思春期真っ盛りの桃尻少年だった頃、ニコニコしている老夫婦が出てくるCM、チャーミーグリーンのCMがなぜか好きだった。
結婚どころか、まだまともな恋愛にもほど遠く、家族では無い女性と一緒に暮らすことなどただただやりたがりな桃色少年のおバカな脳味噌では見当もつかないお年頃だったにも関わらず、ボクはこのCMを観ながら日々『ボクはこういう夫婦になるのだっ!ムフゥ〜ッ!!』と人生の間の肝心なところのイメージトレーニングを通り越して、ほぼ最終形だけは脳裏に焼き付けていたのである。
以来、いまだにボクの夫婦の理想型はこのチャーミーグリーンのお爺ちゃんとお婆ちゃんなのである。
このCMから30年近く経ち、ボクもそれなりの恋愛をして、社会に出て、うちの相方さんと出会い、結婚して今に至るワケではあるが、バカな頃に一足飛びに通り越していた、チャーミーグリーンになるまでの過程をどぉ〜したモノかという点では当時も今もあまり変わっていない。
手探り半分、余り考えても仕方が無い半分人生というモノは斯くも難しいモノなのである。
しかも、赤の他人同士が共に歩む人生となるとなおさらである。
先日、ネット記事をスクラップしているEvernoteの中の『ネタ』のノートブックを見ていたら、こんな記事を発見した。
87年という大ベテランの老夫婦からのアドバイスである。
- 私たちは結婚する前から親友で、共に成長してきました。友だちというのは一生続きます。私たちの結婚生活が生涯に渡って続いたのはそのせいでしょう。
- 結婚は競い合うものでもなければ、点を稼ぐようなものでもありません。神様は、勝つために2人を同じチームに入れたのです。
- 意見が合わなくてもいいという考えには同意しましょう。本当に大事なことのために喧嘩をしましょう。壊すことではなく、折れることを学びましょう。
- 私たちの結婚生活には隠しごとはありませんでした。お互いと家族のために必要なことをただやってきただけです。
- 尊重し、支え合い、コミュニケーションを取りましょう。素直に、誠実に、心を尽くしましょう。心から愛し合いましょう。
最初の『結婚前からの親友で、ともに成長してきました』というところは、出会いの過程の話なんで万人向けではないものの、『友だちというのは一生続きます』ということは一理ある。
『友だちのような夫婦』というのはボクの両親もそうだが、赤の他人が同じ空間と時間を過ごすという結婚生活においてお互いを尊重するという意味ではベターな関係だと思うのだ。
べったりと親密な恋人関係でもなく、家族のような特にナンの努力も無しにどこかで繋がっているという腐れ縁でもなく、個々のプライベート空間を認め合える『友だち』関係というモノは大切なキーワードである。
『意見があわなくてもいいという考えには同意しましょう』というのも真理である。
若い頃、結婚を前にいろいろ悩むときに必ず脳裏に浮かぶのは『二人の価値観』という点である。
今付き合っている彼女との価値観。趣味からはじまり、モノの考え方、優先順位...etc。この価値観が合わないと上手くいかないという強迫観念に駆られて、諸々と細かいことが気になり出すととてもじゃないが結婚なんて出来ない。
ボクもそぉ〜だったが、どっかの時点でフト思ったのだ。
『所詮赤の他人、違う環境で育ってきて、そうそうなにからなにまで共感出来るわけが無い』と。
むしろ、違っていて当たり前。自分には無い彼女の違うところを受け入れて楽しめれば、楽しみも二倍になるでは無いかと。
なので、うちの相方さんと付き合いだした頃は結婚に至るまでになんら悩むところはなかった。『一緒にいたいから』というだけで結婚したよぉ〜なモンである。
以来、ボクは受け入れ受け入れの日々が続いている…(^^;)ハハハ。
でも、それが無理矢理我慢しているならやめた方がいいのだろうが、それはそれで面白いと感じる質なんでいぃ〜のである。
それを『負けた』と感じることも無い。『競い合うものでもなければ、点を稼ぐようなものでもない』からである。
非常にごくごく自然な振る舞いであるが、どこかに無理が生じるとそこから凝りのような障害が生まれて少しづつずれていくのだろう。
それもまた人間同士なんで仕方がない。
その時はその時、二人にとって最適な解を二人で導けばいいのではないかと軽く考えてしまうボクは甘いのだろうか?