年末年始にシステムの切替、新システムリリースがあったため今回の年末年始は緊急事態宣言下では無かったものの早々に帰省は諦め、都内で過ごすと決めていたのです。
とはいえ、御尊父様御母堂様も年々お歳を召していらっしゃるため、ちょっとくらいは顔を出しておこうかと、みんなよりも一足早めに年末年始休暇を開始した12月28日、日帰り弾丸帰省を敢行したのでございます!!
我が家は関東平野の北の果て、北関東はグンマーの太田市なので池袋からはとりあえず北千住に出て、北千住から東武伊勢崎線(最近はスカイツリーラインというそうですが、ふざけんなっ!という元地元住民の心の叫び)りょうもう号で太田に向かうということになります。
そんな途中の北千住でりょうもう号の時間までちょっと時間があったんで、駅前を散策。
線路沿いの横丁は前から気にはなってたんですが......
途中途中にこのように裏側に抜ける通路があり、裏側に行ったことなかったンですよねぇ。
そんな時空を越える通路を抜けると目の前に広がる光景!?
まさにボクが大好物な横丁の光景が広がっているのです!!
北千住なのに『銀座』という床屋さんがあったり。
ヘアスタイルの写真の中に何故かマッチョが紛れ込んでいたり、これはしっかりと観察しないとイケない物件なんですが、なにせ時間がありません...(^^;)ハハハ。
ポスターに塗れた物件が佇んでいたりと、とにかく時間をかけて歩かないとイケない横丁発見ですっ!!
ここはしっかり時間を取って再訪しないわけには行きますまイッ!
と心に誓って後にしたのでございました。
定刻通り北千住駅からりょうもう号で太田へ!
嗚呼、これぞ我が北関東の光景です。
西高東低の冬の時期は赤城山のからっ風で、西から東へからっ風が吹き荒び、雲はスイスイと西から東へと流れていきます。
北関東の北の果てなんで、平野部は穀倉地帯その先は山々で日本海側と太平洋側を遮っております。
途中、足利市駅からの車窓から、渡良瀬川に架かる想い出の詰まった中橋。
そんなこんなしているうちに太田到着。
この太田駅前も寂れ果てたと思いきや、まだ果てておらず歯抜けになりながらもまだ辛うじて生きております...(^^;)ハハハ。
ボクが上京するまではこんな名称では無かったですけど、実は太田にもゴールデン街があるのですっ!?(笑)
でも生きているのは数軒の飲み屋だけなんですけどね...(^^;)ハハハ。
昭和レトロなホーロー看板を纏って、なんとか雰囲気を醸し出してございます。
そんなゴールデン街の歯抜けになったところから垣間見られる駅前の太田市立美術館・図書館の唯一現代的な建物が逆にシュールです。
昔ながらの駅前商店街も辛うじて数軒だけが生き残ってるんですが、なかでもこちらの写真屋さんは今時貴重ですよねぇ。
外からショーウィンドウを眺めてみるとHASSELBLADが置かれてました。
これ何十年ここに置かれてるんだろうか?
こちらは帰省する度についに潰れたかっ!?と生存確認をしにくるうなぎの名店野沢屋本店さん。
嗚呼、ついに潰れたかとこの佇まいで確信したんですがっ!?
これでもまだ営業を続けているようです。
ってか、お店の看板が模造紙に手書きって...(^^;)ハハハ。
でも、味は相変わらず一級品なようなので、もしももしも太田へ出向く奇特な方がいらっしゃいましたが、この外観でもお店はやってるようなので、是非野沢屋本店さんのうなぎの蒲焼きを御所望下さい。
味は絶品ですっ!
実家でちょっとゆっくりして、お昼は館林の平野屋支店さんへ!
今回の帰省はここに行きたいからと言っても過言ではないのです(笑)
こちらはまた別エントリーで。
平野屋支店で満足した後は多々良沼へ。
ボクが上京するまではただの汚い沼で、白鳥なんて全然飛来していなかったんですが、十数年前くらいからいつしか白鳥が飛来して越冬する有名どころになってたんですよね。
今年もけっこう飛来していたようで、野鳥屋さんなカメラマンがこの通り、バズーカを並べて決定的瞬間を待ち続けておりました。
ちなみに沼の縁の茶色の塊は鴨の群れです。
その奧を白鳥の夫婦と子供二匹の四匹の親子がスイスイと通り過ぎていきました。
がっ!?ものの10分ほどの出来事でしたがなにも風を遮るものが無い中からっ風に吹き荒ばれて、耳が取れるかと思うほどの寒さの中、さすがにこれ以上耐えられず、帰りは館林駅まで送ってもらい、池袋への帰路についてのでございました。