現在も作品を書き続けている現役作家の中でも、作家買いするほど好きな作家はそうそういなくなってきたが、森見登美彦はその中の一人である。
森見登美彦は『文体』の作家だと思っている。
文体の妙が、彼独特の少々時代がかった台詞回しをより生き生きとさせる。
以前、『エッセイは文体』である。と書いたことがあるが、小説もやはり文体である。
しかし、時として独特の文体は読者にとって作者が描く物語に没入することを邪魔する場合がある。
そういう意味では、作者の文体と自分の感覚が合うかどうかということは読書という行為の中で、非常に重要なファクターなのだ。
この森見登美彦の文体の場合は物語はとても面白いのに、文体が独特であるが故に読者を選んでしまうタイプかもしれない。
朝日新聞出版 (2013-05-21)
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本書、『聖なる怠け者の冒険』はまさに森見登美彦の描く物語の中でも王道中の王道である。
なにもしない主人公。
奇妙な変人・怪人の数々。
リア充な友人。
まっすぐだけど少々ずれているテッテケテーな少女。
狸。
京都のお祭り。
街を挙げての大鬼ごっこ大会。
デビュー作の『太陽の塔』、『四畳半神話体系』、『有頂天家族』、『夜は短し歩けよ乙女』と京の街を舞台装置に繰り広げられる現世と常世が微妙に重なる摩訶不思議な世界観。
そして、バタフライ効果のようにちょっとした蝶の羽ばたきが、巡り巡って京の街を覆い尽くすような大騒動といったプロットはマンネリかもしれないが、いちばん森見登美彦の特長を活かせる物語である。
本作も期待を全く外さない。
そして、魅力的な台詞回しの数々。
僕は断固として僕の休日を守り抜くんだ。怠けるためならなんでもする。
この頑丈な「怠惰への意志」に、我々は高貴なる怠け者の姿を見なければならない。
若いうちに遊んでおかなかった人間というものは、歳をとってからヘンな汁が出てくるのです。男汁は若いうちに出し切っておかねば、ワタクシのようにステキなおっさんにはなれません。
内なる怠け者は眠れる獅子である。咆哮するかわりにあくびをする。南の島のヴァカンスを、不要不急の鉄道の旅を、終わらない夏休みを夢見る。寄り道で時間を棒に振り、今日できることを明日に投げ、へんてこな酒で酔っぱらい、ところかまわず寝てしまう。
「井の中の蛙大海を知らず、されど天の高さを知るという
あくびとは内なる怠け者たちの咆哮である。
今回も存分に森見ワールドを堪能した。
秋の京都旅行の街巡りもまだ記憶の中にあり、よぉ〜やく森見ワールドの世界と現実の京の街のイメージを繋ぎ合わせながら世界観を共有できた感がある。
京都好きにはたまらない物語。
是非、常世と現世が繋がる妖しの京の街を多くの人に堪能して欲しい。