どぉ〜やら梅雨も明けて夏本番!?な7月第四週の週末。
春先以降週末ともなると写真展巡りが続いて、なかなかガッツリお写ン歩することが無かったので、久々に歩き回るか!
梅雨も明けてそういえば若干湿気も落ち着いた感じだし!と多少気のせい?な勘違いもしつつ向かったのは、久々の茗荷谷!
久々の茗荷谷へ向かったのはこちらのページをたまたま目にしたモノで。
たしかに以前我らがチョートク翁が主催するチョートクブラぱち塾で茗荷谷を巡った時も坂を下ったり大地に向かって上ったりと、実は丸ノ内線は小石川と小日向台の谷間を走ってるんですよね。
こちらのページでは各坂のGoogleマップも作成されているので、これを参考に山谷散策でございます。
ちなみにこの日のお供はLeica M9-PにLeitz Elmar 35mm f3.5でございます。
茗荷谷に注ぎ込む六坂を訪ね歩くこの企画。
まずは丸ノ内線の東側、小日向四丁目の三坂を巡ります。
駅から一番近いところで、まずは釈迦坂から。
徳雲寺の脇を走る『釈迦坂』。
茗荷谷をお写ン歩する際に何度も通っている道ですね。改めてここが『釈迦坂』であったと認識しました...(^^;)ハハハ。
説明書きに『坂の高さ、およそ一丈五尺(約4m50cm)』とある通り、徳雲寺側の小石川の大地との高低差はかなりガクンと低くなっております。
道沿いに歩いていると丸ノ内線の高架のトンネル。
この辺りはそこかしこで丸ノ内線のトンネルがありますね。
小石川大地の端はこのように石垣のような感じで固められております。
道沿いに真っ直ぐ進んでいくと次に見えてくるのが『藤坂』。
この坂を登り切ると茗荷谷駅前を走っている表通りの春日通りに繋がります。
先ほどの釈迦坂と徳雲寺もそうですが、この辺は坂とお寺が付きものなんでしょうか?(笑)
この藤坂の坂下にも伝明寺がございます。
謂れでは伝明寺の藤の花から藤寺、そして藤坂ということですが、語感のとおり富士坂でもある通り、江戸の昔ではこの眺めの先には富士山を拝むことが出来たんでしょうねぇ...(-人-)合掌。
再び藤坂をおりて丸ノ内線に沿って東へ歩いていくと、また丸ノ内線のトンネルが見えてきます。
このトンネルの手前、脇に伸びていくのが『庚申坂』です。
実はこの次に向かおうと思っている切支丹坂と間違われていたらしい庚申坂。
お寺はないですが,以前ここには庚申の碑があったようです。
今はもうなくなっちゃったのかな?周辺には特になにも雰囲気を感じさせるモノは無かったですねぇ。
庚申坂の上から西を眺めると丸ノ内線の車両基地。
ちょうど先ほどのトンネルの辺りがメトロの敷地をしては一番広い区画で、車両基地になっているようです。
そして庚申坂を下るとそのまま小日向四丁目に向かうこの辺では一番長い、長いトンネル。
確かチョートクブラぱち塾の時にはこの辺でよく月光仮面のロケが行われていたとチョートク翁が仰っていた記憶があります(笑)
長い長いトンネルを抜けるとそこはもう『切支丹坂』。
小日向台をユルい傾斜で上っていきます。
ここからは丸ノ内線の南西側、小日向一丁目エリアの小日向台から茗荷谷に注ぎ込む坂になります。
振り返ると先ほど庚申坂から見下ろした丸ノ内線の車両基地が、その西側からも同様に眺められます。
ユルい坂をほぼほぼ登り切ったところにこの坂の由来である『切支丹屋敷跡』の碑が建てられてます。
屋敷とありますが、島原の乱以降切支丹の収容所だったようですね。
1646年の設立から1792年の廃止までほぼ150年。幕府のバテレン禁止令も役目を終えるまで1.5世紀もかかったんですねぇ...(遠い目)。
ちなみに切支丹屋敷跡には現在エイゾービルが建てられています。
そんな切支丹屋敷跡の路地を北上していると、梅雨も明けたというのにいぃ〜感じに枯れかけている額紫陽花があったのでパ写リ!
シーズン中はもっと鮮やかな色合いだったんでしょうけど、この渋みのある薄赤紫の色味もいぃ〜ですねぇ。
なんか、日本固有の色とかでちゃんとした色の名前が付いていそうだけど。
切支丹屋敷跡の前の路地を北上して行くと蛙坂に繋がります。
なかなかオモシロい由来の坂で、坂を挟んで東西の蛙が合戦を行ったことから名付けられたとのこと(笑)
たしかに、この辺は大地と谷が絡み合ってるんで湿地帯も多かったんでしょうねぇ。
そんな蛙坂の標識のところに建っているのがメゾン蛙坂。
特に何かの所縁があるワケでは無いんですが、非常階段の屋上の屋根がオモシロかったんでパ写リ(笑)
小日向台を下って来たところで、振り返って蛙坂をパ写リ。
蛙坂を道なりに歩いていると再び丸ノ内線の線路脇に辿り着き、その交差点には宗四郎稲荷大明神。
うちの近所にもこの手の小さな稲荷神社がたくさんありますが、今もこのようにキレイに祀られているのはご近所の方々の信仰の高さがうかがえますね...(-人-)合掌。
こちらの丸ノ内線のトンネルは左に曲がると釈迦坂へ、真っ直ぐ進むと藤坂に繋がります。
ホントこの辺は同じようなトンネルがそこかしこに点在するんで、あ゛れっ!?今自分てどこに居るんだっけ?と戸惑います...(^^;)ハハハ。
このまま最後の茗荷坂に入っても良いンですが、ちょうど茗荷坂の中途半端な位置なので、同じところをまたいったり期待するのはオモシロくないな!
と拓殖大学のところで西に向かい、迂回して茗荷谷駅に向かうルートに変更です。
ここ、以前も写真に納めましたが相変わらず渋い佇まいです。
いまにも剥がれ落ちそうな外壁で、四年前も同じこと思いましたが、あれから四年経ってもまだ持ちこたえてますね(笑)
こういう景色がいつの間にか無くなっていってしまうご時世なんですよね...(; ;)ハラリ。
拓大キャンパスを越えて新大塚公園のある通りを歩いていると、なにやら物々しい門構えの建物が!?
何処のお屋敷?と思いきや、拓大の国際教育会館とのこと...(^^;)ハハハ。
道沿いに歩いていると再び春日通りへ。
ちょうど赤いマクドナルドの看板のところに赤い道の上に赤いminiが駐車していたんでパ写リ(笑)
そして再び茗荷谷駅へ。
最後の坂は駅の南口から小日向台の稜線を下っていく茗荷坂(北側)となります。
駅からは南に向かいなだらかな下り坂。
ほぼこの辺りの住民の生活動線にもなっている道ですね。
なだらかな下り坂とはいえ、先に進むとそれなりの高低差を産んでいて、茗荷坂沿いの住宅へはこのような階段路地がそこかしこに伸びています。
いがいとキツい高低差!?
もう間もなく茗荷谷の谷底!という手前で振り返って茗荷坂をパ写リ。
この茗荷坂の標識を見る限り、元々の茗荷坂とはこの先の小日向台を上っていく茗荷坂(南側)のことを指していたようですね?
それが現代になり茗荷谷駅に繋がる北側の坂も茗荷坂として括られるようになったとか?
ちょうどこの標識のあたりが茗荷谷の谷底にあたりますが、先ほどの坂とお寺の因果通りこの茗荷坂の谷底のところには深光寺が鎮座坐して在らせられます...(-人-)合掌。
そんなこんなで最後は茗荷谷の谷底から小日向台に上ってゆく緩やかな上り坂、茗荷坂(南側)の一枚で。
この後さらにチョートク翁の聖地巡礼と音羽巡りの旅が続きますっ!!(笑)