明け方は多少なりとも気温は下がっても、日中は相変わらず夏と変わらず、さらに質の悪いことにもう9月中旬であるにもかかわらず梅雨時のような湿気に気が滅入る一方な今日この頃...(^^;)ハハハ。
夏が長すぎて、一向に写欲も増すことが無いのですが、いまだ暑くても天高く馬肥ゆる秋!芸術の秋とともに気になる写真展はそこかしこで開催されておりまして。
まずは神田へ!
今回は出足が遅くなってしまい、もう残りの会期は明日9/24(日)が最終日となってしまうTokyo Bright Galleryで開催中の我らが弥次喜多さんこと喜多研一氏の『緑について』!!
最終日である9/24(日)は16時までということなので、お気をつけください。
毎回こちらのTokyo Bright Galleryにお邪魔する度に思うンですが、この入口から少々気合いを入れないと辿り着けないんですよね...(^^;)ハハハ。
エレベーターとかないんで、5階まで急な階段を息を切らしながら登っていきます(笑)
喜多さんは今後の活動拠点を見直しているそうで、この急な階段を登ることも今回が最後ともなると、これまで文句ばかり言ってたこの階段も多少は感慨深いモノに感じます...(^^;)ハハハ。
こちらが今回の『緑について』のステートメント。
前回のGROUND RESUMEの台東区編だったかな?その時も喜多さんと話したんですが、昭和40年代くらいまでは存在していた空き地にはまだ未来があったんですよね。
戦後のベビーブームとともに周辺部へどんどん開発の輪が広がっていく中で、水道管や都市ガスといった社会インフラを整備するための土管が空き地に積み上がっていて、ドラえもんのシーンが代表するようにそこが子供たちの格好の遊び場になっていた記憶が残ってます。
平成の30年を通してそこかしこに点在するようになった都内の空き地はそんな昭和の空き地と異なり、未来が断ち切られ、人が去った後の光景としてひっそりと存在するモノに。
気になる人には格好の被写体として目に止まり、興味が無い人には無いモノの様に素通りされていく。
そんな都内の緑に侵食されていく空き地、空き家を納めた展示が今回の『緑について』でした。
いつもながらの喜多さんらしい大きなB0?のプリントで、細部までしっかりと解像した作品は、引いて俯瞰して見る楽しみと、寄って細部を事細かくのぞき見する愉しみを併せ持っています。
帰り際にボクもよく通りかかる気になるモジャの写真の前でⅠ枚撮らせていただきましたm(._.)m。
間を置かずに10月からはGROUND RESUMEシリーズの展示をギャラリーヨクトで開催されるとのことで、また来月お邪魔させていただきます。
神田で弥次喜多さんの作品を堪能した後、せっかく中央線沿線の神田にいることだし中野方面に向かってみようかと。
目指したのは中野駅というよりも最寄りは中野坂上駅な東京工芸大学!
こちらの写大ギャラリーで立木義浩氏の『肖像/時』が開催中ということでやってまいりました。
初めて足を踏み入れたんですが、写大ギャラリーはいちおう東京工芸大学の建物の中にあるようで。
なんかとくに建物へは自由に出入り出来るようで、受付とか特になかったんでホントに一般人が入り込んじゃっていいのかドギマギしましたが...(^^;)ハハハ。
こちらの階段を上がったところが写大ギャラリーのようです。
階段を上がった踊り場のところにはカメラギャラリーというコーナーがありまして。
三方の壁に代表的な国産カメラが展示されておりました。
機材好きとしては思いもよらず、ハァ〜ハァ〜させてくれる展示でした(笑)
上がりきったところに写大ギャラリーの入口がございます。
こちらは館内撮影禁止ということで、中の様子はここまで。
今回の展示は、基本的に立木氏のデビュー時からのポートレートが中心の展示になってました。
他にお客さんはいなさそうだったんで、これはゆっくりと観て廻れるかも?と思い展示コーナーのスペースに入っていくと、なんと立木義浩氏ご本人が鎮座坐して在らせられるではないですかっ!?
バブル期に青い春を迎えていたモノとしては、当時広告業界を席巻していらっしゃった立木氏は憧れ以上の雲の上の存在で、そんな氏と暗がりの中で同じ空気を吸っていると思うと、とてもじゃないですがゆっくり観て廻れるワケもなく...(^^;)ハハハ。
ボクに話しかけられる勇気があればと帰り道大変後悔しましたが(笑)
今回の2つの展示を観てて、改めて考えさせられたのが『写真を巡る物語性』について。
たまたまこの週はYouTubeのトモコスガさんの『言葉なき対話 | 写真の話をしよう』の中でこれをテーマにした動画が何本か上がってたんですよね。
ボク自身、何かにつけて物語性は重視する質で、写真に対しても1枚の写真そのものというよりも、複数の組み写真や写真集というメディア単位でそこに物語性を見出すことによって脳内イメージを作り上げていくという見方をしがちです。
それに対して、トモさんは写真そのものの可能性や特異な表現としての意味を見出すにはより1枚づつの写真の見方をすることが必要なのでは?ということで、言葉を選びながら何本もの動画で解説してくれてました。
どちらがいいということではないですが、立木氏の写真は特に今回はポートレートということもあり、より写真1枚での簡潔性というか、物語に依存しない力強さというものを感じたし、喜多氏の作品については大きな意味で展示された7枚に共通のテーマはあるにせよ、個々の単体の写真においてもその時間軸が物語っていることで1枚1枚の写真が完結しているよなと。
そんなことを感じた今回の展示でございました。