年明けの荻窪、荻外荘通りで無事に東西南北23区エリアの街道を踏破したかと思いきやっ!?
その先にはまだ多摩エリアが残っていた偽『東京いい道、しぶい道』シリーズ!!
ということで、完全制覇に向けて今一度褌を締め直して池袋から昔懐かしき三鷹駅へ向かいます。
ちなみにこの日のお供はLeica CLにLeica Elmarit TL f2.8/18mm ASPHのプライムキットの組み合わせで。
なんか街ブラには手間無く最適な感じがする今日この頃...(^^;)ハハハ。
1970年代の頃は、久我山を過ぎた三鷹の牟礼のあたりから、ケヤキの屋敷林が目に付く武蔵野らしい街道風景になったはずだが、近頃はかなり先の方まで行かないと野趣に富んだ景色は眺められない。三鷹からバスで野崎まで行って、武蔵境通りの交差点の所から散歩を開始した。
と本書に書かれているのでまずは池袋から埼京線と中央線で三鷹駅へ向かったモノの......。
三鷹といえば、その昔3年間ほどお隣の吉祥寺に職場がありまして、すっかり黒歴史として記憶の奥底に仕舞い込んでいるのですが、当時のうっすらとした三鷹駅周辺の記憶をサルベージするには、田舎では無いモノのでもなんとなくもっさりしたイメージだったんですが、あれから四半世紀、駅周辺はすっかり変わってバス乗り場を見つけるのに苦労いたしました...(^^;)ハハハ。
結局場所がわからず、小田急バス窓口の方にお聞きしてなんとか辿り着いた『鷹56』のバス停。
三鷹駅南口バス停から10分ほどで野崎バス停に到着です。
バス停がある武蔵境通りとの交差点のところが今回のスタート地点でございます。
まもなく右手に寿交通をいうタクシーの営業所がある
の通り、さっそく見えてきたのが寿交通。
ここの運転手募集看板の呼び文句がなかなかいいということで、本文中では
「迷っているならタクシーです。タクシーで、人生大逆転!」
と、まぁなんとも勢いだけの誘い文句でしたが、今は若干論理的にお誘いしているようで(笑)
「都民1400万人 三鷹・武蔵野に34万人のお客様がいるから 寿は大丈夫!」...(^^;)ハハハ。
最近建て替わったマンションの門前に「吉野家(名主の家)跡地」と記載されたプレートが出ていた
この写真にある茅葺き屋根の名主の家は現在は小金井の江戸東京たてもの園に移築されているようです。
その先には人見街道名物ともいえるケヤキ並木がちょっと続きます。
本書では吉野家名主の家のプレートの紹介文の後に、
ここから何軒か「吉野」の表札を掲げた立派なお屋敷が並ぶ。
とあるように、確かに吉野さんちが続くのです。
この漆喰の瓦屋根付の古式ゆかしき吉野さんやら、
今風な門構えのやたらと敷地面積がありそうな吉野さん。
さらにはなにかの事務所兼みたいな合理的な作りの吉野さんちと、まぁ〜元の名主の家はマンションに建て替わったとはいえ、一体財産分与してもまだ各戸ごとに膨大な敷地を持てる吉野家っていったい!?
という江戸名主の財力の底力を感じさせられるのでした...(^^;)ハハハ。
途中、武蔵野の広い大地を突き進む送電線。
そういえば、武蔵野を貫く送電線の鉄塔の本を昔読んでいたことを突然思い出す。
いつの日か、送電線を追いかけて鉄塔を写真におさめるお写ン歩をしようと心に誓ったのでございました。
天文台通りと交差する手前辺りにケヤキの巨木が集まっているが、かつては延々とケヤキの枝葉がトンネルのように続いて、昼でも薄暗かったことから「暗闇街道」の別称もあったという。
今となっては左右ともに随分間引かれちゃってますが、鬱蒼と茂っていたら確かにトンネルみたいになりそうな道幅ですねぇ。
そうこうしているうちに天文台通りに差しかかりました。
天文台通りを越えると町名は大沢、屋敷の表札も吉野から別の家に変わる。
とはいえ他人の表札には興味が沸きませんが、こういう歴史遺産には目が向いてしまいます。
こういう平屋の文化住宅。ちょっと前まではまだ区画ごと何棟も現存してたりしましたが、今となっては一棟残ってるくらいに減ってしまいましたね。
今思うと結構合理的な間取りなような気がするんだけど。リノベーションして売り出したりしないかねぇ。
ケヤキ並木は途切れたけど、やがて前方になつかしい格好の鉄塔が見えてきた。いただきの三角屋根の下に鐘を取りつけて、素朴な展望台を設えたこのタイプの鐘楼、・・・<中略>・・・昭和初期のもので、三鷹市の有形文化財に指定されているらしい。
今回のランドマークとして一番期待していたのがこの火の見やぐらだったのですが、三鷹の有形文化財に指定されていると書かれているにもかかわらず、どこにも見当たらないし、このご案内にすら記載されていないっ!?
どゆことっ!?!?
せっかくの撮影ポイントをそのまま見過ごして通り過ぎてしまうのは忍びないので、Google先生に聞いてみたところなんとっ!?
2018年の頃には取り壊されてしまっていたとのこと...(T0T)涙。
市の有形文化財くらいだと維持管理の予算も付かずに取り壊されてしまうんですね...(; ;)ハラリ。
鐘楼(火の見やぐら)の背後に広がる緑はICU(国際基督教大学)キャンパスの森。
そんな幻の火の見やぐらの跡地を通り過ぎて、ICUの南門を通りかかります。
ゴジラ気分の鐘楼の先で、人見街道はずっと並行してきた東八道路を横断、南方の野川の低地へ下っていく。
の通り、東八道路を横断した先の人見街道はゆっくりと傾斜して下っていきます。
武蔵野台地を下っていくと、台地との高低差はこのような切り通しに。
切り通しの先で左方へ枝分かれする旧道に外れると、野川の岸にぶつかった所から川づたいに緑地が続いている。
切り通しを抜けたところには『ほたるの里』と大きな看板が掲げられておりました。
この先は左の旧道を降りていきます。
すると目の前に開けてきた光景は、ここって一体?
と目の前の景色が一瞬信じられないような長閑な空間が広がっているのです!?
川というよりもまさに農村の小川というのが相応しい野川。
川の中でなにやら作業をしているオジサンがいらっしゃいました。
寒かろうに、冷たかろうに...(^^;)ハハハ。
多摩地域とはいえまだまだ都心部に近い三鷹にこんな長閑な場所が残っているとは。
しばらくは人見街道から外れて、この野川の長閑な里を散策ですが、それは後編に続きます(笑)
【35 新緑の三鷹ケヤキ道・・・人見街道(前編)】
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