2022年3月に学生時代に慣れ親しんだ千駄ヶ谷のホープ軒を何十年かぶりに再発見して以降、三、四ヶ月ごとに背脂塗れの衝動に駆られて早朝朝ラー散歩で千駄ヶ谷界隈を朝ン歩する機会が増えており。
今回も朝ラー後の罪悪感を多少なりともなかったことに出来ないかと朝ン歩を始めたのでございます...(^^;)ハハハ。
といっても、メインはホープ軒で今回はあくまで秋口になって散歩日和になった頃に本格的に徘徊するための事前のロケハン程度に考えていたのですが......
とりあえず目的地に向かうために、千駄ヶ谷ホープ軒から神宮外苑を横切ります!
途中、学生時代ぶりくらいに聖徳記念絵画館を拝みました...(-人-)合掌。
ちなみに、この絵画館前って昔からこんなユニコーン像って建ってましたっけ??
とりあえず神宮外苑を横切り、よぉ〜やく外苑東通りまでやってまいりました。
外苑東通りを若干北上して、JR信濃町駅の方に進みます。
信濃町駅手前のこの千日坂が今回のロケハンのスタート地点!
何しに来たかといいますと、今回はこの辺から東方面のJR線・首都高と赤坂御所の丘に挟まれた一帯から新宿区南元町、若葉三丁目、若葉二丁目に広がる、いやかつて明治期に存在していた都内最大の貧民窟と言われる『鮫河橋』の跡を辿ろうというのが目的なのでした。
まずはJR線・首都高と赤坂御所に挟まれた一帯を歩いていきます。
ちなみに当時の貧民窟を忍ばせるような建物や遺構はほぼなく、在るとすれば当時の区割りをそのまま継承しているかのような都内一等地にしてはやたらと狭い狭小エリアが残っているというコトくらい。
この二階建ての長屋はいつもの昭和遺構のノリで吸い寄せられてしまいましたが、この目の前の赤坂御所側には公明党本部が在ったりと、○○村の雰囲気が漂っております。
赤坂御所側をパ写リ。
手前にはこちらも昭和の平屋の木造住宅が残っていましたが、住民はすでにいらっしゃらないようで廃屋と化してました。
この辺りの昭和な木造住宅はほぼほぼ廃屋でしたね。
ちなみに奧の山の向こう側には赤坂御所が鎮座坐して在らせられるという都内でも一等地でございます...(^^;)ハハハ。
歩を進めると香蓮寺が見えてきました。
今回の鮫河橋貧民窟はまさに谷底に広がって形成されていったということのようなのですが、まさに赤坂御所の山と新宿通りの四谷三丁目駅付近の高台に挟まれたこのエリアは谷底で有り、そこに川が流れていたという痕跡が香蓮寺門前にあるのです。
この門前の石畳が盛り上がっているところが以前の石橋の痕跡とのことで、今は暗渠になってますが川が流れていたということになります。
この辺りは桜川暗渠なんですかね?
さらに東に向かって歩いているとまた気になる木造建築が。
こんな立派な二階建ての木造建築なんで、すでにこの建物が建てられた頃にはこの辺りも貧民窟という地域では無くなっていたと思われますが、こちらの物件もすでに廃屋になってました。
JR線・首都高と赤坂御所に挟まれたエリアの最終地点がこちらの鮫ヶ橋せきとめ稲荷神社。
ネットで調べていると『鮫河橋』という表記なんですが、史跡に残る名前としては『鮫ヶ橋』なんですよね。
ちなみにこのせきとめ稲荷の由来ですが、川から流れるゴミをここでせき止めて取り除き、綺麗な水を赤坂御所に流すための池にちなんだもののようです。
また、江戸時代にはまだ江戸湾の入江が深く、この辺りにかかっていた橋から鮫が溯上する姿を見ることが出来たからとか。
このせきとめ稲荷のところで北上し、首都高・JR線のガードの北側に向かいます。
このガードの下にも『鮫ヶ橋』の表記が見られますね。
ちなみに現在の行政上の地名にもう『鮫河橋』や『鮫ヶ橋』の地名は存在しません。
ガードを越えるとすぐに出羽坂が見えます。
この後、南元町〜若葉三丁目〜若葉二丁目にかかるこの通り沿いには様々な坂が脇路地として繋がっているんですが、というのもこの道沿いがまさしく貧民窟の谷底であったからなんでしょうね。
この通りに繋がる脇路地は大部分が車一台も通れない狭小エリアとなっています。
この辺りの区割りはその昔の面影を引き摺っているのでしょうか?
かと思いきや、通り沿いにはこのような大きな蔵と広い敷地を持つ庄屋のようなお屋敷も。
ファミリーマート四谷若葉店のところでこの路が三つ叉に別れるので、ちょっと西側に歩を伸ばしてどこに連れて行かれるのか解らないほどのクネクネした狭小エリアを歩いていると、なんと懐かしい光景がっ!?
路地沿いにおそらくご近所さん共同利用と思われる物干し台というか物干し柱が並んでいる光景に出くわしました。
貧民窟は関係ないですが、まさにボクがこんな路地散歩をするキッカケとなった原初の記憶である、父の実家の前の路地の光景同様の物干し柱(笑)
スゴいのが、この物干し竿をかける柱が昔々は木製だったろうけど、金属製に変えられているという点ですね。
ということは今でもこれは使用されているということで、昭和〜平成と生き延びてきた光景が令和に繋がっております...(T^T)涙。
再びメインストリートに戻り、ここはGoogleマップ上では若宮荘ということになってます。
この手の木造モルタルな集合住宅はまだ池袋でも北の方、池袋本町や南東の上池袋辺りにも結構残ってますね。
とはいっても、コロナ明け後にはいつの間にか解体されて徐々に虫食いのような空き地が増えて来ておりますが...(^^;)ハハハ。
この辺りもかなりの狭小エリアが続いており、火災等が発生したことを考慮すると行政側もなかなか頭が痛いところですね。
通りに面したところから建て替えは進んでいて、表側は昭和が無くなり平成に様変わりしてますが、場所によってはこのようにまさに平成と昭和の境目がはっきりしているところに出くわします(笑)
貧民窟と寺社の繫がりは江戸時代からよく話に聞きますが、鮫河橋貧民窟の地域にもけっこうな寺社が点在してます。
この観音坂の左には真成院、蓮乗院、右には信壽院に服部半蔵が開基した西念寺の敷地が広がります。
お゛おっ!?と思ったのがこのクランク状の路地に何の気なしに入り込んで行ったときですね。
またどこに連れて行かれるのか解らない狭小エリアの路地を進んだ先には、行き止まりに御覧のような祠が!?
扉も傾いているし、もうだれもお世話していないんだろうなぁ〜という感じでした。
行き止まりに祠!?というのにビックリしたんですが、いわれてみれば古くからの貧民窟と祠って関連性高いですよね。
まだ多少なりとも貧民窟の残滓が残っているとこういう祠も残っているんだろうけど、鮫河橋はほとんどその形跡が無くなっているんで、ひょっとしたらこの祠は辛うじて残っている遺構なのかもしれません。
ホントかどうかわかりませんが...(^^;)ハハハ。
今回行くべきか?素通りすべきか??悩んだんですが、目的がブレると思いスルーしてしまったのが須賀神社。
あの大ブームを巻き起こした『君の名は』の舞台の一つにもなった聖地ですよね。
記録としてはアニメの聖地として残しておいてもよかったかなぁ〜と今になって後悔してます...(^^;)ハハハ。
円通寺坂の道標が見えるまでにすでにユルい坂を登ってきたんですが、この坂の入口辺りからは左右ともにほぼ狭小エリアは無くなり、なかなかアップタウンな雰囲気が戻って来ます。
円通寺坂を登り切ったところは新宿通りの津之守坂入口交差点。
新宿通りの北側はまた高台から荒木町の谷底に向かう坂が続く、毎度お馴染みの荒木町散策のコースなります。
今回は丸ノ内線四谷三丁目駅から新宿三丁目にでて、副都心線乗換で池袋に帰宅でございます。
冒頭にも触れましたが、今回はあくまでこのホープ軒でワンタンメンを食すのがメインの朝ン歩で、鮫河橋散策はあくまで事前のロケハン程度の予定だったんですが、朝ン歩を始めるといつものテンションになってしまい、結局がっつりと道中の狭小エリアをすべてローラー作戦で踏破するということになってしまいました...(^^;)ハハハ。
秋になって涼しくなったら、今度はおさらいしに来ようかな(笑)