笑)
この日は先日ハーフサイズカメラのOlympus pen EES-2で久々にフィルムで撮影して、やっぱりフィルム撮影っていいモンだなぁ〜と再認識したこともあって、これまた久々過ぎるKONICA HEXAR RFにLeitz Elmar 35mm f3.5を付けて。
フィルムは冷蔵庫の中でジッと辛抱しているウチにⅠ年半ほど前に期限切れをお迎えしていらっしゃっていたKODAK GOLD200を2本携えて!
プチ遠足のスタートは池袋駅東口の都バスのバス停になります。
ここから60分ほどかけて、浅草雷門まで!!
電車だったらそれこそ30分くらいで浅草まで行けちゃうんですけどね...(^^;)ハハハ。
都バスの席の高いところから街中を眺めながらゆったり向かうのがプチ遠足の醍醐味でございます。
道が混んでも混まなくてもだいたい60分程度で浅草雷門に到着!
前回は、2019年の秋にうちの相方さんがポケモンウォークにハマっていて、そのクエストが浅草であったかとかでお付き合いできた記録が本ブログに残っておりました...(^^;)ハハハ。
その翌年年明けにはコロナ禍に入ってしまったので、3年数ヶ月ぶりくらいですね。コロナ禍の中では結局浅草にくることはなかった感じ...(遠い目)。
この日は平日をわざわざ狙っていったんですが、3月中旬辺りにしては春らしい御陽気だったこともあってか仲見世はこの通りの人出っ!?
まるで、コロナ禍以前の盛況ッぷりが早くも復活している浅草でございます...(^^;)ハハハ。
チョイとこない間に女子向けなお店がさらに増えたような?
あの舟和さんの一角はこのような今風なスイーツのお店に様変わりしておりました(笑)
都内でもこういう観光客向けの和服サービスは浅草ならではですよね。
この日も日本人以上に、韓国や中国といったアジアな方々がグループ単位で和服姿で観光していらっしゃいました。
なぜか、あまり欧米系の観光客の和服姿は見かけないなぁ〜。
ギュウギュウ状態の仲見世を抜けてようやく山門前まで...(^^;)ハハハ。
境内の他のソメイヨシノはそれほどの咲き具合でしたが、山門脇の枝垂れ桜はみごとに垂れていらっしゃいました。
山門を抜けるとようやく浅草寺本堂。
仲見世の狭い道幅と違って境内は広々としているんで、人がばらけてようやくゆったりした感じ...(^^;)ハハハ。
正面の本堂に左向け左!をすると五重塔があるんですが、久々だったからか五重塔ってこんなに大きかったっけ?とちょっと面食らいました(笑)
けっこう日差しのいいところではあるんですが、境内のソメイヨシノはこんな感じでまだまだ五分咲きにもなっていない感じでした。
ってか、一年数ヶ月期限切れのフィルムでもけっこうしっかりといぃ〜青が出るもんですなぁ〜。冷蔵庫に入ってたのが功を奏したのかな。
そんなこんなな王道の浅草寺観光をとりあえずしたところで、ちょいと早めのお昼ごはん!
大黒家さんでのお昼ごはんの模様はまた別エントリーにて(笑)
食後は腹ごなしをかねて、今回の目的だった伝法院通り界隈を徘徊です!
もう、この伝法院通りの混雑ぶりが酷いっ!?
仲見世は以前からあんな感じでしたが、この伝法院通りもいつのころからか、仲見世並みの人混みです。
特にヒドかったのが、道中を行列が埋め尽くしていてなんの行列か?と元を辿っていくと『浅草メンチ』!?
なんとメンチカツ目当てに特に若い男女が長蛇の列を形成しておりました。
いつからメンチが浅草名物になったんでしたっけ?
ボクの伝法院通りのイメージといったら、この手のバラックのようなほぼほぼやる気のないお店が建ち並び、通り自体もかなり寂れていて、一杯ふっかけてやさぐれたお爺ちゃんがフラフラしている、90年代くらいまではそんなイメージだったんですけどねぇ...(遠い目)。
そんあ伝法院通りの変わりっぷりに今昔を感じながら進んでいくとオレンジ通りに差しかかります。
この通りには浅草芸人や銀幕スターなど浅草公会堂前のスターの手形が有名です。
これもいつの頃からか、浅草復活の起爆剤の一つでもある人力車ですね。
この日もそこかしこで観光客を乗せた人力車が走ってました。
フィルムだとパッと見人間に見えますが、伝法院通りの屋根から屋根を渡り往く鼠小僧次郎長の像でございます(笑)
この辺りは街ぐるみで街並みを江戸アトラクションのように整備されてますねぇ。
今回初めてチョイと立ち寄ってみた浅草寺鎮護堂の脇に屹立していた御狸様でございます(笑)
伝法院通りはやがてホッピー通りと交差するところで、六区通りと名前が変わります。
ここは右へ折れてホッピー通りへ!
ここなんてまさにディープ浅草で、店先の煮込みの鍋の匂いと安酒で朝から酔っ払ったオッチャンくらいしか観るモノもない通りだったんですけどね...(^^;)ハハハ。
いつの間にか普通の飲み屋街、赤羽あたりと変わらない光景になってしまいました。
途中で脇路地に入り込んでみると、以前ナイツ塙のYouTubeチャンネルで紹介していた定食屋の水口さん。
ここも一度来てみたいんですよねぇ。
この六区通りと奥山おまいりみちに挟まれた名もなき路地がいい感じでした。
昔のホッピー通りってこんなイメージだったんですけどねぇ。
そんな脇路地を進むと六区ブロードウェイ商店街!
浅草が夢と希望に溢れていたころのメインストリートですねぇ。
正面には浅草演芸ホールと浅草フランス座演芸場東洋館の建物が。
六区ブロードウェイ商店街のスピーカーからはBIG BAND JAZZ音が、劇場や映画文化華やかりし浅草全盛期を想起させてなんだかウキウキしてきます(笑)
幼少期から東京に遊びに行くとなると浅草、上野界隈だったンで、やはり記憶の中でもウキウキさせられるところなんですよね。
浅草で洋食となるとやはり洋食ヨシカミさん!
昔から銀座並みにお高い洋食ですが、いまだに高いにもかかわらず行列の出来るお店でございます。
食べたいのはやまやまなんですが、あれやこれや頼むとエラい値段になってしまうのでいつもスルーしてしまいます...(^^;)ハハハ。
ヨシカミさんの前の道を進んでいるとまた伝法院通りに戻って来ました。
とりあえず、そろそろ残フィルムの少なくなってきたんで、仲見世に向かって帰路につくことに。
昨年秋のクールからうる星やつらが包装されてましたが、さっそくスカジャンにラムちゃんがデザインされてます(笑)
よぉ〜やく仲見世まで戻って来ました。
というか、仲見世の混雑がイヤな時に通った赤壁の裏路地なのに、裏路地もこの混雑ぶり...(^^;)ハハハ。
仲見世の裏路地にこんな公衆トイレがございました(笑)
ということで雷門まで戻って来たところで、また都バスで60分かけて池袋に戻ります。
いやぁ〜3年以上ぶりの浅草でしたが、コロナ明け早々に2019年時点くらいまで人出が回復しているようでした。
これだったらコロナ禍で観光客がいない頃に来ておくべきだったかなと...(^^;)ハハハ。
とはいえ、ボクが浅草に来るようになった幼少期は傷痍軍人の募金活動とかがあり、まだ戦後の面影が残っていたり、物心ついて以降はすでに浅草の凋落は話題にも上がらないくらいに日常のこととなっていて、海外の観光客はおろか、それこそ浅草寺参りのお爺ちゃんお婆ちゃんか安酒飲みに来るオッチャンくらいしか目にすること無かった浅草ですが、今世紀に入ってからの浅草の復権ぶりは凄まじいモノがありますね。
なんだろ、京都奈良といった日本的な観光の部分を東京では浅草が一身に背負っている感と浅草ブランドの凄みを感じたプチ遠足でございました。