都内に居た頃は、公共の顧客先への挨拶回りというと年始挨拶が一大イベントでしたが、こちらでは年始というよりも年度初めの挨拶が一大イベントなのでございます。
そんなこんなで、4月の年度明け早々は北陸三県を行ったり来たり。社用車移動で挨拶回りの日々が続くのです。
この日は朝から石川県を巡り、午後は福井入り。
ということで、ご挨拶がてら桜が咲き誇る『福井城址』でお花見なのです(笑)
結城秀康の福井城
なんと贅沢なことに、福井県庁は福井城址の内堀の中に鎮座ましましてござるのですっ!
そぉ~いえば、ちょっと昔金沢城跡の中に金沢大学があったりと北陸は廃藩置県とともに旧藩の遺産を行政財として転用してますなぁ~。
御本城橋から見上げた石垣の桜。多分、この日北陸各地はソメイヨシノの満開を迎えました。
福井県庁の脇には、北ノ庄入封後に結城姓から松平姓になった徳川家康の次男坊、結城秀康公の像が鎮座ましましてございます。
その後、越前松平家は幕末の賢公の一人、松平春嶽公まで歴史の一躍を担うワケで、近畿・北陸における親藩の要だったんでしょぉ~なぁ~。
御堀端に咲く桜は見事でした。
この日、石川県は薄曇りだったのに、福井はご覧のとおりの晴天だったし。空の青と桜の薄桃色のコントラストが映えますなぁ~。
と、桜の咲き誇りっぷりを十分堪能した後は、お昼時間に喰い逃した昼飯をどこで喰おぉ~かと、県庁から駅前商店街の方に向かうのです。
柴田勝家の北ノ庄城
商店街には福井というか越前所縁の歴史上の人物がちらほら。
まずは、織田軍団北陸方面軍司令官柴田勝家公と悲劇のヒロインお市の方。
さらには越前松平藩を反映に導いた、結城秀康公&松平忠昌。
以前この辺をぶらりとした時には新田義貞とかもいたよぉ~な...。
このガレリア元町をまっすぐ進むと大通りに突き当たり、突然空が開けているスペースがあるのです。
パッと見、なんだ?神社か??程度なんですが、
ここがなんとっ!?柴田勝家ならびにお市の方が最期を迎えたという北ノ庄城の跡地であるとっ!?!?
これはボクの勝手な勘違いなんですけど、過去秀吉モノのドラマとか映画で見た記憶としては、賤ヶ岳の戦いで敗れた柴田勝家が北ノ庄城で切腹して果てるシーンでは、北ノ庄城ってもっと山間のイメージだったんですよ。
それが、今ではこんな町中の平城だったとはっ!?
平城に九重もの天守を設けたということは、柴田勝家が越前の地を平定した際には、ほぼ国侍や土豪といった地侍勢力は一掃されていたってことなんでしょねぇ~。
南の近畿方面は織田軍団が制圧してるし、当面の敵である越後の上杉までの間は越中佐々成正もいるし、加賀能登の前田利家も寄旗でいるし、北ノ庄の地は平城に壮大な天守を設けて威勢を示すことがなにより大事だったということでしょうか?
徐々にではありますが、発掘も進んでいるようで、転勤当初にこの辺をぶらりとした時よりも遺構が増えてます。
こちらはお堀の後だとか。
お堀の石垣らしきモンも大分掘り進められて、見える箇所が増えてます。
パッと見は石が転がってるだけですが、北ノ庄城の石垣の遺構なんだそぉ~です。
当然のことながら、柴田勝家公も鎮座ましましてございます。
槍を持った勝家公らしい出で立ち。
精悍な顔で睨みつけてます。
北ノ庄城跡と併設する柴田公園の案内図です。
北ノ庄城といえば、柴田勝家公とならんで有名なのが、終の棲家とここで最期を遂げた織田信長の妹、お市の方。
戦国のヒロインの筆頭ではないでしょか?
柴田勝家、お市の方となると当然、浅野長政の忘れ形見である戦国を終わらせた重要人物の三姉妹、茶々、初、江もいらっしゃいます。
写真の並びで言うと、左が茶々、真ん中は江、右が初ということだそぉ~です。
柴田勝家公の霊験あらたかな瓶割祈願などというものもあるようです(笑)
しかし、戦国の世から天下統一の流れに適用できずに、羽柴秀吉に敗れたとはいえ、織田家中随一の剛の者らしい面構えの勝家公でございます。
いろんなところが掘り返されつつある北ノ庄城跡です。
また、この北ノ庄城跡は柴田神社でもありまして、お稲荷様も鎮守としてましましてございまず。
こちらでも、家内安全、健康長寿を祈願して、昼飯を探しに北ノ庄城跡を後にしたのでございました。