これまでお写ン歩エントリーで何度も登場していながら、全然紹介していなかったLeica M9-P。
いつもだったら、手にした時のテンションのまにまに早速アップしていたのに、なかなかエントリーを書かなかったのには多少の気持ちの変化があったのです。
おそらく今年の振り返りでは真っ先に取り上げることになるだろう、コロナ禍による生活環境・習慣の変化。
その中の一つとして本エントリーに繋がる変化はうちの小春さんを連れての朝のお写ン歩が上げられる。
コロナ前まではボクの出番は週末限定だった朝のお散歩が、毎日の日課となったのだ。当然片手にはカメラである。
となると必然的に写真を撮る機会が増えたわけで、それまでは効率的に目にした光景や街の猫を捕るためにAFのデジカメがなにより便利だったのだ。「猫にはデジカメ」である。
それが、毎日その機会を持てるとなるとなにもパシャパシャ撮りまくる必然性というモノが無くなってくる。ちょっと気持ちに余裕ができたというか、気がつくと先日のエントリーのようにマニュアルフォーカスのヘンタイデジカメEpson R-D1sやフィルムカメラのKONICA HEXAR RFを持ち出す機会が増えてきた。
そんなまだ暑さも残る秋口にYouTubeのお気に入りチャンネル『Makirina ch』でまきりなさんが語っていた『不便益なカメラ』の話がものすごくストンと腑に落ちてしまったのだ。
ちなみに『不便益』とは不便益研究所の定義によると以下の通り。
不・便益ではありません。不便の益 (benefit of inconvenience) です。
不便で良かったこと、ありませんか?
便利とは,手間がかからず,頭を使わなくても良いことだとします. そうすると,不便で良かった事や,不便じゃなくちゃダメなことが,色々と見えてきます.
不便であるが故に良かったこと。それが『不便・益』。
昨今のカメラは瞳に追従できる瞳AFを初め、もうこれ以上便利にはならないのでは無かろうか?という位に便利機能がてんこ盛り。
人間のやることは被写体にカメラを向けてシャッターボタンを押すだけで、ダレでもそれなりの写真が撮れてしまう今日この頃。
そんなに写真を撮りに行く機会がない状況であれば、それはそれで便利だが、でもそれってカメラに撮らされてませんかね?という気がしないでも無く。
カメラとの一体感とか、機械を操作する歓び、自分的にはもう少し露出アンダーだと思うンだけど?とかいうシーンでカメラが設定する露出ではなく、自分で露出を決めて撮った時の歓び、そんな機械とのコミュニケーションの機会が、最新鋭のカメラでは失われているのではあるまいか?
という気持ちが日に日に増していき、もう2年前に手放したデジタルLeicaがまた気になりだしたのが初秋の頃合い。
ちょうど夏から秋にかけては週に2、3本くらいフィルムを消費しており、気がつくと財布が軽いっ!?
フィルムカメラって撮ってるときと仕上がりを見るときはテンション上がるんだけど、撮った後にお店に現像を頼みにいく行為と仕上がったネガの管理やらデジタル画像の管理やらが正直溜まるとめんどくさい...(^^;)ハハハ。
ならR-D1Sがあるではないかっ!?とそちらも併用していたモノの、やっぱりレンズを選ぶときにフルサイズで50mmだから、R-D1SはAPS-Cだから1.5倍して75mmかとかいちいち換算しながらチョイスするのも面倒くさいのね。
そんなこんななタイミングが重なり、あまり沼にハマらなかった今年最後にお迎えしたのがこちら!
Leica M9-P。
2年前、もぉ〜デジタルLeicaはいらないっ!!とLeica M TYP240を手放したわけだが、再びデジタルLeicaを手にするキッカケは前述の通り。
ではなに故いまさら9年も前の2011年に発売されたLeica M9-Pなのかというと、これ以降に発売されたLeica M TYP240を初め、現在のM10に至るまでデジタルLeicaに失われてしまったその外観!
ちなみに正面から見ると、従来のフィルムLeicaと変わらない佇まいには現在のMシリーズには失われてしまったモノが存在するのだっ!!
それはこのファインダーの左にあるブライトフレームの採光窓!!
M9シリーズまではアナログな採光窓から光を取り込んでブライトフレームを映し出していたのが、この後のTYP240からがLEDに変わってしまったことによりM3以来のフロントマスクのデザインが変更されたのだ。
なので、この採光窓が無くなりなんか顔がのっぺりしてしまった印象だったのがTYP240にハマりきらなかった理由の一つ。
やはりLeicaのM型には距離計窓、採光窓、ファインダーの3つが並んでいて欲しいオールドスクールな爺なのでございます(笑)
さらにはPの場合はあのM6以来フロントに堂々と恥とも思わずのさばる例の赤い丸も無いのがよろし!
個人的にはこの赤い丸の有る無しはかなりポイントなのである。
軍艦部はもう装置的にはデジタルLeicaでシャッタースピードダイアルとシャッターボタン・電源スイッチにホットシューをいうシンプル極まりない配置なのは同様。
でもボタンもナニも無い軍艦部左側にはM9-PならではのLeicaロゴでスペースが埋められている。
ここがTYP240はPでは無かったんでナニもなく、のっぺりが過ぎてデザイン的に気に入らなかった点の一つ。
一世代前のM9では現行機のM10よりはまだ幅広ではあるモノの、M TYP240のようななんでこんなに分厚いんだっけ?と首を傾げざるを得ないほどの厚みも無く、左右の手のひらでホールドした時の一体感たるやボディケースを付けたフィルムLeica程度の厚みで一体感がより増し増しなのである。
ちなみにこのホットシューに突いているサムレストは委託品に付いていたモノである。
コレがよりホールドした時の安定感を増してくれるし、サムレスト自身にもアクセサリシューが付いているので、ここに外付けファインダーも付けられる優れモンのサムレスト。
それ以外は背面液晶がサファイアガラスに変わっていたりするモノの、これに関してはほぼ意味ない。
というのもこのM9-Pの背面液晶はほぼ使いモノにならないといってもイイ出来で、低解像度故に色味は全く参考にならず、ピントがどうこうといえる解像度を有しておらず...(^^;)ハハハ。
露出具合と大雑把な構図を確認するくらいしか能が無いので、見なくてもいいくらい(笑)
逆に言うとハナから背面液晶が突いていないM-Dシリーズ並の使い心地なのだ。
メニューも深々と階層式ではなく必要最低限のモノだけ設定すればいぃ感じ。
インフォメーションもバッテリーチェックに使うくらい。
というのもバッテリーの残量が50%あってもシャッター切れないケースが多々発生する。なので半日程度の撮影であっても予備バッテリーは2つくらい持っていった方がいいくらい...(^^;)ハハハ。
そんなあちこち不便さが纏わり付くLeica M9-Pを何故手にしたのか?
ひとえに不便益なカメラが一番馴染むからといってもいいかもしれない。
それに今はもはや中古カメラにしか無いCCDセンサーという孤高の存在であること。ナニも今さらガッチガチバキバキの今風デジカメ画像を量産したいわけでもなく、フィルムの代わりにのんびりアナログっぽい写真が撮れればいいのである。
ということもあり、リバーサルフィルムっぽさを醸し出すCCDセンサーのカメラを大事に大事に使っていくのが性に合っていそうだというコト。
幸いなことに手にした委託品のこのM9-Pは腐食対応後のセンサーに交換済みということもあり、まだしばらくは遊べそうだったというコト。
手にしてからホントに交換済みなのか?と疑いの念を隠しきれず、サービスメニューを呼び出すコマンドで確認したところ、確かにCCDの番号は換装品の番号だったので、安心して使用継続である...(^^;)ハハハ。
とはいえLeicaというカメラはなかなか特殊なカメラで、万人に勧められるモノでは無いと思っている。
今でも購入するまではハイブランドだし、所有する歓びもこれ以上ないものであろうとテンションMAXに跳ね上がるのだが、手に取って街に繰り出すトタンにただそこにあるモノという感覚に成り下がるというか、ただ手に馴染む機械を連れ出す、一つの道具として共にあるというかそういう位置付けになるとても不思議なガジェットであるという印象が強い。
なので、手にした歓びのままハァ〜ハァ〜とレビュー記事をアップすることも無く、棚に置かれたこいつを手に取り朝の散歩に出かけるというただの習慣の中に位置付けられてしまっているため、なかなか本気のエントリーをアップする機会が無かったということなのだ。
これはボクがようやくLeicaに慣れだしたというコトなんだろうか?
性能を考えれば猫カメラのSony α7Ⅱの方が全然扱いやすいし、面倒な目に遭うことはほぼ無い。
それに比べてこのM9-PはMFだし、ダイナミックレンジ狭すぎるんで、光量の明るい・暗いに引っ張られて晴れの日の光と影のある場所はとても扱いづらいし...(^^;)ハハハ。
でも、影になって潰れて見える部分もLightroomで現像して露出やハイライト、シャドーを弄るとちゃんと潰れずに細部まで細かく写ってるんだよね!?
Lightroomのレバーを動かして、黒い影のなかからディテールが崩れること無く浮かびあがってくる瞬間は魔法にかかったような瞬間である。
とまぁ〜不便であることは間違いないカメラではありますが、にも関わらずどのカメラよりも手に馴染み、気負わずにそこに置いてあるカメラを持ち出すというくらいに日常的なコミュニケーションを交わせる数少ないカメラではあります。
でも、万人にはお勧めしません(笑)