そんなこんなで、前回に続き今回も祖師谷通りの途中から始まる偽『東京いい道、しぶい道』でございます。
まずは、小田急線祖師ヶ谷大蔵駅北口から!
工事のフェンスで近づけないんでiPhone XS MAXのカメラでデジタルズームで撮った北口駅前に屹立する初代ウルトラマンですが、こうしてみるとホント奇跡のような惚れ惚れする造形美ですよね。
まさに現代の菩薩の化身かのような。
やっぱりシンプルの極のような初代ウルトラマンがスキですね。
小学校の頃はショートパンツな赤パンの帰ってきたウルトラマンが一番好きだったんですが(笑)
そんなウルトラマンとお別れして、再び祖師谷通りを北上します。
この辺りはよぉ〜やく駅前の商店街といった感じですね。
一つ目の停留所がある瀬戸物屋の前で駅の方からやって来るバスを待って撮影。
こちらで泉氏はコミュニティバスを撮影しているんですが、時刻表を見る限りすぐには来なさそうなので、スルーします。
この道を歩いていればどっかでバスが通り過ぎるのを期待しましょ!
とんねるずの木梨憲武の実家、と本人も明かして有名になった自転車屋の「木梨サイクル」もシャレたウッディー調の外観を見せながら建っていた。
すると、かの日本一ポピュラーな自転車屋さん木梨サイクルが見えて来ましたっ!?
とんねるずがTVで暴れていたまさにその世代なので、いつかは木梨サイクルを詣でてみたいと思ってましたが、実際に詣でることは無く...(^^;)ハハハ。
まさか、こんな機会で訪れることになるとは人生わからないモノでございます(笑)
看板のロゴのデザインがいぃ〜ですねぇ。
ノリさんがデザインしたのかな??
2階はお茶屋さんと雑貨屋さんになっているようですね。
いつの間にやら多角経営?(笑)
その先、公社の祖師谷住宅も昭和30年代初期に建設された古参の集合住宅である。
見えてきたのがこちらの団地っ!?
なにやらボクの嗅覚が大好物な物件が見えてきましたっ\(^O^)/
いやぁ〜今となっては世田谷のいぃ〜ところにかなりの敷地な昭和な団地でございます。
所々侘び寂びも入って、いぃ〜感じで草臥れております。
何棟も建っている祖師谷住宅ですが、パッと見た感じ1/3も居住者埋まってないんじゃ無いかな?もったいない。
先日深夜まで雨だったんで日の当たらないところのアスファルトはまだ湿っております。
この暗くて湿度感高めなのも雰囲気を割りましてますねぇ〜。
Leica M9-PのCCDセンサーのコッテリな色味・コントラストがいぃ〜仕事してるなぁ〜。
たまにこういう一枚が撮れるんで、Leica M9-Pってたまらないんですよねぇ...(^^;)ハハハ。
そしてこの手の昭和な団地に来ると、こういう構図で撮ってみたくなるのです。
ひょっとしてこの四角い暗がりから誰か覗いてないかな?とか不可思議なものが写り込んでないかな?と期待して撮るんですが、これまでそのようなものが写り込んだ試しがありません...(^^;)ハハハ。
そんな祖師谷住宅を後にして、再び祖師谷通りを北上して行きます。
するとナンの前触れも無く急に開けたかと思ったら、なんとこんなところに畑がっ!?
キャベツですかね?世田谷の住宅地のど真ん中な雰囲気の中で、まだ頑張る農家さんがいらっしゃるんですね?
といってもそんな大きな農地でもないンで、昔の名残でちょっとだけ続けていらっしゃるんでしょうか?
この日の朝はけっこう冷え込んでいたんで、なんと霜で土が盛り上がっておりました。
駅から1キロくらい歩いてきた塚戸小学校の交差点の所でウルトラマン商店街は終わり(こちらにも飛行スタイルの模型を掲げたゲートがある)、
前方には同じ進行方向に飛び立つウルトラマン。
ウルトラマン商店街の終点を示す北側のウルトラマンゲートです。
南ゲートは帰ってきたウルトラマンことショートパンツな赤パンウルトラマンジャックでしたが、北ゲートは赤い股引な初代ウルトラマンなんですね!
ついに長い長いウルトラマン商店街ともお別れです。
ってか、ホント商店街にしては見るもん少なかったな...(^^;)ハハハ。
ウルトラマンゲートを越えてこの塚戸十字路の交差点を渡ると、行政上の道路名も祖師谷通りから千歳通りに変わるとのこと。
ということで、道は繋がっていますがここからは祖師谷通りから千歳通りに名前が変わります。
左手に東京テラスという、一見広尾のガーデンヒルズを思わせる、ゆったりとした敷地の大型マンション群があって、
う゛わっ!?早朝に優雅なコモレビ大蔵の佇まいを拝見したところで、こちらはホント今風な下世話な威圧感を感じます...(^^;)ハハハ。
この敷地周辺だけはこのように歩道も妙におハイソに整備されて、ますますなんか嫌みな感じ?(笑)
マツコデラックスが弄る勘違い世田谷マダムが多く生息してそうな雰囲気です...(^^;)ハハハ。
そんな下世話な大規模住宅東京テラスの玄関口がこちら。
右手に目を向けると家並みの間にチラッと球形のガスタンクが垣間見える。
と本書では書かれてましたが、注意深く右手を観察しながら歩いていると、よぉ〜やくこんな感じでマンションの合間からチラッと薄緑の丸いヤツが見えてきました。
粕谷(廻沢)の東京ガス製圧所。薄緑色のこのタイプは練馬の谷原にあるのと同じで、戦後郊外の田園地帯にいくつか設置された。
いやぁ〜テンション上がりますっ!!
谷原のガスタンクも見に行きたかったんですよ。
真っ青な青に薄緑のタンクがよく映えます。
なぜかこの薄緑の丸いガスタンクって強く記憶に残ってるんですよね。
でも、実家の周囲には無かったはずで、父の実家の近所だったのか、従兄弟の家の近くだったのか。
小学校の頃によく見ていた光景が思い浮かぶんですよね。
ガスタンクの奧は芦花公園。
ということで、まさに東京ガスの敷地の北側にはこちらも広大な敷地の芦花公園。
敷地内を散策する時間は無いので、通り際からパ写リ。
その入り口の芦花恒春園前のバス停が置かれた二股の辻の所に、屋根付きの地蔵尊が祀られている。
まさに二股の辻。そのせいか左も右も道幅が狭く大型車が通ると二方向ではかなり通過が厳しいようで、妙な渋滞が発生しております...(^^;)ハハハ。
粕谷村地蔵尊ー元禄時代の築らしいが、この二股は左へ行くと千歳烏山を越えて三鷹の牟礼へ、右はくねくねと大宮八幡あたりまで続いていく古道の分岐点なのだ。
こちらの地蔵尊、元禄の時代に築かれたということで。
元禄時代というと1688年から1700年。320〜330年くらい前ということですかね。
300年も前の世田谷ともなると、田畑だらけになっていればいい方な気がしますが。
右手に進路を取ると、やがて世田谷文学館がある。
当然のことながらまだ開館前の時間帯なので...(^^;)ハハハ。
この日の企画展は「坊ちゃん」の時代や孤独のグルメの作者で2017年に亡くなられた谷口ジローの『描く人 谷口ジロー』展と、『セタブン大コレクション展ふかくこの生を愛すべし』が開催されてました。
この世田谷文学館の隣の武家屋敷風の門や塀を残した立派な御屋敷、いまはベネッセの老人ホームになっているようだが、もとは斜め向かいにオフィスがあるウテナ化粧品の創業者のお宅だったと聞く。
まさに御屋敷といった感じの御門でございます。
庶民には縁の無い佇まい...(^^;)ハハハ。
この芦花翠風亭と世田谷文学館の敷地は繋がっているような感じで、間にこのような池と水路が流れています。
ここは風情があっていぃ〜感じですね。是非とも翠風亭の中からこの池を眺めてみたいモノでございます。
千歳通り沿いの翠風亭の土塀。
なんか金沢の武家屋敷を思い起こす風情でございますが、こちらをさらに北上です。
いまは成城石井などを含めたマンション群になっている一帯が広大な工場だったのだ。その時代からと思しき、「ウテナ前」という素朴な名前のバス停が立っている。
本書にも書かれてますが、たしかに小学生の頃『お子様クリーム』という子供向けクリームを冬のからっ風の激しい乾燥した時期に使用していたような気がします。
でも、ちょっとでもませたガキはニベアとかを誇らしげに持ってきて、大人のクリームを自慢げに塗りたくっていた記憶が(笑)
ということで、本書の中ではこちらの小田急バスウテナ前バス停がゴールとなります。
が、我が家への帰路につくためにさらに北上して行きます。
すると京王線芦花公園駅が見えてまいりました。
こちらで今回のゴールとさせていただきます。
今回は前編の日本特撮の聖地から、怪獣にコワされる薄緑のガスタンク、元禄の昔から辻を見守るお地蔵さんとなかなか印象に残る場所がいぃ〜按配に配置されてました。
がっ!?道中ほとんどの距離を占めるウルトラマン商店街の魅力の薄さが気になりました。ウルトラマンゲート以外になんも印象に残るモンなかったですもんね...(^^;)ハハハ。
【32 ウルトラの道を往く(2)・・・祖師谷通り・千歳通り】
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