思い立ってはカメラをブラ下げブラり徘徊が趣味となってしまったここ数年。
先日、雑誌『東京人』の10月号を見ていたら、特集が「東京暗渠散歩」ということでして、しかも池袋発神田川行きの暗渠があると知り、これは行かないわけには行きますまイッ!!というコトに相成りましてございます...(^^;)ハハハ。
暗渠といえば、この夏ハァ〜ハァ〜しながら千川から後楽まで辿った谷端川も暗渠でしたね。
ということで、この暗渠散歩もシリーズ名を後付けで付けることにしました。
名付けて『東京暗歩』!
ということで、後付けで先日の谷端川を第一弾ということにして、今回は第二弾!!
どこを辿るかというと、かの美久仁小路の地下から湧き出したせせらぎが、水窪川となって、神田川に注ぎ込んでいたそうなのです。
Wikipediaでもまだまだ情報足らずな状態にもかかわらず、暗渠マニアの中では初心者向きというコトでメジャーな暗渠なようです。
がっ!?初心者が感覚だけで踏破出来るような甘いモノではございません。
しかし、世の中便利になりました...(遠い目)。
先達が素晴らしいマップを用意していらっしゃってます。
このGoogleマップでは都内神田川水系の暗渠ルートが網羅されており、その中の水窪川のルートを今回は辿ることにいたしました。
そんな水窪川の痕跡を辿るお写ン歩のお供は、じゃじゃ馬度がヒドいLeica M9-P。
一日も早く飼い慣らすためにも、最近常に持ち歩いてます...(^^;)ハハハ。
夜明け間もない10月最終週の6時過ぎ、家を出て先ず目指すは東口グリーン大通り脇の『美久仁小路』。
何度もご紹介したことのある、こちらの横丁『美久仁小路』。
まさか、こんな飲み屋街に川の水源があるなんて?
そもそもそんな暗渠の謂れとかそんなんどこにもなかったよね??
その水源がどぉ〜やらこの辺りらしく......。
そういえば、何年も前から空き地のまま放って置かれているけど、地権のトラブルとかじゃなくて水回りがどうしたこうしたとかなんだろか?
まぁ〜この美久仁小路の地下から水が湧き出てせせらぎを作って南下していったという想像に頭を膨らませて、ルート散策を開始ですっ!!
美久仁小路を出てからは首都高5号池袋線方面に向かいます。
首都高を越えるとこの辺りも暗渠だったとはっ!?
見覚えのある光景はキッチン南海東池袋店。
コロナ禍で外食が減ったんで、ほぼほぼ訪れる機会が無くなっちゃいましたが、また南海のフライを頬張りたいモノです...(遠い目)。
東京福祉大を越えるとこの辺も見覚えのありすぎる光景。
東池袋駅からサンシャインに向かう時は大抵通りますよね、な日出町公園。
いちおう水窪川の名残を模しているのか、川の流れを描いてます。
先の串カツ田中脇の路地あたりから、暗渠っぽい景色になっていきます。
こういう細くて蛇行している道って大抵は川の名残ですよね。
すると突然現れたのが、ひょっとしてあのっ!?
と一気にテンションが上がったんですが、お目当ての広場ではなく『日光広場』と命名されておりました。
防火水槽上に置かれた謎の構築物。何故日光?
この水窪川暗渠にはこういうちょっとしたスペースの辻広場が点在しているとのことです。
またしばらく道の流れに身を任せ♪
すると都電荒川線の踏切が現れるので、踏切を越えていきます。
この辺りは東池袋5丁目30番地。
ネコ歩きで東池袋あたりもブラブラするとはいえ、このあたりに足を踏み入れたのは初めてですねぇ。
この細い暗渠を進んでいくと、ついに出会えましたっ!?!?
チョートク翁やブラぱち仲間の写真をみて、いつか行ってみたいと思っていた『富士山広場』!!
なんでしょ、この異世界感に満ち溢れながらもなぜか周囲に溶け込んで違和感を解消しているようにも思える佇まい...(^^;)ハハハ。
一瞬鳥居かと思いましたが、多分これ玄関の枠ですよね?
ちなみに脇の消火器の上によく猫さんが佇んでいらっしゃるようです。
が、この日は猫の仔一匹もいらっしゃいませんでした...(T^T)涙。
広場の名前にもなっている富士山のモニュメント、というか金網(笑)
確かこの広場に水窪川の碑があるはずなんですが、全然みあたらないっ!?
と探し回っていたら、ありましたっ!?富士山の右の青木ヶ原樹海の中に埋もれております...(^^;)ハハハ。
こんなに草が生い茂っていたらそらぁ〜みつからんわ(笑)
しかも、この水窪川の碑から川の流れのように設計されてるんですね??
ちなみにちゃんとした正面で撮るとこんな風に、
昔ここに小さな川が流れていた
後世にコレを伝える
1986年
と彫られています。なんかじわぁ〜っと泣けてきます...(T^T)涙。
そんな水窪川の碑から流れでた水窪川は、
やっぱり富士山広場を抜け出ることなく、ここで暗渠になるんですね。やっぱりなんだか泣けてくる...(T^T)涙。
そして広場の中のこの辺りは、もはやキッチンにダイニングですよね...(^^;)ハハハ。いぃ〜わぁ〜〜このなんともいえない存在感。
こういう存在に、ボクもなりたひ...(遠い目)。
そして、その昔チョートク翁がコロッケ囓りながら原稿書きをしていたという、伝説のワークスタイリングオフィススペース。
チョートク翁ってば、いまの働き方改革&テレワーク時代を四半世紀以上先取りしていたのではなかろうか?
そんな富士山広場の向かいには今にも朽ち果てそうな木造家屋があったり、この一角はボクにとっては最強のエリアですね!!
富士山広場とも出会えたんで、テンションMAXでもういいかな?と頭をよぎりましたが、気を取り直して進みます!!
この辺りは水窪川が流れていたからなのか、暗渠沿いにはこのような共同井戸がまだ存在します。
やたらと川幅が狭くなり、ここ行けンのか?とビクビクしながら進みます(笑)
すると、こんな狭くて高いところに勝手口のある住居があったり。
いつか絶対転がり落ちそうですよね?(笑)
この辺りが『東京人10月号』の表紙を飾ったポイント。ところどころに『つづら折りあり』の標識があり、暗渠らしさを増幅しております。
進行方向右側に緑が増えてきたなぁ〜と思いながら歩いていると右側には文京区立大塚坂下町公園という公園になっているようです。
白い壁に蔦の緑と悪戯のペイント赤でなかなかアーチスティックになっている一般家屋の壁があったり。
宅地造成も極まれり!?な、これ無理在りすぎじゃ無い?とLEGOのような建売住宅が出現したり(笑)
この辺りはなかなか愉しませてくれます(笑)
すると左側が開けており、こちらの広場は『ポポー広場』というそうです。
これまでの日光広場、富士山広場と違ってこちらは現代のお役所仕事でしっかり作られた感じですね(笑)
ここの井戸はなんかマシンっぽくて格好いい。
ポポー広場を越えると川幅が広くなり始めます。
やはりこの道は川筋なんで、左右は高台になりますね。
玄関に通じる階段がなかなかの風情を醸し出していらっしゃいます。
チョイと広めの坂下通りを越えて、また暗渠な小径に入り込んでいきます。
道筋の角に共同井戸。
この辺りは文京区大塚五丁目19番地。
旧町名は大塚坂下町といったそうです。
ちょっと進むと右側は石塀が続きます。
この右側はもう護国寺の敷地なんですね。
苔生した石塀を撮ってみたら、なんか先の方にピントが合っちゃいました...(^^;)ハハハ。
あの広い道路はなんだったんだろ?不忍通りでいいのかな?
直進できずに広い道を横断歩道を経由してまたルートに戻ると、今度はT字路でいきどまりっ!?
ということで、今回はここ護国寺周辺までということで、次回は護国寺から終点神田川までをご紹介いたしますっ!!