今年のGWに購入した東京都写真美術館の年間パスポート。
今年は都写美に通うのだっ!という心意気をこの一枚のカード購入に込めたモノの、年4回無料で入場出来る企画展もすでに半分消化してしまっており、今回で3回目。
ヲイヲイまだ今年度上半期も終わってないのにダイジョブか?というくらい都写美に限らず今年は様々な写真展に足を向けているわけですが、
今回はこちら!
都写美入り口前の大パネルの一枚である『パリ市庁舎前のキス』が有名なロベール・ドアノーの展覧会。
ドアノーだけではなく、日本の写真家である本橋成一氏との『交差する物語』というテーマで開催されております。
こちらはまだひと月くらい、9/24まで開催のようです。
それと、こちらも興味があった『風景論以後』。
日頃、街中の気になるモノをスナップして歩いている身としては広義の風景の捉え方というモノも気になるところでございます。
ということで入館したんですが、全然チェックしてなかったこちらの『何が見える?』の展示も気になり、まずは上のフロアから攻めようと3Fに向かったのでございます(笑)
都写美のコレクションとかは年間パスポートがあれば無料で見られるンですよね。有料企画展の回数消化の範囲外で観られます。
ちなみにこちらの展示は撮影可能でした。
どうやらカメラの歴史のような展示だったようで、カメラ機材の沼に漬かりがちな身としては、写真の展示に限らずこういうハードウェア面の展示も興味津々です(笑)
こちらはカメラの始祖ともいえるカメラ・オブスクラ。
ここから歴史が始まったんですねぇ...(遠い目)。
とともに、これまでは絵画を観る、相手を見るという行為であったところに、「覗き観る」という行為が加わったとのことです。
初期の機材は写真機として独立したモノではなく、あくまで絵画の補助装置、もしくは新たな絵画の手法の一つのように捉えられていたようで、例えばこのピープショーという装置では、平面の絵の切り抜きを距離を置いて重ねることで遠近感を出し、それをレンズを通して見ることで立体感を味わえるというモノだったようです。
一瞬、昔TVで見ていた猫目小僧の手法もこれか?と思ったんですが、それよりも今もメタバースの技術の一つとして、ヘッドマウントディスプレイで同じようなことを試してますね。
基本的なところは現在にもちゃんと繋がっているんだなぁ〜と思えた瞬間です(笑)
こちらはキノーラと呼ばれる装置。
この少し前の装置ではクランクを回してパラパラと写真を回転させて動きを表現しているんですが、キノーラではその回転を電子的に処理しており、まるで現在のフィルム映画に通じるような表現を出来るようになってました。
機材オタクな面が発出してしまい、思いのほか長いこと見て回っていた『何が見える?』でしたが、いよいよメインの2F展示室の『本橋成一とロベール・ドアノー 交差する物語』です!
今回は展示開始すぐに観に来ることなく、まずはネットで図録を注文して内容をよく把握してから展示を観てみるということを試してみました。
なにぶん写真の歴史に関してはまだまだど素人なので、自分自身に蓄積された知識が足りないのでまずは図録で基本情報を抑えておくことで、展示内容のメリハリやキュレーションの意味合いがより把握しやすかったように思います。
フランスと日本。時間も場所も違うところで写真を撮り続けてきたロベール・ドアノーと本橋成一。
そんな二人がなぜか同じようなモノや場面をモチーフに写真に納めていくことで、今回のような交差する物語が生まれたんだろうなぁ〜と思います。
特に3つ目の展示スペース、『第三章 街・劇場・広場』をテーマに展示されている空間はこれまでの白色を基調とした空間と打って違って全面緋色の世界に包まれる中、最初はロベール・ドアノーの作品が並び、途中から本橋成一の作品に切り替わって行くんですが、気をつけて観ていないと二人の切り替わりが解らないくらい、それくらい二人の個々の物語がいつの間にか一つの流れのようにここで交差する瞬間を味わえました。
このキュレーションは随分検討を重ねたんだろうなぁ〜と。
申し訳ないですが、以前もちょっと苦言めいたことを書いてしまいましたが、メディアに躍らされて押しかけている若人は、渋谷のソール・ライター展を観に行くくらいなら、都写美のこの『交差する物語』を観るべきだと思います(笑)
人混みの隙間から小さな写真を眺めるようなこともなく、落ち着いてちゃんと作品と対峙出来るので。
ちなみにこちらの展示は撮影禁止です...(^^;)ハハハ。
ということで、『何が見える?』に『交差する物語』とだいぶ満足な展示が続いて、けっこうもう満足度が高まってたんですが、こちらも気になっていたのでB1の『風景論以後』へ。
1970年の時点でこのように感じられていた日本の街並みですが、現在の街並みを見られたらどのように感じられるのだろうか?
均質化された風景どころか、効率化優先の高架橋に付随する駅舎、田んぼの真ん中に大きな敷地のイオン、駅前商店街はどこもかしこもシャッター街。
街そのものが大量生産の工業製品の様に同じモノとして見られてしまうのではないだろうか?などと感じさせられるところからのスタートでした...(^^;)ハハハ。
結論から言ってしまうと正直この展示は期待していたモノとちょっと毛色が違ったかな?という感想です。
『風景とはなにか?』という命題は各時代時代で捉え方も違ってくると思うんですよね。
その捉え方の背景にはその時代の社会性や切り取った本人の思想も反映されるだろうし。
そういう意味では1970年代という時代は、1972年の連合赤軍事件の発覚で急速に萎んでいくにしろ、まだ大きな物語が存在していた時代で、その大きな物語を抱えながら全否定された自我をどこに求めるべきか?
と、社会も個人も自己批判に向かうか、真逆の方向に舵を切るかという背景があったのは否めないと思うんです。
なので、今現在1970年代の思想的な部分をリアルに体験していないボクらがこの情報をどう処理するか?に関しては意識的にその時代の知識をバックボーンとして持ち得ないと、なかなか素直に感じられないんじゃないかな?
などと珍しく面倒くさいことを考えてしまった展示でございました...(^^;)ハハハ。
ということで、展示内容に関しては思った以上に満足してしまったボクは、すっかり財布の紐が緩んでしまい2Fのミュージアムショップで大人買い...(^^;)ハハハ。
本橋成一氏の『昭和芸能東西』、『炭鉱』、『築地魚河岸ひとの街』をお迎えしてしまいました。
どれももうどこを探しても見ることの出来ない風景ですね。
今回の展示絡みでは、いろいろとリーフレットやら展示の作品リストをもらってきたのでそれを挟むロベール・ドアノーのクリアファイルに『風景論以後』のカタログ。
真ん中の『交差する物語』は以前ネットで予め購入していた図録です。
展示も戦利品にも満足して、2Fのミュージアムショップのところから都写美の裏口を出ると、正面に赤い玉っ!?
思わず何あれ??とシャッターを切ってしまいましたが、Facebookにアップしたところ、友人が日の出自動車教習所だよと教えてくれました。
日の丸てそのままじゃん!もう一捻りしてほしかったなぁ...(^^;)ハハハ。