『いつかはLeica』
元ネタは1983年。昭和30〜40年代には懐かしいトヨタの高級セダン、クラウンのCMで使われたキャッチコピー『いつかはクラウン』だ。
高度成長期ほどではないにしろ、まだ現在よりも『昨日より今日、今日より明日、明日より明後日』と頑張れば未来が開けるという夢が持てた時代である。
車には全然興味を持たない人生を送っていたボクではあるが、いつからカメラは『いつかはLeica』と思うようになったのだろう?
2年弱前からカメラに興味を持つまで、これといってカメラに執着してきた人生ではないのだ。
自分自身意識的にカメラを持ったのは、中学の頃。
写真好きな親父さんのCanonの一眼レフを借りて、修学旅行に持ち出したのが初めての経験である。
このCanonのカメラがなんだったのか思い出せないのが悔しい。いわゆるクロームの金属カメラで中坊にはかなりの負担を強いる重量。
ファインダーを覗くとアナログな指針が振れ、そこに丸い円を合わせて露出を決める。
多分思い返すと、この丸い円は絞りを合わせていたのだろうか?となるとシャッタースピード優先のAE機である可能性がある。
となるとこの時代的にはAE-1かA-1あたりが該当するはず。NEW F-1ではないはずだ。
しかし、今となっては親爺様の手元にはとっくになくなっているんで、このCanonのカメラがなんであったか決め手を欠いたままである...(^^;)ハハハ。
そんな中坊がタダでさえ重い金属カメラのボディに、標準、広角、望遠の3本のレンズをリュックに背負い持ち歩いたもんだから、『一眼レフカメラは重い』、『一眼レフカメラは大きい』、『一眼レフカメラは面倒くさい』と一眼レフカメラにあまり良い印象を持たなくなったのも致し方ないのである。
そんなカメラへのトラウマがあったため、高校に入り『写ルンです』が発売されると衝撃を受けた。
ポケットに入れておいても気にならない軽さとその速射性。露出もピントも関係ないキッチュなガジェットにより写真の手軽さを知ったのは写ルンですのおかげである。
でも、だからといってカメラにハマるということもなくその後気がつくと30年近く経ってしまうわけではあるが、不思議と心の内にはなぜか『いつかはLeica』という思いをずっと抱いていたのである。
ボクはどこでLeicaの存在を意識したのだろうか?
カメラを記憶の隅っこにおいて過ごしてきた30年間にカメラの情報を積極的に追い求めていたわけでもなく、記念写真用の写ルンです、APSカメラ、デジカメ以外に本格的にカメラを物色してきた記憶も無い。
それでもボクがカメラに対して抱くイメージは四角くて、角が丸く、一眼レフの中央に聳えるペンタプリズムの三角帽子などない、スッキリとしたカメラだったのだ。
カメラに意識が向かうまでの10数年はAppleのガジェットに夢中だった。そんなボクが目にしたのが2010年のiPhone4のプレス発表の際のスティーブ・ジョブズの一言。
『新しいiPhone 4は、クラシック・ライカのように優美で美しい』
この頃、Apple製品に夢中過ぎてAppleに足を向けて寝られないほどであったボクは、おそらくこの一言で改めて記憶の底のLeicaを掘り起こしたはずである。
どこで初めてLeicaに出会ったかはいまだに解らないが、今に繋がるキッカケはジョブズのこの一言だったに違いない。
この時に改めてLeicaを検索して、その四角と丸というiPhoneのデザインにも繋がるアイコンに魅せられたはずである。
「はずである」というのは、その記憶がないからで...(^^;)ハハハ。
親父さんのCanon一眼レフカメラとの出会いから30年経って、ついにカメラに触手を伸ばしたときに明確な選択肢となって改めて認識した『四角いカメラ』というイメージ。
手持ちの予算でなんとか三角帽がない四角いカメラということで、初めて選んだカメラはOLYMPUSのPEN-Fだったのである。
その後は本ブログのエントリーでもご紹介の通り、この30年間を取り戻すかのようにボクは遅まきながらにカメラに夢中である。
『いつかはLeica』も思っていた以上に早く辿り着く。
写真を撮る実用機としてのLeicaに夢中になるとともに、ボクはLeicaを取り巻く情報の方がむしろ収集の対象となったりもする元来の文字フェチも十分発揮しており、90年代〜00年代に流行ったいわゆるライカ本といわれる類の書籍を読み漁り、書籍だけでは飽き足らず、当時のカメラ雑誌にまで手を付ける始末...(^^;)ハハハ。
まるで同時代の空気をともにできなかった自分を取り戻すかのような懐古趣味に走っている。
そんなことをしているうちに、情報を見聞きしては懐古趣味なクラシックカメラや現在のデジカメに手を出すうちにどのカメラでなにを撮れば良いのか自分でも解らなくなり、メインシステムをLeicaに絞り今に至る。『いまではLeica』である(笑)
Leicaのなにがいいのか?と問われても正直明確な答えはない。
どうひいき目にみても、カメラとしての実用性という観点では、国内メーカーのいまのデジカメの方が便利であることは明確だ。
コスパなんてものを引き合いに出したら、Leicaなんぞはとてもじゃないけど太刀打ちできないコスパの悪さである...(^^;)ハハハ。
強いていうなら、ブランドとしての満足感はあるだろう。でも昔の名前で出ていますというだけではないのがLeicaの魅力である。
大量生産在りきの設計である現在のカメラと違った、工芸品的な丁寧なボディの作りであったり、Leicaらしいと言われる各種レンズの写り。
万民が認める解りやすい機能的な尺度ではなく、それに魅力を感じる人だけが深く沼に足を踏み入れる魔界の魅力。
Leicaというカメラは、手にした人それぞれが違ったところに魅力を感じ、それに深く愛着が沸くという実用機というよりもキャラクター的な魅力を持つ希有なカメラなのではないだろうか。