2019年の夏。
10代後半から20代前半にかけて読み耽った泉麻人を思い出し、久々にたまたま目にした『東京いい道、しぶい道』。
その中に近所の道である『トキワ通り・坂下通り』があったモンだから、ちとお写ン歩してみっか!
とほぼほぼ思いつきで始まった偽『東京いい道、しぶい道』。
いったいいつまで続くモノか?と我ながら疑心暗鬼で始めたモノの、途中コロナ禍での緊急事態宣言もあり長々と中断していた時期もありましたが、この度およそ三年をかけましてついに最終回でございますっ!?
コロナが徐々に落ち着くとともに多摩エリアに入ったわけですが、それもラストでございます。
今回のお供はLeica CLにLeica Elmarit TL f2.8/18mm ASPH。
実はポケットにフィルムカメラのRicoh GR1sも忍ばせていたんですが、久々の遠出のお写ン歩でハァ〜ハァ〜し過ぎてその存在をすっかり忘れて、ラストなのにフィルムで撮れませんでした...(T0T)号泣。
まずは池袋から埼京線で新宿へ。
新宿からは中央線快速で三鷹に出ます。多摩エリアは出発地点までこのルートが多いですねぇ。
なんか三鷹駅北口って初めて降りた気がしますが、南口と違ってやたらと落ち着いてるんですね。
駅舎も昭和モダンな感じで。
三鷹の北口から武蔵野大学行の関東バスに乗る。
と、本書にあるように三鷹駅北口からはバスで今回の鈴木街道のスタート地点に向かいます。
下車した関東バスのバス停は武蔵野大学前。
そういえば、今年の春から親戚の誰かが武蔵野大学通うとかいってた気がするんだけど......誰だったっけ?
そんな武蔵野大学前バス停で降りるやいなや、スタート地点に向かうボクの足を止めたのが、バス停真ん前の謎のお店?
なかなかステキな見所満載のお店でございます。
いったいなんのお店なんだろ?
主旨が変わってしまうんで、写真はこれ一枚だけ載せますが、実はここだけで5分ほど写真を撮りまくっておりました...(^^;)ハハハ。
バス停の道は五日市街道なので、大学側を通る鈴木街道へは歩道橋を渡ります。
歩道橋から眺める武蔵野大学正門。
一方通行の入り口に「鈴木街道」と表示板が出ている。
大学前の道には『鈴木街道』。
ぱっと見、やはり鈴木さんの道?というくらい街道の名前としては奇妙というか。
そういえば、『鈴木』といえば『佐藤』に次ぐ多さの苗字だと思いますが、我が人生を振り返るに小中高大の同級生や近所の友だち、社会人になってからの同僚先輩上司を振り返っても、なぜか身近に『鈴木』さんて3人くらいしか見当たらないなぁ。
ボクには『鈴木』さんとは縁がないのだろうか?
あ゛っ!?幼稚園の時の初恋の子が鈴木さんだったっ!?そのことは小2の時に結婚の約束をしていたのだっ!?!?
道の右手にはしばらく大学の万年塀が続く。
なんて、ボクの鈴木話はどぉ〜でも良く、御覧の通り今回の鈴木街道はこれまでの名のあるいい道、名の知れぬしぶい道の中でも格段にしぶい道になりそぉ〜な予感...(^^;)ハハハ。
そして、最初の広い道との交差点手前に魚屋と八百屋が並んでいる。
この魚屋さんは創業明治33年という老舗中の老舗!?
でもすでにかなり前に閉業しているようで......。
本書では隣の八百屋さんが、八百屋なのにおもちゃがズラリと並んでいるという記載があるんですが、いつもながら早朝散歩なのでまだ開店前で、その模様はうかがえませんでした...(T^T)涙。
保谷八百屋のところが武蔵境通りで、この通りを渡ると、
歩いていくと、左手に植木屋が並ぶようになってきた。
白い粉雪をまぶしたようなプンゲンスという針葉樹とは、この写真の一番手前の木のことかな?
たしかにクリスマスツリーに雪をまぶしたような感じでございます。
こちらは平井園という植木屋で、こちらもけっこうな敷地を持っていらっしゃるんですが、このような植木屋さんが鈴木街道の両側に、この付近だけではなく結局の所今回のゴール地点の方まで点在するのです。
恐るべし鈴木街道!?否、植木屋街道!!
そのうち、右前方に巨大な箱型のマンションが見えてきた。住居棟とサミットやコジマなどのショッピング施設、公園を融合したこの一帯はヴィーガーデン西東京といって、全身は広大な農地か・・・・・・と思ったら、石川島播磨のジェットエンジン部門の工場だった所で、さらにそれ以前は中島飛行機の工場が存在したらしい。戦時下の多摩東部は軍事工場の拠点でもあったのだ。
ちょっと多摩地区の空が広くのんびりした雰囲気とは異なる違和感を醸し出すヴィーガーデン西東京。
元を正せば石川島播磨、さらにその前は中島飛行機の工場と、ボクの現在の職場が石川島播磨の御城下の豊洲、生まれ育った実家の太田市は戦後は富士重工、戦中までは中島飛行機の城下町と、なにやら因縁を感じます。
と勝手にいま思いつきました(笑)
そんなヴィーガーデン西東京の反対側にはこのような今風な宅地エリアもあり、この辺はこの街道の中でも一番最近になって開発された感じですね。
このあたりで多摩湖へ続く自転車道と交差、長らくこの道は付かず離れずって感じで、並走する。
ここが鈴木街道と多摩湖まで続く自転車道の交差地点で、左側が鈴木街道、右側が自転車道です。
本書でも書かれている通り、この後もちょっと右側を見るとこの自転車道が垣間見られる感じです(笑)
やがて左方向に小金井公園の森が垣間見えてくる。
向台町五丁目の交差点を左に向くと、こんもりと小金井公園の森が見えてきました。
ちょっと進むと街道ぞいの住宅地の奧はしばらくは小金井公園という状況が続きます。
ちょっと脇路地に入っていくと小金井公園の森。
広大な敷地には鬱蒼と木々が茂り、森林気分を味わえます。
こういう自然は普段暮らす都市部にはない環境ですねぇ。
左手に小金井公園森を感じつつ、右手にはところどころに植木屋さん(笑)
こちらの植木屋さんには大きな鯉のぼりがそよいでおりました。
ほんと、どこもかしこもうらやましぃ〜くらいに敷地が広いんですよねぇ。
思いのほか交通量が多い鈴木街道、にも関わらず歩道らしきゾーンもこの辺りはなく、気をつけながら歩を進めます。
ってか、ほんとしぶすぎる...(^^;)ハハハ。
そんなこんなしていると石神井川なんかみえてきました!?
こんなところ流れてるんですねぇ。たしか、王子駅の辺りも流れていたような?
沿道に見つけた美容院の扉に描かれた、ちょっとエキゾチックな女性のイラストが目に残った。
と書かれていた美容院はどうやら『ジュジュ』という美容院のようです。
いうほどエキゾチックでもないような...(^^;)ハハハ。
西東京市と武蔵野市、小金井市、さらにその先の小平市と、市境のような地域を西進していくこの街道、小平市の花小金井駅近くの市街に入ると、街灯に「せいぶ通り」の表示が並ぶようになる。
そんなエキゾチックなイラストを過ぎると、なぜかしばらくは『せいぶ通り』との表示板が続きます。
この辺は鈴木街道の商店街のエリアなんですかね?
パスタ系のファミレスが建つ小金井街道との交差点に、鈴木町と揚げられている。そう、鈴木街道のもとはやはり鈴木という町だったのだ。
ということで、やはり鈴木街道は鈴木さんの道でございましたっ!?
まぁ、トヨタのある豊田市には規模は及びませんが、こちらは歴史があるようでございます。それは後ほど。
武蔵野の地には鉄塔が似合います。
やはり高い建物がなく、空は広いからですかねぇ。
いつかは鉄塔を辿って歩いてみたいなぁ〜という野望を胸に秘めているのですが、一体いつになることでしょう(笑)
この辺は道も整備されて、車道とはっきり区別された歩道も付いているが、横道の入り口に<この先 行き止まり>の表示板が目につく。これは昔の地図と照らし合わせるとよくわかるが、街道沿いに集まった農家が裏の畑まで敷いた農道の名残なのだ。
ということで、このような『行き止まり』の表示を発見っ!?
もう一つ、豪農が敷地を切り売りして分譲したような、平屋の集合住宅も多い。昭和30年代のマンガに出てくるような、素朴な佇まいの家がけっこうあるから、街道ぞいは割と古くに宅地化されたのだろう。
ホントにこの手の木造集合住宅が点在しているのです。昭和の残滓を求めて街を徘徊している身としてはなかなかの光景が広がります。
実は先ほどの集合住宅よりも手前にあった、こちらの方が趣深いんですけどね。
いまだにアトリエとして使われているようだったり。
池袋周辺のこの手の住宅だとほぼ廃屋と化しているんですが、この鈴木街道沿いの木造平屋住宅は2/3くらいはまだ暮らしていらっしゃるようで、生活感を感じられるのがすごいです。
そんな中にこんな鳩舎もあったり。
これはレース鳩ですかね?
そういえば、小学生の頃レース鳩0777に夢中になっており、レース鳩が買いたくてもそうもいかず、巣から落ちていた山鳩の雛を親父殿が拾ってきて、山鳩をレース鳩のつもりで育てた記憶を思い起こしたのでした...(遠い目)。
成長して山に放したんだけど、やっぱり帰巣本能なのかよく実家の庭先の木に戻って来ていたなぁ〜。
そんな鳩舎の先にも木造平屋住宅のエリアが。
ここはけっこうな個数がおそらく建築時のまま取り壊されることなく残ってますね。
なかなかの増築具合なお宅もありまして(笑)
新小金井街道の交差点を過ぎると、道の両側にこんもりとした木立ちが見える。右側の森の中に建つのが宝寿院で、この一帯の鈴木新田を開発した鈴木利左衛門の家の菩提寺。
そろそろゴールが見えてきましたっ!
手前にフェンスに囲われた、鈴木家専用の墓所もある。
専用の墓所があるって、やっぱり鈴木家ってすごい家ですよね。
こちらが宝寿院の本堂。
なかなか綺麗なのは建て直したんですかね。
そんな鈴木町に繋がる街道の名前にまでなっている鈴木さん、一体なにをやった方かというと江戸時代にこの辺一帯の新田開発をされた鈴木利左衛門さんが大元のようです。
享保というと享保の改革、暴れん坊将軍の時代ですね。
そして、向かい側も鈴木稲荷神社という、まさにこの鈴木の地のお稲荷さんで、こちらは本殿を覆う白壁土蔵の一角にユニークな動物の鏝絵が刻み込まれている。
なかなか村の鎮守的な雰囲気の参道を入っていきます。
神殿の参道には、昭和12年築の小さな石橋が架かっていて、このあたりは水も枯れず澄んだ小川が流れている。
境内に入る手前の所にホント小さな石橋が架かっています(笑)
こちらが本殿。
どうしてなのか、錯覚なのか、勝手に『神社』のイメージに脳が騙されているのか、大抵の神社でもそうですが、神社の境内って空気が澄んでる気がしませんか?
こちらもそれほど木が茂っているわけでは無いのに、なんか結界内が新鮮な空気に満ちている感じがしてきます。
この鈴木稲荷神社の見所は本殿奧のこの土蔵造りの覆屋の鏝絵。
「西面には象、北面と南面には狐の親子が描かれていますが、西面の象はライオンのような長い尻尾やたてがみ、鉤爪をもつなど、象の実物を知らず、伝統的な日本画の手本などに従って描かれたと思われる・・・・・・」
と説明書きで書かれているので、実際に眺めてみましょう!
まずは南面。
こちらに描かれているのは狐の親子とのこと。
そして西面には例の象。
なんで西は象なんですかね?天竺は西方浄土だから?
でも、ここはお稲荷さんですもんね?なんでだろ。
ちなみに鏝絵そのものではいまいち解りづらいンで、先ほどの説明書きの絵を参照して下さい。
この絵を見る限りだとそんなに象から離れてはいないと思うンだけど...(^^;)ハハハ。
そして北面には南面同様に狐の親子が描かれています。
そんな神社の前の薄暗い木立ちの下に、官舎前というバス停が立っていた。ちょっと奧に防衛省の宿舎があるようだが、ただの官舎前って呼び名は、昔の田舎のバス停っぽくてなつかしい。この鬱蒼とした木陰の停留所の雰囲気も、どことなくトトロのバス待ちのシーンを思わせる。
この本書に書かれた光景が残っていれば、最後の〆に良かったんですが、残念なことに鈴木稲荷神社の鈴木街道沿いの樹木はすべて伐採されて、現在は再開発に向けて更地化が進んでしまっています...(T^T)涙。
なので、現在はトトロのバス待ちのシーンなんぞ望むべくもなく、コランの通り、端に寄せられてとりあえず設えた感満載の官舎前バス停の光景でございます...(^^;)ハハハ。
官舎前バス停からは立川バスでJR国分寺駅まで。
国分寺からは中央線で新宿、そして埼京線で池袋へを帰路についたのでございました。
そんなこんななほぼ5kmくらいの行程の鈴木街道。
最後の最後に一番しぶい道を持ってきやがったなっ!という感じですが、武蔵野の光景を満喫しつつ、やはり個人的にはいまだに現役で残っている木造平屋住宅が点在しているのが武蔵野の懐の深さだなと。
そして、3年間にわたり39本の街道を踏破してきたこの偽『東京いい道、しぶい道』シリーズもついに完結でございます!!
長のご愛顧ありがとうございましたm(._.)m
当初はこんなに真面目に最初から最後まで全部歩くことになるとは思っていなかったんですが、この思いつき企画で知らない街道を訪ねて歩くことの歓びを教えてもらったなぁ〜と思います。
おまけにあとがきで泉麻人氏は、なんとあの文京区と豊島区の区境の坂、日無坂・富士見坂のことも触れており、やはりなにかと縁を感じざるを得ないのです(笑)
【39 へー、こんな街道があるのだ・・・鈴木街道】
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