夏真っ盛りだった今年の8月はなぜか『再開発』というキーワードに神経質なほどなのだ。
先日の立石の呑んべ横丁もたまたま気になって訪問したところ、その翌月の8月末には撤去作業が始まったという。
以来、毎週末のようにこの三年間のお写ン歩生活の中で見知った昭和遺産をまだ取り壊されていないか?と訪問して廻ることが続いている。
それとともに偶然見知った過去に気になっていたとある事件。
というか、あからさまに言ってしまうと1997年3月に発生した『東電OL殺人事件』であるが、この事件現場がいまだにそのまま残っていると知り、これはしぶや百軒店界隈の生存確認がてら訪問しておいた方がいいのではないか?と早朝の渋谷に出向いたお盆の夏......
そもそもなぜ東電OL殺人事件がいまだに喉に小骨が刺さったかのように気になるかというと、結果えん罪事件だったということよりも、何故高学歴高収入なエリート女性社員が夜な夜な円山町の道端で客引きをし、何故殺されなければならなかったのか?という部分がえん罪審議で時間が経ってしまったが故に、結局真犯人不明の未解決事件で終わってしまっているからである。
そもそもこの事件に当時から注目していたのか?というとそういうワケではない。
おそらく1997年3月以降、マスコミをはじめ大騒ぎをしていたはずだが、当時ニュースに敏感だった20代半ばのボクでさえあまり記憶に無い。
事件がボクの脳裏にインプットされたのは2000年に刊行された佐野眞一氏の『東電OL殺人事件』を出版後すぐに目にして読み始めてからである。
事件からすでに3年。読めば読むほど薄暗い坂だらけの道玄坂裏の円山町の路地裏の不気味さが脳裏を過り、なぜ?なぜ?なぜ?と犯人の動機よりも被害者の動機ばかりが気になっていくのだが、ルポはむしろ結果誤認逮捕されたネパール人がえん罪なのではないか?という疑問の解決の方へ軸足を移していく。
自分自身の興味よりもえん罪事件の捜査に重点が置かれていくことで、この本はハードカバー、文庫本、電子書籍と結果3度も途中で投げ出している...(^^;)ハハハ。
そんなボクとしては妙に引っかかり続けているこの事件現場が今なお神泉駅近くにそのまま残っているとSNSで知り、これは事件のなにがしかを感じられるか?お盆だし??ということで、まずは副都心線で早朝の渋谷駅へ向かい、道玄坂を登り始めたのだ。
この日は南洋上から台風が北上を始めていて、その影響でザーッと雨が降り出したり止んだり、中途半端に降るために降った後はミストサウナのようなお写ン歩には最悪のコンディション...(^^;)ハハハ。
もうすでにバテ始めてはおりましたが、そんな中レンズに向かってポーズを取ってくれる黒人カップルさん(笑)
いつものようにここで信号を渡ってしぶや百軒店に入っていきます。
前回あまり意識して写真撮ってなかった、渋谷なのに道頓堀劇場(笑)
この辺の再開発はいつ頃始まるんですかね?
おそらく渋谷区としてはこの辺一帯は浄化したいんでしょうね...(^^;)ハハハ。
前回も気になって入り込んで行った塩豚骨らーめんたちひらさん前の路地。
前回は途中でお兄さん達が座り込んでいて、これは刺激するとやべー輩か?と途中で後ずさりして戻って来たんですが、この日は雨も降ってるしダレもいないだろう!と(笑)
案の定ダレもおらず、路地を突っ切ることが出来ました(笑)
途中いくつか確認ポイントはあったんですが、百軒店がメインではないので割愛して、百軒店の裏側にでてきました。
後でGoogleマップで確認していて思ったンですが、ひょっとしてこの『ゴールデンボール』という店名は、たこ焼き屋さんから取ってるんですかね?
Googleマップではお店の種類が『たこ焼き』になってたんで(笑)
千代田稲荷神社の辺りを徘徊しているとこんな花魁なパネルが。
こちらはガールズバーのようです...(^^;)ハハハ。
となるとこの辺はもう有名な昭和遺産。
『名曲喫茶ライオン』は抑えておきたいところですよね。
ここもいつまで眺めていられるのでしょうか?
相変わらず重厚な佇まいでございます。
ぐるりと廻って、ライオン前の通りを進むと再び塩豚骨らーめんたちひらの通りに。
真っ直ぐ進むとまた道玄坂に出てしまうので、たちひらのところの脇路地に入っていくと、ここもある意味道玄坂界隈では昔ながらのスポット。
お世話になったことはありませんが、一世を風靡した『渋谷クリスタル』の階段路地ですね。
そのまま進むと『麗郷』のある二股路地に出てきます。
この辺は学生時代の頃からなんど歩いたことか。
麗郷のこの店構えは80年代末から全然変わりませんね。
そぉ〜いえば、学生時代に初めてこの麗郷で蛙のから揚げを食しました(笑)
しぶや百軒店近辺は一通り現状確認出来たので文化村通りを登り、本来の目的地へ向かいます。
ところどころで20〜30代の酔っ払いばかりでしたが、この辺りまで来るとかなり平穏...(^^;)ハハハ。
都内屈指の高級住宅街である松濤が見えてくると、これまでの猥雑で喧騒エリアとは全く異なる景色が見えてきます。
というか、そもそも空気が全然酒臭くない?...(^^;)ハハハ。
正直この松濤文化村ストリートを越えられない結界として向こう側は松濤地区手前は円山町と目に見える格差というのはエゲツないものがありますが、円山町側の八百屋さんにはこんなステキなシャッターアートが描かれていたり(笑)
この八百屋さんの先の脇路地を左折していくと目的地ナンですが、その前に見ておくべきところがあります。
東電OL殺人事件の被害者となった女性が夜な夜な客引きのために立ち続けていたというのがこちらの道玄坂地蔵の脇だったという。
高収入なエリート社員の立場で、なにゆえ1日4人をいうノルマを自分自身に課してまで売春行為をしていたのか?
客引きをするにしても、暴力団を介さずに立っていたらなにがしかのトラブルも派生していたはず。
にも関わらず立ち続けた彼女。
こちらがいまだに存在する事件現場。手前のまん福亭は現在も営業している居酒屋。
こちらの喜寿荘の1Fで1997年3月に彼女はなにモノかに殺害された状態で発見された。
発見したのは隣のサカエビルでお店をやっている主人だったようで、容疑者として逮捕起訴(当時。その後えん罪が確定して保釈)されたネパール人が4人共同で暮らしていたのもこのサカエビルの4Fだったようだ。
写真の通り、目の前は京王井の頭線神泉駅手前のトンネルを抜けてすぐの場所。
踏切の手前はもうすぐに神泉駅のホームになっており、この事件現場は神泉駅から徒歩0分という立地にある。
徒歩数分には都内屈指の高級住宅街松濤。神泉駅から徒歩0分という立地。男性の欲が満ち溢れている円山町、道玄坂まで徒歩数分。
そんな距離感の中で彼女はなにを思い男性を誘っていたのか?
彼女が殺害されたという喜寿荘1Fの部屋がどこかは特定できないが、裏側の部屋の入口はゴミが積み上げられており侵入できないようになっている。
ボクは彼女はこの一室を借りていたものと勘違いしていたのだが、実際は空き室に勝手に入り込んでいたようだ。
同じく隣のサカエビルの裏側。
遥遥ネパールから日本へやってきて、誤解されるような行為をしていたとはいええん罪で逮捕され貴重な15年間を日本の刑務所で刑に服していた彼の憤りもどれほどのものだったろうか。
いつになく重い気持ちになりつつ、道玄坂を下って渋谷駅に向かった。
本事件はWikipediaによると、
2010年の刑事訴訟法改正による時効撤廃を受け、死刑か無期懲役の確定後に再審無罪になった事件で再捜査が行われる初めてのケースとなった[2]。
ということであるが、被疑者は2012年に無罪が確定。
しかし、真犯人の逮捕には至らず未解決事件のままである。
事件発覚以来四半世紀以上経っているが、被害者が東電OLということや、夜な夜な客引きを行っていたということでいまだに都市伝説のようにいろんな説が流布されている。
今となっては物語は増えども、誰もこの真相には辿りつけられない。